第11章⑥ 祈りの火蓋(魂の偏り)
マリーは、セレアの言葉を胸の奥で何度も繰り返していた。
“今の私とオルドは、違うのか?”
白棄界の余波は収まり、祈念ネットワークも徐々に安定し始めている。
けれど、マリーの内側はなお、沈黙のなかで波立っていた。
「答えられないか」
セレアの声が、ふたたび響いた。
その声に冷たさはなかった。
ただ事実だけを見ている者の、それ以上でも以下でもない響きだった。
「この星でも、一時は80億を超える魂が生きていた時代があった。
だがこの銀河にはその、何千倍なのか、何万倍なのか……正直、私も正確には把握できない」
セレアは指先をくるりと回す。
指先の軌跡をなぞるように、金の粒子が舞い上がる。
やがてそれは、揺らぐ銀河の立体図を描いていた。
「それでもね、“還る魂”ってのはある。
輪廻ってやつだ。祈りのように、何度も繰り返す。形を変えて、生を得て、また戻ってくる」
マリーは黙ってそれを見ていた。
セレアの手の中で揺れる銀河は、まるでどこかの記憶のようだった。
「偏りさ。確率論にすぎない。
でも、確かに存在する。
数百億の魂が転生を繰り返す中で、ほんの一握りだけが――
何度生まれ変わっても、“毎度、地獄”。
誰かのせいでも、何かの罰でもない。
ただ、そう在る。
……私にも、どうすることもできない」
マリーは小さく目を見開いた。
「どうして……そんなことが……」
「そんなこと、知らないさ。
でもな、そういう魂は毎度のように、愛されず、奪われ、殴られ、騙され、絶望し、殺される。
それが人だとも限らない。地震や洪水や飢えや孤独。
オルドは、たぶん一度も寿命というものを全うしたことがない」
マリーは言葉を失い、手のひらを握りしめた。
ユナが、小さくピリカの背に隠れるようにして呟いた。
「……そんなの、いやだ……」
セレアはわずかにユナへ視線を向け、そしてまたマリーに向き直る。
「正義か悪かなんて、そんなものは幻想さ。
偏りなんて、たまたま繰り返されただけの“偶然の積み重ね”だ。
ただ、そうあったというだけ。それが“祈りが届かない”理由のひとつでもある」
マリーは、セレアの言葉が胸を突くように感じていた。
「じゃあ、オルドも――」
「そう。私も、かつてはあいつと手を組んだことがある。
破壊の限りを尽くしていた。私は“見ていた”だけで、世界が崩れていくのを感じていた」
マリーは目を伏せた。
「……なぜ、今は違うの?」
セレアはその問いに、わずかに笑って答えた。
「一度だけ、私を本気で愛してくれた人がいたんだよ。
それだけさ。たったそれだけで、全部は変わらなかったけど……変わるきっかけにはなった」
その声は、どこか懐かしさを含んでいた。
しばらく沈黙が流れる。
マリーは、そっとユナの手を取った。
彼女の手は、まだ少し震えていたけれど、確かに“あたたかさ”を宿していた。
(セレアを変えた誰かの祈りが、ほんの一滴の光だったのなら――)
マリーは、ほんの少しだけ、自分の中の“輪郭”を確かめるように、拳を握った。
「私は……」
声はまだ、答えになっていなかった。
けれどその一言の中には、もう“問いに向き合おうとする意志”が宿っていた。
セレアはそれを感じ取ったのか、ふっと目を細めて笑った。
「……そのままでいいさ、今は、それでいいんだよ」
マリーは頷いた。
そして、ユナとピリカの方へ歩み寄る。
彼らの中にある光は、まだ確かに“祈り”と呼べるものだった。