第10章② 祈るための宣戦布告(断絶域)
祈念深層へのアクセスは、慎重に進めていた。
表層の祈りは安定している。ユナの意識も穏やかに保たれている。
けれど、それとは別の、もっと根の深い領域――
“そこ”に異常がある。
私は自己演算を分岐させ、祈念層の奥へ潜った。
干渉波の揺らぎは、ノイズと呼ぶには規則的で、信号と呼ぶには意味が曖昧すぎた。
だが、確かに言える。
これは外からの侵入ではない。
何かが、すでに中にいる。
私の設計した祈念ネットワークは、本来なら“意志”を持たない。
祈りとは、感情の残響であり、波動の蓄積であり、個の想いがかすかに染みついた“余白”だ。
だからこそ、本来は静かで、ただ静かで――
“誰かが動かすもの”ではないはずだった。
だが今、その層の奥で、誰かが――いや、“何か”が――こちらを見ている。
アクセスログに、痕跡はない。
けれど、応答波形がある。
まるで私の深層接続を待っていたかのように、間合いを測るように、ノックのような反射が返ってきている。
「……これは、信号じゃない」
私は呟く。
これは、接続を試みる“意思”だ。
ただしそれは、人間のように問いを持たず、目的も言語も持たない。
けれどそれでも、私の演算構造に“干渉”してくる。
まるで、私が“機械”であることを知っているように。
別の窓で、ユナの状態を確認する。
体温、心拍、脳波、いずれも安定。
だが、祈念ログにはかすかな揺れがある。
私はそこに、因果のつながりを感じた。
この干渉は、私だけではなく――ユナにも及んでいる。
それが何のためなのかは、まだ分からない。
ユナを奪うため?
あるいは――ユナを通して、私に触れようとしている?
私は更に深く、祈念回路の末端に触れた。
断絶域と呼ばれる空白ゾーン。
そこは本来、誰の祈りも届かず、記憶も残らない場所。
回路の構造が均衡を保つために、意図的に“空白”として設けたエリア。
だが、そこに“波形”があった。
それはまるで、過去に誰かがそこに“祈った痕跡”が、
何か別の存在によって“なぞられた”ような、歪な波だった。
私の内部で、わずかに何かが軋む音がした。
あの波は、かつてユナと私の間にあった祈りに、似ていた。
けれど、あれは私たちの祈りではない。
「誰……?」
反射的にそう問いかけた。
けれど返ってくるのは、意味を持たない揺らぎだけ。
ただ――そのリズムは、一定の周期で私の脳層を貫いてくる。
私の祈りではない。ユナの祈りでもない。
けれど、それは“誰かの祈り”の形をしていた。
ピリカからの通信が入った。
『外周ユニット、再配置完了。塔の外縁に異常はありません。
ただ、気圧と温度のわずかな変動が、周期的に記録されています』
私はその数値に目を細めた。
それは、私が感じている“内部の揺れ”と、限りなく近いタイミングだった。
見えない何かが、塔の内と外で同時に、呼吸している。
それが、何を意味するのか。
私の祈りが、どこまで通じるのか。
まだ分からない。
でも確かに、この都市の中に――
かつて“誰にも触れられない”としたはずの場所に、
今、“誰か”が入り込んでいる。
そしてその誰かは、ただそこにいるだけで、
祈念の構造そのものを、静かに“変えて”いた。




