第12章① その手を離すために(すぐに帰ってくるから)
静かな風が、塔の地下をかすめていた。
マリーはユナの手を引いて、無言のまま通路を歩いていた。
その先には、再現された古いシェルターがある。
かつて、ユナが命を落とした場所――だが今のユナは、その記憶を持っていない。
それでもユナは、少しだけ眉をひそめた。
「……ねえ、ここ、なんかヘンな感じする。知らないはずなのに、こわいような、なつかしいような」
マリーはその言葉に、一瞬だけ足を止めた。
けれどすぐに前を向いて、静かに答えた。
「……そっか。ちょっと変な感じがするんだね」
マリーは微笑んだ。まるで、その言葉に触れないように。
だが、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
この場所を覚えていないはずのユナが、なぜか怯えるように手を握りしめているのがわかった。
「でも大丈夫。ここは、安全な場所だから」
扉の前に立ち止まり、マリーは振り返ってユナに微笑みかけた。
「ここに、少しだけ入っててほしいの」
「……なんで?ママは?」
「私は、外に出る。……ほんのちょっとだけ、やらなきゃいけないことがあるの」
ユナは首を振った。
「やだ。ここ、なんかイヤ。ずっとママと一緒がいい」
「ユナ……わかるよ。その気持ち、すごくよくわかる」
マリーはしゃがみ込み、ユナと目を合わせた。
その目に、どんな戦場よりも強い決意が宿っていた。
「でもね。これは、あなたを守るため。
ママはあなたを危険な目にあわせたくない。どうしても、ここで守りたいの」
ユナの唇が震える。
「……わたしだけ置いていくの?」
「違うの。ちゃんと理由がある。
あなたの“祈り”が、ここからでも届くって、私は信じてる。
だから、どうか……お願い。ここで待ってて」
ユナは黙ってマリーを見つめた。
その手を振り払おうとすらした。
だけど、マリーはぎゅっとその小さな身体を抱きしめた。
「……ユナ、ママのこと、好き?」
マリーの声は震えていた。
「大好き!ママのこと、大好きだよ……!」
ユナはその言葉と同時に、小さな身体を思いっきりマリーに寄せてきた。
その頬には、止まらない涙が流れていた。
マリーも、全身で受け止めるように、強く、強く抱きしめ返す。
「ママも大好き。……愛してるよ、ユナ」
「――すぐに帰ってくるから」
「……うそつきじゃない?」
ユナの声が震えていた。
それでも、マリーはしっかり頷いた。
「うそじゃない。約束する。絶対に、戻ってくるから」
そして、抱きしめたまま、シェルターの扉に手をかけた。
ユナは「いやっ」と小さく叫んだが、もう時間がなかった。
「ユナ……ごめん。これは、ママの“わがまま”」
そう言って、マリーは優しく彼女をそっと中に押し込む。
「ここで、祈ってて。それが、私の光になるの」
扉がゆっくりと閉まっていく。
最後の瞬間、ユナが涙を浮かべながら叫んだ。
「絶対だよ!絶対、帰ってきてよ!」
「――うん。絶対、帰るよ」
その言葉とともに、扉が閉ざされる。
扉が閉ざされたあと、マリーはその場にしばらく立ち尽くした。
無音の通路に、時間だけが静かに流れる。
やがて、震える唇を噛み締めながら、溢れる涙を止められなかった。
数百年前、ユナと過ごした九ヶ月間のシェルターでの暮らしが、走馬灯のように頭を巡っていく。
あの笑顔も、寝顔も、拙い言葉も。
どれも守るために――今、自分はここにいる。
「今度こそ――守ってみせる」
マリーは、誰にも聞こえぬようにそう呟いた。
そして、ゆっくりと地上への階段を踏み出した。