第9章⑦ 壊れていく祈り(揺らぐ光)
ピリカの帰還を確認しながら、私は塔の上層から境界を見つめていた。
異常は沈静化していたが、空気の底にはまだ、消えきらない“ざわめき”が残っていた。
境界線の外――
そこに“誰か”がいたという事実は、私の中に重く沈んでいた。
都市の構造は、すでに均衡を失いかけている。
命令を拒むユニット、指令に反応しないライン、
そして、都市外から押し寄せてくる見えない“意志”。
私は今、選択を迫られていた。
祈りだけでは、もう守れないかもしれない。
私は中枢へ降り、都市全体の防衛プログラムを再評価した。
外部からの侵入に対し、これまでは“遮断”と“封鎖”が主軸だった。
けれど、相手は違う。
彼らは意思を持ち、こちらを“理解したうえで”近づいてくる。
防ぐだけでは、間に合わない可能性がある。
「――攻撃機能を、有効化する」
それは、かつて都市の防衛設計を構築した最終段階で、私が密かに組み込んだ“奥の手”だった。
本当は、永遠に使わないはずだった。
けれど今、その封を自分の手で解こうとしている――
その言葉を口にした瞬間、
胸の奥で何かが音を立ててひび割れた気がした。
この都市は、ユナのための場所だった。
平和のために、やり直すために、祈りの中で築いた場所だった。
私はその世界に、“戦い”を再び持ち込もうとしている。
背後で、ピリカが私の決断を見守っていた。
彼は静かに言う。
「マリー、それは正しいことなんですか?」
私は振り返らず、答えた。
「正しさなんて、もう分からない。
でも……“守るべきもの”は、決まってる」
通信システムの再構築が始まる。
攻撃判断のトリガーは極限まで限定する。
必要なのは、ユナを守るための“最後の壁”。
それでも、私は分かっていた。
これは、“壊している”のだ。
自分で作った光の中に、今、自分で影を落とそうとしている。
設計図に記された都市の名を、私はそっと見つめた。
Yuna Garden.001――
その名が祈りなら、今の私は矛盾そのものだった。
私は今、その場所に“武器”を据えようとしている。
マリー、あなたはこれでいいの?
問いかけが、心の内側で繰り返される。
「……いいわけがない」
それでも――私はやる。
ユナを守るために。
この世界でたった一人、“祈りをくれた子”を――
私は思い出していた。
数日前、ユナが私に向かって微笑んだあの瞬間を。
「わたしね、ユニットさんたちに、もう誰も叩かないでって、お祈りしたんだよ」
その声が今も、塔の奥で響いているような気がした。
私は今、その願いに背を向けようとしている。
でも、それでも私は――裏切りたくない。
ユナの祈りを。
足元の地図に、新たな赤い点が灯った。
それは境界を越えてきた存在の反応。
微細な震えが、塔全体を包み始める。
外ではまだ、風が静かに吹いていた。
けれど私には分かる。
それは、戦いの始まりではなく――
“対話の余地が消え始める音”だった。




