第12章② その手を離すために(祈りを託して)
塔の最上層に、風が吹いていた。
開かれた天井の向こう、まだ夜明けきらぬ空が、わずかに白み始めている。
都市の光は静かに瞬き、再構築途中の建造物が影の中に沈んでいた。
マリーは、その風景をしばらく見つめていた。
かつて、ユナと歩いたこの都市。祈りと希望と、失ったものたちと。
すべてが、ここにある。
右手が、わずかに震えていた。
胸の奥では、制御しきれない熱が、静かに膨らんでいる。
マリーはゆっくりと目を閉じ、思考を祈念層へと沈ませた。
「……セレア」
そっと呼びかけたその瞬間、やわらかな光が意識の中を通り過ぎた。
それは、いくつもの魂を銀河へ導いてきた――
神のように静かで、あたたかな声だった。
『わかったよ、マリー』
セレアの声が、はっきりと届く。
『何も言わなくていい。全部、読み取った。
お前の祈り、その奥にある覚悟、痛みも全部……受け止めてやる。
時間がない。オルドが、もうすぐそこまで来てる』
マリーの中に、淡い金の光が流れ込んだ。
それは祈念の余波か、セレアが最後に残した“祈りの断片”か。
温かさにも似た感覚が、彼女の胸を貫いた。
目を開けると、夜明けの兆しがわずかに空を染め始めていた。
まるで、いま飛び立とうとする者を照らすための光だった。
マリーは通信を切り替える。
「ピリカ……今まで、本当にありがとう。もし、私に何か――」
『何を言っているのですか?』
ピリカの声が、強く重なるように割り込んだ。
『帰ってきてください、マリー。
また都市を作り直しましょう。ユナのために。……また三人で』
その一言に、マリーの胸がじんと熱くなった。
“また三人で”――そう言ってくれることが、どれほど嬉しいか。
あの笑顔、寝顔、拙い言葉。
今、この手で断ち切らなければ、すべてがもう一度失われる。
「……ええ。そうね、帰らなきゃ。
ピリカ、お願い。敵ユニットの足を止めて。
私は……オルドを撃つ!」
塔の最上層の扉が、ゆっくりと開いていく。
地上への道が、光に照らされて現れる。
白と金のサイボーグボディが静かに輝き、美しい片翼が展開される。
その瞳に宿るのは、憐れみでも怒りでもない。
――ただ、“託されたもの”を守り抜く祈り。
地平の彼方に、黒い気配――
あの憎しみによって作られた器。
オルドが、そこにいる。
風が、祈念装甲の隙間をすり抜ける。
浮上の直前、マリーはもう一度、目を閉じて呟いた。
「ユナ……見ていて。
私は今から、あなたの祈りを背に、あの闇を断ちに行く」
そしてそのまま、光の中へ飛び立った。
その背にあるものは、すべての祈り。
託された言葉と、まだ交わしていない未来。
マリーの戦いが、いま始まる。