初めての依頼
そして俺は間宮師匠から基本的なカメラの使い方のレクチャーを受けることになった。写真のことになるとモードが切り替わるのか、表情が動揺と赤面から一転して引き締まったものになる。
「そうそう、左手はカメラじゃなくてレンズに添えるの……もっと脇を締めて」
間宮の細い指が俺の肩や肘に触れる。まさか本当に手取り足取りだとはな。関係ないが、この言葉の響きって少しエロくないですかね。
なんて邪念が混ざるのは致し方ないことで、師匠モードの間宮は凛々しく、元の見た目と相まって非常に大人の雰囲気があるのだ。
さっきまで騒いでたくせに、参るよ。
———と、そこへ、トン、トトトン、とリズミカルなノック音が響いた。
間宮は不審な気配を察知した猫の如く俺から飛び退き、ドアの方に振り返る。
「……っ! ど、どうぞっ!」
確かにあらぬ誤解を受けそうな距離だった。別に名残惜しくはない。全然ない。断じて。
「こんちゃー! あーアンリちゃんいたー、ここが写真部なんだー」
勢い良くドアが開くと、これまた威勢の良い声と共に一人の女子がズカズカ入って来た。
明るい茶髪を鎖骨の辺りまで伸ばし、前髪をセンターで分けている。
「凛香さん! どうしたんですか、依頼ですか⁉」
この学校では珍しいタイプの女子だ。ダボっとしたスウェットパンツに、かめ〇め波でも喰らったように胸と腹の布が無いパーカー、その下には見せる用の短いインナーを着ていて、縦長のヘソがガッツリ見えている。いくら運動系の部活時は服装自由でも、それは校則的にどうなんだという出で立ちだった。
俺は彼女の上履きのデザインに青のラインが入っているのを確認した。この学校では制服のリボンやネクタイは統一のデザインだが、上履きのラインは色分けされている。三年が赤、二年が青、一年は黄緑だ。つまり彼女は俺たちの先輩だ。
「どんな写真でも撮りますよ、どんなのが良いですか⁉」
お前はちょっと落ち着け。
その先輩は「へー」とか「ふーん」とか言いながら興味深そうに部室を見渡し、俺と目が合うとイタズラっぽく口の端を上げて、
「アンリちゃんの彼氏?」
「ち、違いますよ。ユージン君は私の助手です」
「意味分かんねぇだろ、部員ですよ部員」
「なんだそっかー、写真にしか興味のないアンリちゃんにもついに好きピができたと思ったのにー!」
ニコニコ笑った先輩が背中を叩いてくる。当たり前だが土門よりも優しく、叩かれる俺としても百万倍嬉しい。
「はは、それは無いっすよ。俺は写真部に入ったばかりですし、間宮と会ったのもつい先日なんです」
「ん……あぁ! よく見たら玄関のポスターの子じゃん! あっはっは、バスケ部は奇跡の一枚だとか言って笑ってたけど実物の方もまあまあじゃんね⁉ アレ良かったよー、その内二年の女子から話しかけられるかもよ! そうだインスタやってる? ID教えてよ、フォローするから」
「マジっすか、ぜひぜひ」
俺は即座にスマホを取り出す。
「前田凛香でーっす、よろしく!」
「花水勇仁です、おなしゃす!」
凛香さん、なんて距離の詰め方だ。キャバクラってこんな感じなんだろうか、とか考えつつ俺はにやけそうになるのを押し殺してスマホを操作する。
エロい恰好なのに清涼感があり快活な雰囲気がまことに良い、良い匂いもするしな。ぜひお近づきになりたいものだ。ちなみに、これは先ほど分かったことだが間宮からは少し薬品ぽい匂いがする。けっ、色気が無いぜ。
届いたフォロー申請を許可し、凛香さんのアカウントを見てみるとダンスをしている動画が沢山流れてきた。
そのあまりの輝きに俺はスマホを落としそうになり———
「きょ、今日はどんな御用で⁉」
一発でホイッスルが吹かれるであろう間宮の強引なカットプレーで俺は正気に引き戻された。邪魔をするな、アンスポだ、累積で退場にしろ。
「ったく……、まあとにかくどうぞ、凛香さん。飲み物要りませんか? 結構余ってますけど」
「ありがと、大丈夫だよ」
立ち上がって俺の指定席の向かいの椅子を引いて勧める。年上には過剰なくらい丁寧に、というのが十六年間で培った自分なりの処世術だ。
椅子に座った凛香さんは間宮の方に向き直って、
「うん、そうなの。アンリちゃんに写真を撮って欲しいんだ」
「き、来たああああ! ユージン君、本当に来た!」
そうだな、まさかあんなポスターで本当に依頼が来るなんて。
これは間宮のセンスが良いからなのか、それとも俺という素材のおかげか。後者であることを切に願う!
そして凛香さんは依頼内容を話し始めた。
凛香さんの依頼は端的に言うと、自分たちの踊っている姿を撮ってほしい、ということだった。
今年度より凛香さんは同級生と後輩の三人でダンス同好会を設立したようで、日々練習をしては完成したダンスを動画にしてSNSにアップしているらしい。言われてみればヘソ出しの派手な恰好はギャルと言うよりもダンサーと言った方が似つかわしい気もする。
「来年入学してくる一年生を入れて、同好会じゃなくて部活にしたいんだ~」
曰く、部活の新設には申請時点で五人以上の部員と顧問の教師が必要なのだという。
「動画は結構上げてるんだけど手応えなくてさ、なんとかして部員を集めたいんだよ~!」
凛香さんは甘えるように間宮にもたれかかった。
「アンリちゃんが撮った写真をネットにアップすればダンスやってみたいなって思う人も増えると思うんだ、ね、お願い、私たちの宣伝に協力して~!」
間宮はがっしり受け止めつつ、暗闇の洞窟を進む探検隊の隊長みたいな、実に頼もしく輝いた表情で言った。
「その願い叶えましょう!」
お願いされてから受けるまでのなんとスムーズな事か。未来の猫型ロボットだってもう少し渋るだろう。
「安請け合いして大丈夫かよ」
「ユージン君、あなたってナチュラルに私を舐めている節があるわよね」
ギクリ。
「刮目しなさい。私が何故天才女子高生カメラマンと呼ばれているか、自ずと分かるでしょうから」
「さっすがアンリちゃん! 頼りになるカメラマン!」
凛香さんは拍手をして褒めそやし、間宮はふふんと鼻を鳴らした、
『天才』はお前以外から聞いたことないぞ。
「それで、具体的にはどんな写真が良いですか?」
「うーんとね、ほらこれ見て。ダンス強豪校のアカウントなんだけど、こんな感じで———」
二人が撮影の打ち合わせを始め、手持無沙汰になった俺は改めて凛香さんのアカウントを覗いてみることにした。
若者に人気のある数十秒のキャッチーな音楽に合わせて、凛香さんを含めた三人の女子が躍っている動画が目に留まる。ダンスと言ってもコンテストに出たり、大勢の前で披露することは想定していないようなとても簡単なものが多い。リズムに乗せて腕を振るだけだったり、曲の中の指示に合わせてポーズを取るようなものだ。女子が内輪ノリでやっているだけの活動な気もするが彼女は本気でこのサークルを部活に昇格させようとしているのか。それとも同好会の公式アカウントの方にはちゃんとしたダンス動画が載っているのだろうか。
どちらにせよ、今時この手のダンス動画はネットに溢れているわけで、何の変哲もない公立高校のダンスサークルを魅力的に写すというのはかなり難しそうだ。
そもそもダンスとは振付がある動的なもので、写真とは瞬間を切り取る静的なもののはず。動画ならまだしも写真で宣伝なんて相性が悪くないか?
と、俺が写真について思いを巡らせていると、間宮が俺の腕を掴んだ。
「行くわよ」
「どこに?」
「撮影に決まってるじゃないの。ほら機材運ぶの手伝って」
「へいへい」
ついさっき依頼が来てもう撮影か。行動力の化身みたいな女だ。凛香さんも驚いてんじゃねぇか。
しょうがない、とりあえず行ってみるとしよう、写真部初出動だ。