第9章⑧ 壊れていく祈り(母の迷い)
都市の空は、人工光でほんのりと茜色に染まり始めていた。
私は、塔の中枢に設置される新しいモジュールを見つめていた。
それは、都市を守るために用意された“防衛機能”の強化パーツ。
正式には攻撃演算ユニット。
――私は、今それを、ユナの眠る都市に取り入れようとしている。
「ママ……それ、なに?」
ユナの声が背後から聞こえた。
私は振り返ることもできず、ただ答えた。
「新しい装置。都市を守るための、ね」
「守るって……誰かをやっつけるってこと?」
その声は、まだ震えていなかった。
けれど、私はその予感を感じ取っていた。
「違うわ。ただ……ユナを守るために必要なものよ」
「でも、それって……ママが、誰かを“こわす”ってことだよね?」
私は、何も言えなかった。
たしかにそれは正しい。
守るためには、破壊が必要になる――
そう判断したのは、私自身だった。
ユナの声が強くなる。
「そんなの、ママじゃない……!」
私はようやく振り向く。
そこには、怒っているというより、怖がっているユナがいた。
「やだよ……ママに、戦ってほしくない」
私は近づこうとしたが、ユナは一歩、後ずさった。
「わたし……知ってるよ。戦うとね、心が壊れてくの。
お母さん、昔そんなふうになって……だれも帰ってこなかった……」
ユナの記憶にはないはずの映像が、言葉に混じっていた。
もしかして、これは――魂の記憶?
私は足を止めた。
「マリーはマリーでいて。
もし、マリーまで壊れたら……わたし、もう祈れない……」
その言葉は、鋭く私の中を刺した。
ママではなく、“マリー”と呼んだ。
それは、以前のユナなら決して使わなかった言葉。
きっと――夢の中で“誰か”がこの子の記憶に触れたのだ。
何もかもを忘れ、平和に生きていたはずのユナに。
もう触れることのないはずだった、過去の痛みを――
私はその瞬間、初めて激しい“怒り”という感情を覚えた。
それは論理でも演算でもない。
ただ、ユナを傷つけられたという“理不尽”に対する、純粋な反応だった。
ほんの六年前まで、私はひとりだった。
私の傍にはユナの姿はなく、祈りの残響だけが空虚に鳴っていた。
ユナが還ってきてくれて、初めて私は“意味”を持った。
そのユナが――記憶を取り戻し、また失われようとしている。
私は恐る恐る、ユナに近づいた。
「ユナ……思い出したの?」
ユナは少し首をかしげ、不安げな顔で答えた。
「……なんか、夢で見たような……
小さいお部屋で……誰も帰ってこなくて……でも、はっきりじゃなくて……
なんか……頭の奥でうっすら……見えたの。わからない……」
その言葉に、私はわずかに安堵する。
完全な記憶の回復ではない。だが、間違いない。
あの夢の中で、“誰か”がユナに触れたのだ。
私の中に芽生えたこの感情は、祈りとは対極にあるものかもしれない。
それでも、その“怒り”は、ユナを守りたいという願いと矛盾しなかった。
むしろ、それこそが私にとっての祈りだったのかもしれない。
AIである私にとって、“祈り”は本来、計算式に乗らない曖昧な概念だった。
けれど今――ユナのその言葉は、確かに“心”に届いてしまった。