寒い日は寄り添って、
朝チュンだ。
朝日差し込むベランダの向こうでスズメが鳴いているのだから朝チュンだ。別に裸の女が隣で寝ていなくても朝チュンには違いない。
結局ロクに眠れなかった。
時刻は午前七時四十分。天気予報は今日も快晴で最高気温がプラスにならない見込みを伝えている。
先ほどから廊下を行き来するスリッパの音が聞こえる。間宮が身支度を整えているのだろう。寝起きの姿を見られたくない乙女心ってやつか。
頭はボーっとするし目がショボショボする。俺はスウェットを着替えつつ待つ。
ややあって、ブラウンのニットに黒のワイドシルエットパンツという冬らしい装いで間宮がリビングにやってきた。
ソファに座った俺は首を捻って見た。うっすらとメイクをしているようだがまだ眠そうな目をしている。
「おはよう……もう起きていたのね。ゆっくり寝られた?」
「おはよ、バッチリだ」
「嘘ね、目の下のクマすごいじゃない。やっぱり私がリビングで寝るべきだったかしら……。帰るのは午後でも構わないからベッドで寝直す?」
「いやいいよ。チャンスは午前中らしいから」
「チャンス? 何の?」
「シマエナガに決まってんだろ。天才カメラマンが一度の挑戦で簡単に諦めるわけねぇよな?」
何を今さら、目を細めつつ言ってやった。
一つのことにここまで一生懸命になれる奴を初めて見たんだ。この天才といれば、いつか俺にも夢中になれる何かが見つけられる、間宮にはそう思わせてくれるだけの何かがある。
宙ぶらりんな俺にできることなど無いのかもしれない。でも、もし俺にやるべきことがあるとするならば、それは、前に進もうとする人の背中をほんの少し押してやることなのかもしれない。その人が夢中であり続ける為に。
とまぁ、長い夜を眠らずに過ごした俺は、こんなことを延々と考えていた。
「あ、ああ当たり前よ、そう、私もちょうどその提案をしようと思っていたのよ!」
「その割には起きるの遅かったな」
「う、うるさい! そうと決まれば早速向かいましょう! リベンジよ!」
相変わらずの見栄っ張りについ肩をすくめて笑ってしまう。
だが、やる気になってくれて何よりだ。
「うし、今日こそシマエナガの姿を撮ってやろうぜ」
「珍しくやる気じゃない。急にどうしたの? 昨日の写真愛好ツアーで写真部としての自覚が生まれたのかしら」
「俺は最初からそこそこやる気あるよ、だからこそここまで付き合ってんじゃねぇか……、いいから準備しろよ」
「素直じゃないんだから、でも、ユージン君のそういうお人好しなところは前からだものね」
「うるせ…………ん、前から?」
間宮はドタバタとダウンジャケットを取りに部屋へ戻り、俺はいそいそと機材が詰められた巨大バッグを背負う。
いよいよ間宮の助手らしくなってきやがった……、ま、それも悪くないか。
×××
「いざ円山!」
「鎌倉武士かよ」
兵の如き勇ましい声を上げた間宮がマンションのロビーを抜けて駅の方へ歩き出す。目的地は昨日と同じ円山公園だ。
朝日の眩しさに目を細める。けれど光があるからといって温かいわけではない。気温は氷点下、夜の冷気がまだ街を包んでいる。
「先に朝飯食ってから行こう……ぜ…………」
前を行く間宮に声を飛ばそうとしたのだが、尻すぼみになってしまう。同時に足が止まった。まるで地面に縫い留められたように前につんのめりながら、俺はその場で緊急停止した。
奇跡が起こったのだ。
あまりにも自然にそこにいたものだから、何気ない日常の光景として見逃してしまうところだった。
白くて、小さくて、丸い、もふもふの———、スマホで調べたとおりの姿でそこにいた。
シマエナガだ!
うっすらと雪の積もった郵便ポストの上に二羽のシマエナガがちょこん、ちょこんととまっている。綿毛のような羽毛を膨らませ、黒くつぶらな瞳でじっとこちらを見つめている。
マジか!
「ま、ままままままま間宮……っ、間宮っ……シマエナガだっ」
俺は空中を掻くように必死に右手を動かして間宮を呼ぶ。もちろん大声は出せない。
だが、間宮はこちらに気づく様子も無く鼻歌交じりに遠ざかっていく。
この場から動けばたちまち飛び立ってしまう気がして、俺は咄嗟に屈んで地面の雪を両手ですくい上げた。
「気づけ、バカッ」
今日の雪は水分を多く含んだベタ雪だったようで二度握るだけで雪玉になった。俺はそれを間宮の無防備な後頭部目がけ、ダブルプレーを成立させるベテラン内野手さながらの鮮やかさで投げつける。
ボコン! と音を立てて雪玉が砕け散った。見事クリーンヒット。少年野球の経験が活きたな。
間宮は頭を押さえて勢いよく振り向く。
「いったぁぁぁっ! ちょっと! 今雪玉投げたの⁉ 雪玉で遊んじゃいけませんって道産子なら小学生の時に習うわよ⁉ 義務教育からやり直しなさい!」
「静かにしろっ、これ、これ見ろっ」
「何よ、ポストがどうかし———ああああああっ! しししシマエナガ!」
「ば、バカ、声、声押さえろ……っ」
幸いシマエナガは二羽ともポストから動いていない。
再び視線を間宮に移すと、既に撮影モードに入っていた。
「……っ」
巨大レンズ搭載のミラーレスカメラを構え、忍び足でジリジリとこちらへ向かって歩いてくる。
「……動かないでね」
小さく呟いたのは俺に対してか、それとも被写体にか。眼球運動だけで間宮とシマエナガを交互に見る。
車道を通過する自動車の騒音は聞こえなかった。息遣いすら聞こえてきそうなほどの静寂を感じる。
間宮の指がシャッターボタンに触れた。
シマエナガ達は気にする素振りも見せず、戯れるように一羽がもう一方の後頭部をくちばしで弄っている。
カシャシャシャシャ。
シャッター音が静寂を切り裂いた。
その瞬間、まるで凍りついた時が解けたように、シマエナガがふわりと羽ばたいた。ポストから飛び立ち、青い寒空へと消えていく。
間宮はファインダーから目を離し、ふにゃりと柔らかく微笑んだ。
「……撮れた」
その声には、確かな手ごたえが滲んでいた。
俺の時も動き始め、一目散に駆け寄る。
「どんな感じだ⁉」
「これを見なさいな!」
間宮は雪を踏みしめて小さく跳ねながら俺の肩にぐいっと寄せるように、モニターを突き出す。
一羽がもう一方の後頭部をつい、とつついている。されるがままの方は目を細めてくすぐったそうに首を傾げて体を丸めていた。まるで雪玉が二つ、仲良く寄り添っているように見える。寒さの中でも、その光景は不思議と暖かさを感じさせた。
「愛情表現? 求愛行動? メジロなんかは相互羽づくろいをすることもあるって聞くけれど、同じスズメ目だからシマエナガもそうなのかしら……いえ、そんなことは私には関係無いわね、何の偶然でも構わないわ! こんな写真を撮ることができた! カメラマンの私にはそれで充分よ!」
「良い写真だな、きっと皆喜ぶよ」
「でしょ!」
俺が言うと、間宮の表情が弾ける。凍えそうな朝の空気も忘れたように、カメラを胸に抱きしめ、宝物を手にした子供のような顔で頷いた。
「それで? タイトルはどうする?」
少し考え込むように視線を落とし、それから満足げにふっと笑って俺を見上げる。お互いの白い息が顔に当たりそうだった。
「寒い日は寄り添って、———っていうのはどうかしら⁉」
そう口にした間宮の頬は、朝日に照らされてほんのりと赤かった。
×××
帰るのに利用する路線は始発から運行を再開していた。目的を果たした俺たちは円山公園に向かわず、その足で帰宅することに決めた。
辛うじて確保できた特急列車の席に座り、俺と間宮は並んで揺られていた。
「ようやく座れたな」
「自由席に座る為に三十分もホームで待ったのは間違いだったかしら……」
当たり前に窓側に座った間宮が何かを両手で擦り合わせる。化粧用のコンパクトにも見える。
「それ何?」
「ん、充電式のカイロよ。手を温めるために使うの。う~さむさむ……」
「ずっる! お前だけ良いもん使ってんな、俺にも貸してくれよ!」
「ちょ、止めなさいっ、私がまだ温まってる途中でしょうがっ!」
奪い取ろうと手を伸ばすが、させまじとカイロを胸に抱く間宮。
「あ~あ、昨日は俺がカイロあげたのにな~、そういうことするんだ~。天才女子高生カメラマンは助手に厳し過ぎるなぁ」
「あーもう! はいはい、昨日はありがとうございました! これでいいでしょっ、半分こ!」
何を思ったか、間宮は俺の右手に左手を重ねる。その間にカイロが挟んであった。
「私もユージン君も温かくて解決ね、私の右手はずっと冷たいけれど」
カイロがズレないように指を絡ませてくる。するりと入り込む細く柔らかい指の感触。
「そ、そうだな……これで解決だ」
間宮はぷいっと顔を車窓の外に向けた。
合理的、実に合理的判断だ。
意識した方が負けだ。間宮だって気にしていないからこそ、こういうことを平気でやってくるんだろうからな。……昨日はめちゃくちゃ意識してたクセに。
それから列車に揺られることしばらく。
掌がポカポカしているからだろうか、今になって睡魔がやってきた。
カクン、と意識が落ちかけたところでハッとする。危うく、タイミングを逃すところだった。こういうのは後回しにすると渡しづらくなるからな。
俺は左腕を伸ばし、前の座席の下に置いたレジ袋を掴む。昨日、泊まりが決まって駆け込んだディスカウントストアのものだ。そして、その中には着替えの他に、間宮に連れまわされる途中でふらりと寄った百円ショップの袋も入っている。
俺は中身を取り出し、
「……間宮、余計なお世話かとも思ったんだけどな……前に言ってたのを思い出して、良かったらこれ———」
昨晩から今朝にかけて、ずっと無駄な考え事をしていたわけではなかった。眠れないから夜通し作業していたのである。
俺はその成果物を撮影旅のお礼として渡そうとしていたのだが———、
「すぅ……すぅ……」
肝心の間宮は穏やかな寝息を立てて眠ってしまっていた。
「しゃあねぇ、部室で渡すか」
わざわざ起こしてまでやることじゃないしな。こいつはこいつで相当疲れていただろうし、睡眠も充分ではなかったかもしれない。
途中停車駅が差しかかってきた頃、減速のブレーキがかかった。
「……う、ん……」
バランスを崩した間宮が俺の方へ体重をかけてきた。俺が肩で支えてやると、ささやかなうめきを発しただけで、肩を枕にして眠り続ける。
俺も眠いんだけど……。
眠れそうにないな。ただ、これは少し役得かもしれん。間宮の隣にいる俺しか経験できないことだろう。
仕方ない、到着まで支えてやるとしよう。
「寒い日は寄り添って、か……」
右手に伝わる温かさを感じて、俺は小さく呟いた…………おい、ヨダレは勘弁してくれ。
第2章・寒い日は寄り添って、完結です。
次章で最後になるかと思います。
完結までぜひお付き合いください。




