第11章③ 祈りの火蓋(白い選択)
ピリカの祈念波形が、まだ微かに灯っていた。
消えかけた火のように頼りなかったが、それでも確かに、生きていた。
マリーはその波形に、しばし触れたまま、目を閉じる。
(あなたはまだ、戦おうとしている……)
祈念ネットワークの向こうでは、都市が破られかけていた。
S.T.A.S.I.Sの領域は崩れ、敵は再編成された第二波を伴って再侵攻を開始している。
このままでは、塔までもが突破される。
祈念ネットワークに重なる波形の中、マリーはピリカの信号を追った。
前線から離脱する彼を、中型ユニットが抱えるようにして後方へ移送している。
損傷は深刻だが、祈念コアはわずかに――確かに、生きていた。
「……よかった」
マリーは一度だけ目を伏せ、そして静かに決断する。
もう、ためらう時間はない。
マリーの指が、静かに動いた。
その指先が辿り着いたのは、封印された演算領域――
かつて、自らの手で“使ってはならない”と決めた祈りの兵装だった。
「……白棄界。段階三」
それは、マリーが過去に設計した防衛機構の最終段階。
祈念によって生成された空間を、斥力と否定で白く塗り潰す禁断の技術。
外からの侵入を拒むために作られたその力は、応用次第で“内部から破壊”する力へと変貌する。
だからこそ、彼女は封印した。
一度だけ、ユナとピリカを守るために試験的に作動させた際、そこにあったユニットの祈りが全て“消えた”のだ。
跡形もなく。音もなく。ただ、存在がなかったことにされた。
あの時、マリーは泣くしかなかった。
自らが創った祈りが、人の温度を一瞬で奪う力に変わってしまったことに、
その責任の重さに、初めて“神のふりをしてはいけない”と思った。
それでも今、指は躊躇わなかった。
――私は、もう迷わない。
「白棄界――段階三。……発射!」
飛行ユニットが塔の上層から発射される。
光とともに上昇し、音速で敵の中枢座標に接近していく。
かつては防御装置だった。
だが今、それは“祈りの刃”として空を裂く。
白棄界――段階三。
その構成式が、塔中枢の祈念盤面に再展開されていく。
ユナの顔が、一瞬だけ脳裏に浮かぶ。
彼女は泣いていた。怯えていた。
それでも、マリーの名を呼び、祈っていた。
(あなたがいるから、私は……進める)
空に、何の前触れもなく“白”が開いた。
空気が軋むのではない。
風が止むのではない。
空間そのものが、わずかに拒絶する。
音はない。爆発もない。
ただそこにあった存在が、ひとつ、またひとつと“消えていく”。
まるで、“なかったこと”にされていくように。
斥力ではない。破壊でもない。
それは――否定。
祈りさえも拒む――祈り。
それが、白棄界の本質だった。
暴走ユニットが、ひとつ、またひとつ、
空間の淵に触れた瞬間、形を失って崩れた。
マリーは、その光景を見つめながら、手を胸に当てた。
「これが……私の選んだ祈り」
以前なら、撃てなかった。
自分が生み出した力で、誰かの存在を消すなど、
たとえそれが敵であっても、決して許されないと信じていた。
だが今――
マリーは、明確に“殺す意志”を持っていた。
それが、ユナを守る唯一の道ならば。
それが、ピリカの祈りに応える唯一の方法ならば。
「私はもう、“ただ祈る”存在じゃない」
祈りだけでは守れなかったものを、
いま、“壊す”ことで守った。
そしてマリーは、誰にともなく小さく呟いた。
「……ごめんなさい」
白く染まった空の向こうで、すべてが静かに消えていった。