写真部の朝は早い
二日経って問題の土曜日がやって来た!
休日に始発で札幌に向かうだなんて、裁判なら絶対勝てるくらいの横暴だ。
時刻は午前五時ちょうど。平日ならまだスヤスヤタイムである。眠気が瞼を下ろそうとするが洗顔をしてこれになんとか抗う。
なんだかんだと思いながらも出発の準備をしてしまっているのは何故だろう。きっとあれだ、北海道に引っ越してきたものの観光らしいことは何一つしていないから遠出をすることに多少の期待をしてしまっているのだ。遠足、そうこれは遠足のようなもの。せっかく行くのだから楽しまねば、と潜在意識下で働きかけているのだ。
などと歯を磨きながら必死に自己暗示をかけていると、不意にスマホが木琴の音色で着信を知らせる。
「……」
猛烈に嫌な予感がする。
しばらく通話に出ずに着信音を聞くが一向に止む気配がない。しかたなく画面を覗き込むと案の定、『間宮アンリ』と表示されていた。
休日の早朝から電話をかけてくる無神経さにうんざりしながら『応答』ボタンをタップ。
「ユージンく~ん! あ~そび~ましょっ!」
フェスのコール並みの大声が鼓膜を突き破って頭蓋に響いた。
「るせぇな……今何時だと思ってやがる……」
「五時ちょうど! 寝坊してないかと思って!」
「ご心配なく、ちゃんと起きてるよ……」
「あらそうなの、じゃあ早く行きましょう」
「始発は五時五十分だろうが、早く行くも何もない」
「師匠を待たせる弟子なんて———ゴゴッ———、風邪引くじゃない、早く出てきてよね———ゴゴッ」
間宮の音声にやたらとノイズが混じる。これは風の音か。
「もう駅に向かってんの? 気が早ぇな」
「ううん、今ユージン君の家の前よ。準備できたら出てきてね、それじゃ———」
一方的に通話が切られた。
は? 今なんつった? 俺の家の前?
俺は『メリーさんの電話』という怪談を思い出しながら、出動する消防士並みの速度で階段を駆け下りる。鍵を開けて躓きかけて玄関ドアを開けた。
「おはよう! 良い天気になりそうね!」
外はまだ夜と思えるほど暗いのに、太陽の如き笑顔の少女が手を振っていた。
こいつは本当に、まさかと思ったらそのまさかを実現する奴だ。もはや呆れるしかない。
「……何で俺の家まで来てんだ、ってツッコミは置いておくとして、どうやって俺の家が分かった」
「土門君に聞いたのよ、やけに楽しそうだったのだけれど何故かしら」
何でだろうねぇ、きっとスケベな妄想を膨らませてニヤニヤしてんだろうねぇ!
「ほら、早く着替えて準備してちょうだい、あ、勿論、カメラも持ってね」
そう言った間宮は、厚手の黒いダウンジャケットにナイロンのズボン、頭にはファー付きのパイロットキャップを被って防寒対策はバッチリの姿。背中には登山にでも行くのか、というほど大きなリュックを背負っている。
「まだ時間かかるから入れよ」
俺は半身になって招く。
「まだ朝早いし、ご家族に迷惑じゃないかしら……」
「休みの日は昼まで寝てるから気にすんな、それともそこで待ちたいか」
そういう常識的な気遣いができるなら、ぜひ俺にもそうしてほしいもんだ。
「お、お邪魔します」
肩を縮こまらせながらおずおずと玄関に入ってくる。
それにしてもすごい恰好だ。とてもデートに行く女子の姿ではない。やはりこれは撮影遠征らしい、浮かれなくて良かったぜ。
ダイニングまで案内して椅子に座らせる。お客さんには違いないのでインスタントの紅茶を淹れ、砂糖を適当にぶちこんで出してやる。いきなりのことだから大したもてなしは出来ないけれども、間宮だってそんなことは期待していないだろうから良しとしよう。
「ありがとう……態度に似合わず妙にスマートね」
「ん」
泡立つ歯磨き粉で口がいっぱいになる。間宮がカップに口をつけるのを見届けて俺は洗面所に戻った。
口をゆすいで深呼吸をしてから呟く。
「長い一日が始まりそうだ……」
洗面台の鏡の中の男は早くも疲れた顔でこちらを見ている。
どうか俺にとって役得な事が一つでもありますように!
俺は信じてもいないラブコメの神様に都合良く願う。
こうして俺と間宮は日が昇るよりも早く、札幌へ向かうのだった。
×××
最寄り駅から札幌までは乗り換えなしで一時間弱の道のり。
終点が目的地なので安心してひと眠りできるなー、と眠気を誘う列車の振動に身を任せて呑気に思っていたのだが、やたらと張り切る間宮がそれを許してくれない。
「北海道では列車のことを汽車って言うのよ。もう汽車が走る時代ではないのにおかしいわよね、お年寄りに多いけれどほとんど方言と化しているのよ」
とか、
「彼は若い頃、他の芸術家同様絵描きでもあったの。写真のことを好事家の遊び程度にしか思ってなかったのね。でも画塾のシュルレアリスト達との交流を通して写真は表現方法たりうると理解していったの。そこからはもう怒涛の勢いよ、博物館の為のメキシコ調査団の一員となったり、映画の助監督を務めたり、戦争の時は捕虜になったけれど三度目の脱走に成功してフランスに帰ったのよ! 濃密な人生よね~。きっとそれだけ芸術としての写真に夢中だったんだわ、私にも少しは気持ちが分かる気がするもの! ん、そういえば朝ごはん食べてないわね。着いたらどこかで食べてから撮影に向かいましょう!」
など、サイコロで話題を決めているのかと思うくらい脈絡なく話しかけてくる。初めのうちは付き合っていたが、だんだんそれも億劫になってきて三十分後には「あぁ」とか「へぇ」とか適当な相槌で聞き流していた。頼むから寝かせろ。
結局、機関銃の一斉射撃のようなトークは終点までノンストップで続いた。
駅のホームには出張と思しき荷物を持ったサラリーマンたちが大勢いた。ハツラツと喋りまくる間宮と隣を歩く俺に「学生は早朝からデートですか、羨ましいですなぁ」というような生暖かい目を向けてくる。違うんです、俺も仕事みたいなものなんです……。
時刻は七時になろうとしている。ようやく朝日が昇った。
改札を抜けた俺たちはMから始まる某世界的ハンバーガーチェーン店に向かうべく外に出た。
視界に広がる札幌市街の光景よりも、俺はこの容赦のない凍てつく冷気の方に意識が向いてしまう。
「さっむ! わざわざ外歩くこともねぇだろ。札幌にはでっけぇ地下歩道があるって聞いたぞ!」
「チカホはダメよ、せっかくこうしてカメラを持ってるのだからスナップを撮りながら向かわなきゃ!」
そう言って間宮は数歩前方に走って振り向き、俺にカメラを向けてパシャリ。
テンション高ぇ〜。遠足の前日はワクワクして眠れないタイプだなこいつ。
対して俺は興味の無い遊園地に娘を連れて行く父親のような気分だ。補習のストレスをここらで発散させておかねばならない。「ヌードが撮りたいから脱ぎなさいよ」とかとんでもない方向に爆発されても困るからな。
それから俺たちは簡単に朝食を済ませ、いよいよ目的地に迫る。
徒歩を推す間宮を何とか説得して地下鉄へゴー。
地下鉄大通駅から東西線で五分。そこからさらに歩いてやっと到着だ。
円山公園。
札幌市中央区に位置、北海道神宮に隣接し、動物園や野球場などいくつもの施設を有する巨大な公園である。積もった雪が遊歩道を覆い、訪れる人々の足音を優しく吸収する。早朝とあって人影はまばらで白く染まった木々の枝が静寂を演出している。
市街地の近くにありながらも北海道らしい雄大な自然が感じられるスポットだ。
千葉にあるテーマパークよりデカいってマジ?
「さ、シマエナガを狙うわよ。今日は撮影日和!」
間宮はバズーカ砲みたいなレンズをカメラに装着してズンズン進む。
事前に聞かされていたとはいえ、この広大な自然の中でシマエナガちゃんを探すのは骨が折れるぞ。天然記念物指定の原生林もあるらしいじゃねぇか。
「……やるか」
俺は覚悟を固めて間宮について行く。
撮影開始だ!




