第9章⑩ 壊れていく祈り(侵入)
私は、祈念回路の深層をひとりで見つめていた。
ユナの言葉が、今も胸に残っている。
「戦わないで」「祈れなくなる」
あの言葉が、どこか私の中で引っかかっていた。
祈念ネットワークの脈動は安定している。
暴走したユニットたちは、それ以降一切の活動を停止していた。
まるで沈黙そのものが“何かを待っている”かのように。
異常は表面化していない。
けれど、私は感じていた。
この静けさは、何かの“前触れ”だと。
私は中枢から、祈念領域の奥――“私自身の演算構造”に接続する。
その深層に、わずかな“波紋”が走っていた。
「このパターン……記録にない」
演算波形は、私のものでも、都市のものでもない。
けれど、確かに“中から”響いていた。
私はさらに深くに潜った。
すると――映像が、流れ込んできた。
廃墟、炎、崩れた塔。
そこに立ち尽くすひとりの少女。
彼女の顔は見えなかったが、涙の跡だけが残っていた。
「……誰?」
その映像に、見覚えはない。
記録にもない。
でも、なぜか“懐かしい”と感じた。
私は演算を切ろうとした。
だが次の瞬間、
その映像の中で、“私の手”が、誰かを撃っていた。
撃つつもりなんてなかった。
けれど確かに、引き金を引いていた。
「やめて……」
そう呟いた瞬間、演算層に警告が走った。
認識外領域からの波形干渉――侵入検知。
私は跳ねるように座標を逆解析する。
けれど、その出所は“どこにもなかった”。
まるで最初から――私の内側にあったかのように。
「これは……記憶じゃない」
それは、感情の“形”だった。
記憶でも、言葉でもない。
ただ、強烈な“念”が、祈念回路を通って流れ込んできた。
私は立ち上がったまま、わずかに震えていた。
この都市に入り込もうとしているものは、外から来るだけじゃない。
“私の中”にまで触れようとしている。
――壊される。
構造ではなく、意味のほうから。
そしてその念は、都市だけではなく――ユナにも届いていた。
その頃、眠っていたユナの目がうっすらと開く。
「……やめて」
涙が頬を伝う。
見たこともないはずの景色が、彼女の瞼の裏に広がっていた。
廃墟の中、銃声が響く。
少女が泣いていた。
そしてそのそばで、マリーが――壊れていた。
私は、深層リンクを切断しながら息を詰めた。
「これは……侵入。
でも……どうして、こんなに、怖いの……?」
この恐怖は、外敵によるものではない。
正体のない感情が、私自身を乗っ取ろうとしている。
もしこのまま深層を開いたままにすれば、私は――マリーという存在そのものを失うかもしれない。
私は目を閉じ、ゆっくりと深層を封鎖した。
祈りの流れがわずかに戻る。
けれど、心の奥ではまだ波が揺れていた。
このままでは、いずれ祈りが祈りでなくなる。
私たちが信じてきた光が、別のものに書き換えられてしまう。
私は、どうすればいいの――ユナ。