好きな人のバイト先、おいしいパスタを食べる私
「店長、こういったお客さんはつけ上がる前に『できません、やりません』と言っておいた方が良いかと。ちょっとした要求でも聞き続けてるとそのうち『えー前は言うこと聞いてくれたじゃん』と言い始めますから」
「あはは! 安心してください先輩。私は推しと距離感を保てるプロなので、ちゃんと引き際はわきまえていますよ」
「引き際をわきまえている奴が五日連続でランチ通いしないと思いますが」
「私は推し活にお金を惜しまないタイプなので」
ともかく時間の内は公私を分ける。例え客が自身の知り合いだろうと毅然とした対応をするのが蓮のポリシーだ。
「白井くん眉間に皺よってるよ! 笑顔笑顔!」
千咲の席まで寄っていくと、メインの料理を運ぶために前菜の皿を片付けようとする。席に対して蓮の身長が高すぎるため、ちょいと膝を屈めてから右手で皿を回収していく。視線は手元によっているため、自然と顔もやや下を見るような状態で、その動きがどこかお辞儀をしているようにも見えて、千咲の目を釘付けしていた。
(うわぁ……先輩、まつ毛長……ボリュームもある……。男の人だからエクステとか、まつ育してないだろうから自前なんだろうな……。なんか綿棒乗せられそう。二本くらいいけるんじゃないかな)
皿をすくい上げるとわざわざ左手に持ち替えて戻っていく。
時間にしておおよそ三分もなかっただろうか。店内で流れる邦楽のアレンジされたインストロメンタルが流れていた。もともとはダンス系のエレクトロミュージックの曲だったが、アコースティックギターとピアノを使って雰囲気が明るくなった。
平日の昼食は忙しくも安らぐひと時を感じたいと思う人たちにとってはちょうど良い。ボーカルが抜かれていることで哀愁のある歌詞ではなく、曲の持つ耳に残るテンポ感に聞き入ることのできるアレンジとなっていた。
次の料理が運ばれてくるのは、曲の二番が終わって間奏に入っている頃だった。
「しらすとブロッコリーのオイルベースです」
卓上に置かれた瞬間、鼻孔をくすぐるニンニクの香りが食欲を煽り立ててくる。
オリーブオイルと水の乳化によって、麺の表面がキラキラと黄金色に輝いていた。
千咲の最初の一口は麺ではなく、ブロッコリーだった。
花蕾から芯まで艶やかな緑に染まったブロッコリーに目を奪われたのだ。まずはそれにフォークを突き立てて、すかさず口内へと招いた。
「んん~~~~っ!」
くたくたになるまで柔らかく煮られたブロッコリーは、柔らかさと共に絶妙な歯ごたえがある。固いと言うには及ばず、それでいてのびていると言うほどでもない。噛む、という行為を心地よく感じさせるような楽しさがそこにはあった。
味も素晴らしい。野菜が持つ糖の甘味もさることながら、雑ではない苦味を美味しいと感じるようになったのはこの店と出会ってからだ。
ブロッコリー一つを丁寧に食べ終えた後、水で口の中を一度リセットさせる。
本番はここからだ。
このお店『トラットリア・メガロマニア』はイタリアの郷土を感じられるようにというコンセプトのもと、パスタを食べる際にスプーンを用意しない。
千咲も初めは戸惑っていたが、五回も通えばフォークだけでパスタを食べる方法も慣れてくる。
パスタの中心にフォークを刺して、皿の端へズラしながらくるくると巻き取っていく。コツは皿の内側と外側の僅かな段差にフォークの中心を当ててスプーンの代わりとすることだ。最後に巻き取っている麺の終わりが見えたら、そのまますくい上げて切り上げる。
(ちょっと量多かったかな? いや、このくらいならいける!)
いつもより少し口を大きく開けて、一思いにそれを頬張った。
アルデンテに仕上がったパスタのコリコリとした歯ごたえと、クセのないオリーブオイルが舌の上でねっとりと絡みあっていく。時折、麺と共に巻き込んだ細く柔いしらすが舌の上で形を崩したり、歯で押しつぶされる際に麺と異なる触感を楽しませる。それでいて、小さいながらもその身にまとった塩気や海の香りが和の味わいを主張させてくる。
料理とは最終的に口の中で完成する作品だ。
おいしい食材を揃えるだけが料理ではないと。市販で見かけることのある馴染み深い食材も、腕次第でここまでおいしく仕上げることができるのだと、千咲に語り掛けているかのようだった。
そういった、様々な体験を言葉にして語るのは難しい。
だからこそ、ストレートな言葉で称賛を送るのだ。
「すっごくおいしいです!」
何気ない言葉の一つだが、存外これが料理人を一番喜ばせたりするものだ。