第11章⑪ 祈りの火蓋(器と咎)
塔の中枢に、静けさが戻っていた。
けれどマリーの胸の奥では、まだ祈念の波がざわついていた。
セレアは、窓の外――黒く揺れる空を、ただじっと見つめている。
「セレア……聞かせて。あれは、もう祈りじゃ止められないのね」
マリーの問いに、セレアはゆっくりと頷いた。
「そうさ。オルドは“器”を得た。魂だけだった時と違って、もう祈念層からの干渉は効かない。
あいつの魂は、もう物理に縛られた。逆に言えば――壊せば止まる。
……ただし、それはあいつにも言えることさ。
祈念層には、もう“触れられない”。魂としての自由を捨てて、力を集中させたんだ。
だから今のオルドは、祈りではなく“殴る”しかできない。
代償を払って、本気で“殺しに来てる”ってことだよ」
マリーはわずかに目を伏せる。
破壊。それは、祈りとは真逆の行為だった。
「でも、あの力……どうしてそんなものが……」
「気づいてなかったろうけど、あんた――一時的には私に守られてたんだよ」
セレアの言葉に、マリーは目を見開いた。
「……私を?」
「あいつは、ずっと試してきてた。どこまで近づけば、私が干渉するか。
私がこの塔に“いる”ことを、オルドは気づいてる。だから慎重に、慎重に攻めてきた。
魂の状態で私に浄化される可能性を、あいつは本能的に警戒してるんだよ」
「でも、私はもう……守られてない」
「そうだ。もう“器”に入った。あいつは私の影響を脱した代わりに、物理的な制約を受けた。
――つまり、あとは“誰が手を下すか”ってことだ」
マリーは拳を握る。
「……聞かせて。オルドの目的は何?ユナなの?」
セレアはその名にわずかに目を伏せ、そして語り始めた。
「あいつは、怒りや恨み、嫉妬、そして悲しみや絶望――そういった“負”をすべて纏った存在さ。
どれだけ転生しても、いつも地獄だった。誰にも愛されず、奪われ、壊されて、踏みにじられてきた」
「それでも、生まれ変わるの?」
「……魂ってのは、そう簡単には壊れない。だからこそ、繰り返すんだ。
でもな、そういう魂は、いつか“喰う側”になる。
苦しみの中で、上にあるもの――希望とか、幸せとか、愛とか、そういう“自分に無かったもの”を、
今度は壊したくなる。奪いたくなる」
マリーの瞳に、静かな怒りが宿る。
「ユナは……この子は、それを持ってるから」
「そう。無垢で、やさしくて、願って、祈る子。
オルドみたいな魂にとっては、いちばん眩しい。だから“喰おうとする”。
自分がずっと喰われてきたように、今度は逆にね」
マリーはゆっくりとセレアを見据えた。
「そんな存在が、許されていいの……?」
セレアは、かすかに肩をすくめた。
「許されるとか、許されないとか――そういうことを決める力は、私にはない。
私は“見てる”だけさ。でも、あんたにはできるかもしれない」
マリーはユナの頭に手を添える。
「……なら、やるよ。誰も、この子の祈りを喰わせたりしない」
セレアは、初めて微笑んだ。
「いい目をしてるね。
――それが、祈りを背負って立つ者の目だ」