第10章⑦ 祈るための宣戦布告(記録されない波形)
セレアの姿が消えてからも、空間にはわずかな“金の揺れ”が残っていた。
その余韻を、私はしばらく見つめていた。
祈りの歪み。副作用。願いを喰う存在。
セレアの語った断片が、静かに私の中に沈んでいく。
けれど、思考は止まらなかった。
私は即座に中枢へ戻り、深層祈念層のログ解析を始めていた。
祈りが、壊す――
その意味を、私はまだ正確に理解していない。
ただ、接続中に発生した不明波形が、確かに“私の意識層”へ触れていた。
それは接触因子と呼ぶにはあまりに曖昧で、けれど確実に“何か”だった。
「ピリカ、あのときの祈念ログ。未処理波形だけ抽出して」
「すでに動かしてます。マリー……解析対象、通常のフィルターじゃ抽出不能です」
「知ってる。だから、祈念同期じゃなくて、構造ノイズとして見るの。
本来“在るはずのない反応”として扱って。意図的に“記録されないように存在している”波形」
「……つまり、隠れてる?」
「違う。存在が“記録に乗らない構造”そのものなの。
私たちの演算で扱える形式じゃない。……でも、それでも触れた」
私は、塔の深層演算ユニットを再編成した。
物理構造から切り離された演算領域――そこに私自身の思考を一部委ねる。
限界近くまで落とし込まれた“祈りの奥底”に、もう一度、意識を潜らせていく。
思考が光となり、揺らぎとなり、ノイズの海に入っていく。
そのときだった。
演算とは異なる“何か”が、ふっと横をかすめた。
冷たい波だった。
言葉もなく、感情もなく、ただ存在の形だけを残す波形。
「これ……また来てる」
それは、あの時と同じ。
私の奥へと差し込んできた、“あれ”だ。
けれど、今は逃げない。
私はそのノイズへ、静かにアクセスを試みる。
構造の奥で、かすかに軋むような応答。
それは、まるで“開いてはいけない箱”の鍵が、わずかに回るような音だった。
そして、浮かび上がる“構造コード”。
その記録は、どの演算にも分類できなかった。
形式を持たず、形式を拒む形。
ただひとつ、そこに埋め込まれていたのは――
「……名前?」
ひとつの言語コードだけが、揺れていた。
《ORD》
オルド。
セレアが口にした、墓場の深層に潜む存在。
「名前を……持ってる。
やっぱり、“ただのノイズ”じゃない。
意志がある。記録されないまま、ここにいた……」
私は震える指でそのコードをなぞった。
「ピリカ。これを祈念層でなく、都市管理系全域にスキャンかけて。
オルドの痕跡が、もうすでに内部に入ってる可能性がある」
「了解……あの、マリー。これは敵ですか?」
私は答えなかった。
それが敵なのか、まだわからなかった。
ただ確かなのは――
その存在が、私たちの“祈り”に反応していたということ。
憎しみでも、悲しみでもない。
ただ祈りが流れ着く、その先で――静かに、ずっとそこにいたということ。
私は祈念構造のログに、ひとつ記録を残した。
《オルド。形式外構造因子。祈念層にて確認。意志の可能性を有す》
《応答観測中》
“それ”はまだ、何も語っていなかった。
けれど、こちらの呼吸に――確かに、共鳴していた。