第三部「再生の鼓動」
東京の夜景が窓外に広がっていた。高層ビルの一室で、遠野は鹿島、緒方、長谷川と共に作戦会議を開いていた。鹿島との出会いから一週間が経過していた。
「まず確認しておきたい」鹿島は会議の口火を切った。「我々の目的は、コンソーシアムの日本解体計画を阻止し、本来あるべき日本の姿を取り戻すことだ」
三人は頷いた。最初は鹿島を警戒していた緒方と長谷川も、彼が提供した証拠と情報によって、その真意を信じるようになっていた。
「計画の要点を復習しよう」鹿島はタブレットを操作した。「第一段階、『真実の暴露』。我々が収集した証拠を使い、コンソーシアムの実体と計画を公開する」
スクリーンには綿密に練られた情報公開計画が表示された。海外メディア、信頼できる国内ジャーナリスト、影響力のあるSNSアカウント、そして直接市民に届ける方法まで、複数の経路が示されていた。
「第二段階、『連帯の構築』。真実を知った市民や組織を結びつけ、実効性のある抵抗ネットワークを構築する」
スクリーンは切り替わり、農業団体、消費者グループ、地方自治体、海外NGOなど、潜在的な同盟者のリストが現れた。
「そして第三段階、『システムの再構築』。コンソーシアムに対抗する新たな社会経済システムの基盤を作り上げる」
最後に表示されたのは、食料自給率向上計画、地域分散型エネルギーシステム、コミュニティ基盤の強化など、具体的な政策提案だった。
「壮大な計画だ」長谷川は感嘆しつつも、懸念を示した。「しかし、彼らの力は強大だ。簡単には行かないだろう」
「もちろん」鹿島は同意した。「彼らは何十年もかけて日本のシステムに浸透してきた。メディア、政界、官僚機構、そして司法まで、彼らの影響下にある」
「それでも闘う価値はある」遠野は窓から富士山の方向を見つめながら言った。「この国は滅びるわけにはいかない」
「行動を開始する前に」緒方が発言した。「信頼の問題を解決すべきです。鹿島さんは内部に協力者がいる可能性を示唆しました」
「それについては」鹿島は三人を見渡した。「私が責任を持って調査した。結論として、この部屋にいる全員は信頼できると確信している」
緊張が少し和らいだ。
「では、明日から第一段階を開始する」鹿島は会議を締めくくった。「準備はいいか?」
全員が頷いた。運命の日が近づいていた。
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夜明け前、遠野はアパートで最後の準備をしていた。数時間後、彼らの人生は大きく変わるだろう。コンソーシアムとの全面対決が始まる。
スマートフォンが震えた。長谷川からだった。
「緒方さんと連絡が取れない」
遠野は眉をひそめた。「どういうことだ?」
「昨夜別れた後、彼女は資料を整理するために自宅に戻った。しかし、今朝から電話もメールも通じない」
「すぐに彼女のアパートへ行く」遠野は言った。「鹿島さんにも連絡を」
緊急事態だった。緒方は彼らの計画において重要な役割を担っていた。彼女は情報公開の一部を担当することになっていた。
遠野は急いで身支度を整え、緒方のアパートへ向かった。到着すると、すでに鹿島と長谷川が待っていた。
「応答なし」長谷川が言った。「インターホンも通じない」
「管理会社に連絡した」鹿島が付け加えた。「緊急時ということで、マスターキーで開けてもらえることになった」
しばらくして管理人が現れ、ドアを開けた。
アパートの中は静まり返っていた。しかし、一目で何かが起きたことがわかった。書類が散乱し、家具が倒れていた。緒方の姿はなかった。
「誘拐されたのか...」遠野はつぶやいた。
「これは」鹿島が床に落ちていた紙切れを拾い上げた。簡素なメモだった。
「計画を中止せよ。さもなくば彼女の身に何が起きるか保証しない」
三人は顔を見合わせた。
「コンソーシアムだ」長谷川が言った。「彼らは我々の動きを知っていた」
「内部に情報漏洩があったということか」遠野は困惑した。
「考えにくい」鹿島は首を振った。「むしろ、我々が追跡されていた可能性が高い」
「どうする?」長谷川が尋ねた。
重い沈黙が流れた。緒方の命が危険にさらされている。しかし、計画を中止すれば、彼らの努力は水の泡となる。そして、日本の解体計画は進行する。
「計画は予定通り実行する」遠野が決断した。「同時に、緒方さんを救出する作戦を立てる」
「どうやって?」長谷川は疑問を呈した。
「ヒントがある」鹿島がスマートフォンを操作した。「緒方さんのスマートフォンにはGPS追跡アプリが入っている。彼女の同意を得て、安全のために私が設定した」
画面には地図が表示され、赤い点が明滅していた。
「郊外の工業団地だ」遠野は確認した。「廃工場のようだ」
「分かれよう」鹿島が提案した。「長谷川さんは予定通り情報公開を担当する。遠野さんと私で緒方さんの救出に向かう」
三人は同意し、即座に行動を開始した。
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廃工場は曇り空の下、無機質な姿を晒していた。遠野と鹿島は車内から様子を窺っていた。
「警備はそれほど厳重ではないようだ」鹿島は双眼鏡で確認した。「入り口に二人、建物内に数人といったところか」
「彼らは誰なんだ?」遠野は尋ねた。「公安?それとも民間?」
「おそらく民間の警備会社だろう」鹿島は答えた。「コンソーシアムは公式な機関を使わない。痕跡を残したくないからな」
彼らは潜入計画を立てた。工場の裏手から侵入し、緒方を見つけ次第、脱出する。シンプルだが、リスクは高かった。
「準備はいいか?」鹿島はポケットから小型の拳銃を取り出した。
「武器を持っているのか」遠野は驚いた。
「最悪の事態に備えてだ」鹿島は冷静に言った。「使わずに済めばそれに越したことはない」
二人は工場に向かって動き出した。裏手の柵を乗り越え、注意深く建物に近づく。壊れた窓から内部に入ると、埃と錆の匂いが鼻を突いた。
「この方向だ」鹿島はGPSを確認した。「地下に向かうようだ」
彼らは古い階段を見つけ、慎重に下りていった。地下室は薄暗く、空気が重かった。遠い部屋から、かすかに人の声が聞こえる。
ドアの隙間から覗くと、緒方の姿が見えた。彼女は椅子に縛られ、男二人に見張られていた。怪我はなさそうだった。
遠野と鹿島は目配せし、同時に行動することにした。鹿島が何かを取り出した。スタンガンだった。
「行くぞ」
彼らはドアを蹴破り、部屋に飛び込んだ。不意を突かれた男たちは、抵抗する間もなくスタンガンで無力化された。
「緒方さん!」遠野は彼女の縄をほどいた。
「遠野さん...鹿島さん...」彼女は震える声で言った。「危険です。彼らは—」
その時、背後から新たな足音が聞こえた。振り返ると、スーツ姿の男が数人、拳銃を構えて立っていた。
「よく来てくれた」中央の男が前に出た。スターリングだった。彼の横には、日本人の男がいた。鹿島と似た風貌だったが、より老けて見える。
「兄さん...」鹿島がつぶやいた。
「久しぶりだな、総一郎」男は冷ややかに言った。
「鹿島俊二」遠野は名前を思い出した。「財務省OB、現在は国際金融コンサルタント」
「正確には、コンソーシアムの日本側代表だ」鹿島が説明した。「そして、私の実兄だ」
「家族の恥だよ、総一郎」俊二は嘆くように言った。「なぜ我々に逆らう?時代の流れは止められないのに」
「その『時代の流れ』とやらが間違っている」鹿島総一郎は毅然と言った。「国家を解体し、人々の生活基盤を奪うなど、許されることではない」
スターリングが前に出た。「興味深い議論だ。しかし、我々には時間がない。あなた方の『情報公開計画』を中止してもらおう」
「もう遅い」遠野は言った。「すでに実行されている」
「嘘をつくな」スターリングの声が冷たくなった。「我々はあなた方の全ての動きを把握している」
「本当に?」遠野は微笑んだ。「では、なぜ緒方さんを誘拐した?彼女を通じて我々に計画中止を強要するためだろう?」
スターリングは一瞬、表情を曇らせた。
「我々は、あなたたちが思うほど愚かではない」遠野は続けた。「緒方さんが危険にさらされる可能性は予測していた。だから、情報公開の実行日を前倒しした」
「何?」スターリングは動揺した。
「今この瞬間、世界中のメディアとネットに、コンソーシアムの実体と計画が公開されている」鹿島が言った。「もはや止められない」
「ブラフだ」俊二が言った。「我々のネットワークが何も検知していない」
「当然だ」鹿島は言った。「我々は従来のネットワークを使っていない。新型量子暗号通信を使って、検知されないチャネルを確立した」
「量子暗号...」スターリングの顔から血の気が引いた。「アメリカ国防省の極秘技術だ」
「プロジェクトリーダーが私の旧友でね」鹿島は微笑んだ。「日本のために特別に協力してくれた」
スターリングは携帯電話を取り出し、急いで何かを確認し始めた。その表情が徐々に変わっていく。恐怖、怒り、そして絶望。
「本当だ...」彼はつぶやいた。「各国メディアが一斉に報じ始めている。コンソーシアムの名前と、計画の詳細が...」
「我々の勝利だ」遠野は言った。
しかし、俊二は冷静さを取り戻した。「勝利?まだ終わっていない。君たちはここから生きて出られないのだから」
彼は部下に合図した。銃が三人に向けられた。
「日本政府高官を殺害したら、国際問題になるぞ」鹿島は警告した。
「事故死だ」俊二は冷笑した。「古い工場での不幸な事故。それに君はすでに停職処分になっている。知らなかったのか?」
銃を構える男たちが近づいてきた。遠野は状況を見回した。逃げ道はなさそうだった。
その時、突然の爆発音が響き、工場全体が揺れた。
「何だ?」スターリングが混乱した。
別の爆発音。そして、地下室のドアが開き、武装した特殊部隊が突入してきた。
「動くな!全員伏せろ!」
混乱の中、遠野は緒方と鹿島を床に伏せさせた。銃声が数発響き、悲鳴が上がった。
数分後、状況は鎮静化した。スターリングと俊二、そして彼らの部下は全員、特殊部隊に拘束されていた。
「無事か?」隊長らしき男が近づいてきた。「公安部特殊事案対策室だ。君たちの救出に来た」
「どうして...」遠野は混乱していた。
「総理大臣直々の命令だ」隊長は言った。「コンソーシアムの計画が明らかになった今、政府は断固たる行動を取ることにした」
鹿島は安堵の表情を浮かべた。「情報は確実に届いたようだ」
「世界中が動いている」隊長は言った。「各国政府が一斉にコンソーシアム関連施設を捜索している。資産も凍結された」
事態は思いもよらぬ方向に動いていた。コンソーシアムの計画が公になったことで、日本政府も動かざるを得なくなったのだ。
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一週間後、東京。遠野はテレビのニュースを見ていた。
「コンソーシアムと呼ばれる国際的な組織による『日本社会解体計画』の全容が明らかになり、世界中に衝撃を与えています。この組織は日本の食料安全保障や水資源を支配下に置き、実質的に国家主権を弱体化させる計画を進めていたとされています」
映像は各地の抗議デモに切り替わった。
「全国各地で『食料主権を守れ』『国家主権死守』を訴える市民集会が行われています。政府は緊急対策として、食料安全保障基本法の制定と、戦略的資源の保護政策を発表しました」
次の映像は国会議事堂だった。
「臨時国会では、コンソーシアム関連企業の資産凍結と、関係者の責任追及を求める声が与野党から上がっています。総理大臣は『国家主権と国民の生活を守ることを最優先する』と表明しました」
遠野はテレビをオフにした。窓の外には晴れた青空が広がっていた。鹿島と緒方が到着するのを待っていた。長谷川は地方での講演のため、今日は欠席だった。
インターホンが鳴り、二人が部屋に入ってきた。
「大きな変化だ」鹿島は言った。「予想以上の反響だ」
「国民の危機感が想像以上に強かったのでしょう」緒方が言った。「彼らはずっと、何かがおかしいと感じていたのです」
「これで終わりではない」遠野は言った。「コンソーシアムは打撃を受けたが、完全に倒れたわけではない。彼らは形を変えて復活するかもしれない」
「だからこそ、我々の『第三段階』が重要になる」鹿島はタブレットを取り出した。「システムの再構築だ」
スクリーンには、新たな社会構造の青写真が表示された。地域分散型のエネルギーシステム、自給自足型の食料生産ネットワーク、草の根民主主義の強化策。いずれも、大きな力に翻弄されない、強靭な社会を作るための計画だった。
「長い道のりになります」緒方が言った。
「そうだ」遠野は同意した。「しかし、第一歩を踏み出した。日本は滅びない」
彼らは窓の外に広がる東京の風景を見た。いつもと変わらない日常の光景。しかし、確かに変化は始まっていた。表層の亀裂から深層の闇へ、そして再生の鼓動へ。静かに、しかし確実に。
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三ヶ月後、遠野は久しぶりに故郷を訪れていた。地方の小さな町だが、ここでも変化の兆しが見えていた。
休耕地だった田畑が再び耕され、若者たちが農業を始めていた。食料自給率向上プロジェクトの一環だ。地元の学校では「食育」と「地域学」が新たに導入され、子供たちは地元の農家から食の大切さを学んでいた。
町の広場では、「地域エネルギー協議会」の設立集会が開かれていた。太陽光や小水力など、地域の自然を活かした発電プロジェクトだ。国のエネルギー政策の変更を待つのではなく、自分たちで行動を起こす―その姿勢が全国に広がっていた。
遠野は丘の上に立ち、町を見下ろした。彼のスマートフォンが鳴った。鹿島からだった。
「どうだい、故郷の様子は?」
「変わり始めている」遠野は答えた。「少しずつだが、確実に」
「全国で同じだ」鹿島の声には希望が満ちていた。「『草の根再生ネットワーク』の参加者が百万人を超えた。政府も本気で改革に取り組み始めている」
「コンソーシアムの動きは?」
「まだ潜伏している。しかし、我々の監視の目は緩めていない」
通話を終えると、遠野は深呼吸した。澄んだ空気が肺に広がる。
彼は考えた。日本は救えるのか?この国に未来はあるのか?
答えはまだわからない。しかし、確かなのは、諦めなければ可能性はあるということ。崩壊は避けられない運命ではなく、人々の選択によって決まるものだということ。
遠野の目の前で、田畑で働く人々の姿が夕陽に照らされていた。彼らの動きは力強く、生き生きとしていた。
そこに、遠野は「再生の鼓動」を感じた。静かだが、確かな鼓動を。
それは新しい日本の始まりだった。
(了)