仲良し作戦
ダンス練習は初日からフルスロットルで進行する。
アップテンポの曲調に合わせて凛香さんが手を叩き、俺はそのリズムに食らいつく。
「ワンツースリーフォー、ファイブシックスセブンエイッ、ターンしてから決めね、やれそう?」
「はい、なんとか!」
俺は元気良く返事をするが、油断すると足がもつれそうになる。
ダンス同好会の活動はイメージに反して中々ハードだ。付け焼刃で一曲をなんとか習得した俺だが結局ダンスは素人レベル。一夜漬けで覚えた振付けも誤魔化しにしかならなかった。こうして経験者の中に放り込まれれば、自分が未熟である事をすぐに痛感させられる。
凛香さんの個人アカウントでは緩いダンスばかりが目についたが、同好会として踊るダンスはすごくしっかりしたもので、私立のダンス部と比べても遜色がないほどだ。あくまでその手のショートダンス動画は片手間の遊びらしい。正直舐めてかかっていたのを後悔した。
「はーい、皆お疲れー」
凛香さんがスマホを操作し音楽を止めた。同好会の活動時間はちょうど二時間、運動部よりやや短いくらいか。窓の外はすっかり暗くなっていた。
「ふぅ、お疲れ様ユージン。よく頑張ったね」
「奈々子さん、お疲れ様っす。思ったよりハードでビビりましたよ」
「ビビったのはこっちの方。なんか良い写真を撮る為だからーとかってアンリちゃんに言われてるんでしょ? 踊れなくても誰も怒らないのにマジメにやってるからさ」
「ははっ、俺は新しいことを覚えるの好きなんすよ」
「そ、そう……変わってるね。とにかく良い刺激になったよ、これからもよろしく」
「はい、よろしくお願いします! 明日までにはもっとクオリティ上げときますんで!」
「……やっぱりちょっと変だね、ユージンって」
「?」
奈々子さんはそう言うとくるりと背を向けて上着を取りに行った。
俺は伸びをしつつ深呼吸をする。久しぶりの運動による疲労感はとても心地良く、充実感に変換されていく。
「……ちょっと」
「おわっ、なんだよ」
と、そこへ始まってから比較的静かだった間宮が俺の無防備な脇腹を突いてくる。
「当初の目的忘れてないでしょうね? サークルのレギュラーみたいな顔しているけれど」
「凛香さんと奈々子さんとは結構打ち解けられたと思うけどな」
「えぇ、それは認めるわ。すごいコミュ力と適応能力だと思う……でもね!」
間宮はくわっ! と目を見開いて、
「肝心の荒木さんとは全然仲良くなれてないじゃない!」
「あー……」
俺は横目で荒木を見る。ダンス中も黒マスクを外すことはなく、今も難しい顔をしてストレッチ中だ。
「荒木さんはユージン君と同じクラスでしょう? 普通に話しかけられないの?」
「無茶言うな。お笑い担当の土門でさえ荒木には話しかけない、それくらい徹底した不愛想なの、あいつは」
「人見知りなのかしら」
「さぁな。少なくとも富士山の頂上で友達百人とおにぎり食べたいって思うタイプじゃねぇだろうよ」
「なるほどね」
何がなるほどなんだ。
「じゃ、富士山の頂上まで連れて行けば良いんじゃない」
「お、おい」
鼻を膨らませてそう言った間宮は大手を振って荒木の元へ向かう。ついでに俺の腕を掴んで。何をする気だ。
「荒木さん、お疲れ様!」
声をかけられた荒木が切れ長の目をこちらに向ける。
「なに」
茶髪にピンクのグラデーションがかかった派手な見た目は、彼女が小柄だということを差し引いてもかなりの威圧感を放っている。
「ダンス上手いのね、途中からシャッター押すことも忘れて見入っちゃった! あれだけ動いても辛そうな顔一つ見せないで踊り続けるなんてすごいわ!」
「そう、どうも……」
荒木の眉が少し上がった。
間宮もその瞬間を見逃さなかったのか、すぐさまスマホを取り出し畳みかける。
「ほら見てこれ! さっき撮ったものを転送したのだけれどね、この表情! こんなに可愛い見た目なのに一瞬の表情は鋭くも情熱的なの! どう、カッコ良く撮れてるでしょ⁉」
「そう、かな」
間宮のスマホを背後から覗き見ると、そこには右足を振り上げた瞬間の荒木を切り取った画像が映しだされていた。躍動感があって良く撮れている、と思う。
ダウナーな荒木が感情を露わにしているように感じられ、新鮮なギャップに俺は思わず口に出していた。
「へぇ、良いじゃん。曲に合った力強い感じがするな」
「花水……あんた写真詳しいの?」
「いいや、見たままの率直な感想」
「そう」
荒木は首の辺りのピンクの毛先を指で弄る。
そういや初めて名前を呼ばれた気がするな。
間宮が後ろ手に親指を立てるサインを作ったのが見えた。グッジョブってことらしい。俺は何気なく言っただけなのでちょっと恥ずかしい。
「写真部って熱心なんだね、私なんか撮っても面白くないのに」
「荒木さん可愛いしキレイだもの。どこを切り取っても画になるし撮っていて楽しいわ!」
ははーん、なるほど。褒め殺しというわけか。
間宮は荒木をその気にさせて笑顔を引き出そうとしているようだ。
「その髪、どこでやってもらってるの? 素敵な色よね」
「……札幌の美容室」
間宮は色々な角度から荒木とのコミュニケーションを試みる。クラスでの荒木はいつも決まったメンバーとしか話さないから、こうして間宮と女子トークをしているのは結構珍しい。
ところで、俺がここにいる意味ってなんだろうか。
置いてけぼりを食らった俺に間宮は背中に回した手で招くようなサインを示す。
まさかこの会話に俺も入れと? マジで?
「個性的でオシャレだし美人でとっても可愛いわ! ね、ユージン君もそう思うでしょ⁉」
「お、おう、まぁ、そうかも……?」
味方が捕れないパスを出すな。めちゃくちゃ反応しづらいだろうが。
シドロモドロになった俺に荒木はドン引きした目を向ける。
「……キモ」
「いやいや、今のは間宮のパスが悪いだろ⁉ 俺が荒木をベタ褒めするのも変だし、俺は間宮に言わされたのっ!」
「じゃあ、荒木さんは可愛くないの?」
「いや可愛いけど」
「きっしょ」
「だぁかぁら、違うんだって!」
クッソ、ノリが通じないちびギャルめ。これが野郎連中ならそこそこウケるのにっ!
「許してあげて荒木さん、ユージン君のこういうところは今に始まったことではないの、ほんの数日前だって私のスカート———」
「はいはいはい! 活動はもう終わったんだから早く帰ろうぜ! いつまでも残ってたら先生に怒られちゃうよ!」
俺は強引に締めくくり、間宮の背中を押して機材の撤収に向かう。
「ちょっと、まだ荒木さんとお話ししたいのに!」
「いいから来い! これ以上喋らせるか。また明日な荒木!」
俺たちは一瞬、荒木の方を振り返ると、
「……」
本当に僅か。荒木は少しだけ目を細めていた。まるで……。
「え、笑った……?」
間宮が呟くと荒木はハッとした様子でマスクに手を触れ、荷物を持って出て行ってしまった。
俺たちは示し合わせたように互いを見合う。
「今、笑ったわよね⁉」
「そうかもな」
「中々手強いから、くすぐってでも笑わせようとしたのだけれど、一歩前進ね!」
そんなことをするつもりだったのか。荒木がブチギレるぞ。
「明日はもう一度マスクを取ってもらうようにお願いしてみようかしら」
「……なぁ、荒木が笑うのはそんなに重要か? お前が撮ろうとしている写真に絶対必要なものなのか?」
このままサークルに居続ければ荒木の態度が柔らかくなるのは時間の問題かもしれない。ただ、彼女がマスクを外して笑顔を撮影させてくれる、とは俺には到底思えないのだ。
「必要よ」
熱を帯びた瞳を向ける間宮。
俺は頭を掻くしかなかった。
「じゃあ、なんとかしないとな」
「えぇ、きっとマスクを取った素顔も魅力的なはずよ!」
撤収作業を終え、俺は帰路につく。
寒風が火照った身体を冷ましてゆく。吐いた息が白くなってすぐに消え、もうじき雪が降ることを嫌でも予感させた。
明日はマフラーが必要だな、と考え、コートの襟を手繰り寄せる。
「マスクを外さないのはニキビが気になる、とかそんな理由じゃないよな……」
周りに誰もいないことを確認して呟いてみた。
同好会の三人の中で最もレベルが高いのは荒木だ。リズム感、表現力、動きのキレ、素人の俺から見ても一番上手いと分かるほどだ。俺でもへばってしまう練習メニューを荒木はマスクをしたまま平然とこなしていた。きっとずっと重ねてきた努力の賜物だろう。
「顔にコンプレックスでもあるのか……」
俺はダンス中の荒木の横顔と、笑ったように見えたつい先ほどの顔を思い出した。
「あんなにダンスに熱中しているのなら———」
きっとマスクの下はとんでもなく良い顔をしているに違いない。単なる顔の造形の美醜の話じゃない。夢中になっている人特有の輝いた顔をしているはずなんだ。
あれだけ踊れるならダンスが好きなんだろ? 何でマスクをする? 何で難しい顔してるんだ。夢中になれるものがあるのに何が不満なんだよ。
間宮の言う通りだ。
「素顔も魅力的なはずなのに……勿体ねぇ」
俺は走っていた。
なぜ走っているのかは分からない。ただ、走らずにはいられなかった。
———途中で凍った水たまりで滑って転んだけどな。