第11章⑧ 祈りの火蓋(黒い器)
祈念層に、じりりと軋むような波動が走った。
それは祈念ネットワークの干渉ではなかった。
都市そのものの空間が、低くうねるように揺らいだのだ。
マリーが目を見開く。
塔の奥、観測用の残骸映像に、燃えた煙がまだ渦を巻いている。
その先に、何かが立っていた。
黒い。人のようで、そうでない。
全身を覆う装甲は、熱をものともしない漆黒。
だが動かない。まるで、そこに“ただ在る”という意志だけで構築されているかのように。
セレアが、ぽつりと呟いた。
「……器を作ったか」
マリーは一瞬だけ視線を送る。
「オルド……?」
セレアは答えず、ただその存在を見つめていた。
映像越しでも分かる、圧倒的な質量。
祈念波すら撥ね返すような、無音の“存在感”。
マリーの背後、ユナが震えていた。
「なに……これ……こわい……」
ユナはピリカの背に隠れるように、マリーの方を見た。
彼女の指先がわずかに震えている。
ピリカはユナをそっと庇いながら、マリーと視線を交わした。
マリーですら、祈念を介して“気圧”のような圧を感じている。
塔内の祈念層には、セレアの存在が在る。
それゆえ、オルドはこの中枢には深く入り込めない。
しかしそれでも、外から“見ている”だけで、ここまでの重圧をもたらしているのだ。
「あなたは……」
ピリカがセレアに声を向けた。
「……あなたは、救ってはくれないのですね」
その問いに、セレアはほんの一瞬だけ、目を細める。
「理解が早いね」
たった一言。
けれど、それがすべてを示していた。
次の瞬間、ピリカは跳び出していた。
「ピリカー!!」
ユナの叫びが、塔の中に響いた。
ピリカは地面を蹴りながら、通信を開く。
「都市ユニット、半径一キロ以内の稼働可能体すべてに指示。戦闘モードへ切替。
後方都市区画に待機していた百機、迎撃モードへ。コード:Ωレギオン、起動」
……ごめんなさい、マリー。
その言葉は声には出なかったが、ピリカの祈念コアに強く刻まれていた。
都市の各地で、スリープ状態だった中型ユニットが目を光らせる。
歩哨として眠っていたユニット群が、一斉に“目覚めた”。
その挙動は一分の狂いもなく、中央塔のネットワークに接続され、ピリカの指示に従い再配置を開始する。
マリーは塔の上階からその光景を見つめていた。
かつて、戦争のためにではなく、都市防衛と環境維持のために設計されたユニットたち。
その手に“武器”を持たせることになるとは――
マリーの唇が、わずかに動いた。
「それでも……止めなきゃいけない」
セレアはふと、横目でマリーを見る。
「それでいい。“守るための選択”が、何かを変えるかもしれない。
……でも、忘れないことだね。器の中にあるのは、ただの暴力じゃない」
マリーはその言葉の意味を問おうとした。
だがその瞬間、塔の外に響く“無音の足音”が、すべてを押し流した。
オルドが、動き出した。