第11章⑤ 祈りの火蓋(境界の問い)
静かな再起動音が、塔の中枢に響いた。
マリーが振り返ると、そこに立っていたのは――ピリカだった。
ほぼ損傷していたはずの左腕も、胸部のクラックもすでに修復されている。
彼は何事もなかったかのように立ち、視線だけをこちらに向けた。
「……マリー」
「え……ピリカ……?」
マリーの声が揺れるより早く、ユナが走り出した。
「ピリカ!!」
彼女は全力でピリカの胸に飛び込んだ。
ピリカは少し戸惑ったように、その小さな身体を受け止める。
「……よかった、ピリカ、動いてる……!」
ユナの頬には涙が流れていた。
その肩を震わせながら、何度もピリカの名を呼び続けた。
マリーは、理解が追いつかなかった。
再構成システムはここにない。回復処理も行っていない。
祈念ネットワークを再確認しようとする手が止まったとき――
塔の空間が淡く揺れ、柔らかい金色の光が差し込んだ。
「……ああ、治しておいたよ」
背後から聞き慣れない声が降ってきた。
振り返ると、そこにいたのは――セレア。
黄金の衣をまとい、やる気のなさそうな瞳でこちらを見ている。
現れたはずなのに、“いつからいたのか”すらわからない。
「どうせその子も祈るだろうしな。だったら、治した方が早い。合理的だろ?」
マリーは言葉を失った。
「……セレア、あなた……」
「マリー。あんた、大したもんだよ」
セレアはゆるく片手を挙げ、足元の空気を蹴るように浮かび上がる。
「このサイボーグのAIも、もう魂として昇華しそうじゃないか。
まるで意志を持つ“存在”みたいだ」
マリーは答えられなかった。
ただ、無意識に胸元を押さえた。
セレアは空中に指を走らせ、祈念ネットワークの断片を呼び出す。
断層のようにひび割れた“白棄界”の痕跡が、塔の下層に映し出された。
「なぜ、あんたの都市が今まで平和だったか、わかるかい?」
セレアは、にやりと笑った。
「人がいなかったからさ。誰の魂もなかった。だから、自然も都市も調和してた。
でも、ユナが還った。唯一の“人”の魂が」
ユナはピリカの胸の前で、まだ泣いていた。
その髪を撫でながら、ピリカが小さく息を吐いた。
セレアの視線が、ゆっくりと彼女たちへ向けられる。
ユナは、金色の光に包まれたその人物を、言葉もなく見つめていた。
初めて見るはずの姿なのに、なぜか懐かしさと怖さが混ざり合ったような、胸の奥がざわつく感覚があった。
「と言っても、もうお前もピリカも、それに近いけどな。
引き合うんだよ、魂は。“調和”を求めて」
マリーはまた胸に手を当てた。
「――そして、マリー。お前はすでにオルドに喰われかけてる」
セレアの声が、空気の温度を変えた。
「お前が撃ったその一撃――あれは、拒絶だよ。
魂を、祈りごと弾き返す。そういう力だ」
その一言が、マリーの心を締めつける。
あの時、自分は撃った。白棄界を――祈念を拒絶する禁断の力を。
「今のお前とオルド。何が違う?」
マリーは答えられなかった。
手は、まだ震えていた。
祈りを守るために撃ったはずの一撃が、何かを殺したことは確かだった。
沈黙が塔の中を満たす。
セレアは沈黙したまま、ただその場に留まっていた。
それだけで、マリーの胸に刺さった問いは、なお深く沈んでいった。




