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叔父との暮らし

 叔父の圭介(けいすけ)がバニラフレーバーのコーヒーを舐めつつ渋い顔で経済新聞を読んでいる。その様子をキッチンで眺めながら俺は朝食で使った食器を洗っていた。


 大企業の経営統合破談だのヨーロッパの首相が変わっただの紙面に踊る言葉の意味は分かるが、それが実際に日本経済にどう影響するか、なんてことは一介の高校生たる俺にはさっぱり分からない。圭ちゃんも別に面白いとは思っていないらしく高速で斜め読みを済ませると、新聞を折りたたんでダイニングテーブルの端に置いた。何の為の定期購読だ。


 時刻は八時ちょうど。


「時間大丈夫か? 雪で自転車使えないから早く行かなきゃだろ」


 圭ちゃんが顔を向けて、登校時間が迫っていることを教えてくれる。


「心配してくれるなら早く食べて。なんでパンもソーセージもスープも一口分残してんの」


 これではいつまでも片付かない。


「俺が洗っとくからいいぞ。身支度してこい」

「嘘つけ、そう言ってこの前も俺が帰ってくるまでそのままだったじゃん」

「反省してま~す」

「態度悪い五輪選手かよ」

「お、よく知ってんなぁ」


 しぶしぶといった感じで朝食を食べ切り皿を流しまで持ってくると、踵を返した圭ちゃんはそのままリビングのソファに寝転がった。

 怠惰という種目が五輪にあったなら日本代表強化選手くらいにはなれそうだ。


「社会人のくせに高校生に家事任せて恥ずかしくないの? 朝飯まで作ってんだけど」

「何をもって社会人とするか。社会の構成員という意味では赤ちゃんも立派な社会人なのである。よって高校生の勇仁が家事をすることに俺が負い目を感じてやる必要はないのだ」

「今までどうやって生きてきたんだこの人」

「才能だけはあるんでね」


 圭ちゃんは人差し指と親指で輪を作り、『お金』のサインをリビングから飛ばした。


 花水(はなみず)圭介(けいすけ)。二十九歳、独身。筋肉質で髪は長めで整えた髭面。なんでも和製アン○ニオ・バンデラスと言われたいらしい。いい歳こいて何言ってんだこのオッサン。

 圭ちゃんは大学時代を過ごした北海道が気に入ったようでこの土地に移り住むことを決め、数年前に一軒家を購入した。今は俺とその家で二人暮らしだ。


 俺の両親はこれまで俺に引っ越しばかりさせてきたことを申し訳なく思ったらしく、せめて高校三年間は引っ越しの心配をせず青春を謳歌してほしい、との願いで圭ちゃんに相談し、俺はここへ転がり込んだのだ。

 俺の意思は? とも思ったが俺は圭ちゃんが好きだし、ここでの暮らしも中々楽しいので後悔はしていない。続柄上は叔父だが、兄のような存在で俺はそのように接している。


 生活力の低い、もっぱらダメ人間な圭ちゃんだが金儲けの才能は本物である。株取引や不動産でかなり儲けているらしく二十代にしてほとんど人生上がりの悠々自適な生活をしている。

 午前中のわずかな時間を仕事に使い、あとは趣味に費やしているので高校生の俺よりもはるかに暇そうだ。本人は真剣な顔で「暇じゃない」と言うだろうが。


 洗った食器を乾燥機にぶち込み、朝のニュースを見る圭ちゃんの横を通り過ぎて俺は自室に戻って着替える。

 時間割を確認し、通学リュックと体育ジャージの入ったカバンを掴む。


「———っと、また間宮に叱られるな」


 そしてデスクの上に置いてあったカメラ、SR101のストラップを引き寄せリュックの中に仕舞ってやる。

 カメラは常に持っておけ、という間宮御大の教えである。

 いやクソ重いんだこれが。毎日使いもしない重石を運ぶとか俺は修行僧かよ。間宮は常にこれ以上の機材を持ち歩いていると言うのだから信じられん。広背筋とか発達してそう、鬼の顔が浮かんでるんじゃねーか?

 まぁそれでも、今日も今日とて俺はカメラを運ぶのだ。


 時計を見やると八時五分を示していた。急がねば。


 リビングに戻り、「行ってきます」と告げ、圭ちゃんの脇を通り過ぎようとした。


「勇仁、学校は楽しいか?」


 突然の圭ちゃんの言葉に足を止める。


「息子との接し方が分からない不器用な親父みたいなセリフ」

「最近、良い顔つきになったと思ってな」

「何だよそれ。どうかな、まぁ、つまらなくはないかも」

「写真部はそんなに面白いか」

「それなりに。最初はどんなことも面白い、いつものやつだよ。俺は飽き性だから」


 圭ちゃんはマグカップに口を付けて口の端を歪める。


「その割にはちょっと前のバスケん時より楽しそうに見えるぜ。写真はお前に合ってるのかもしれないな」

「俺が写真に夢中だって言いたいの? 撮りたいものもないのにそれはないんじゃない」

「夢中なのは写真に、とは限らないかもよ」


 俺は言葉の意味が分からず眉を上げる。

 そして一度視線を外した圭ちゃんはニヒルな笑みを浮かべた。


「間宮ちゃんに夢中———だったりしてー」

「は?」


 本気で意味が分からねぇ。

 嗚呼、我が叔父は若いうちから田舎に隠居して独身貴族の身分にドップリ漬かったせいで、人情の機微に疎くなってしまったらしい。


 つまり、圭ちゃんは俺が間宮に恋をしていると、そう思っているわけだ。馬鹿馬鹿しい。


「圭介さん、結婚した方が良いですよ。今はマッチングアプリとかもあるし……。人の温かさに触れれば人の心が分かるようになると思います」

「何で敬語⁉ 甥っ子にまで将来を心配されるなんて屈辱的っ! なになに、図星突かれて怒ったの? ごめんて、まだ恋心を自覚してない段階だったか」

「俺は普通なのがタイプなの。あんな個性の縄で人を引き回すような変人を好きになるわけねぇよ」


 まぁ、もっとも? あいつが付き合ってくれ、と正面から言うのであれば俺も考えなくはないが。面の良さは認めるし、プロポーションも悪くない。だが……間宮が俺に告白? ははっ、それこそあり得ねぇ。カメラとでも結婚してろカメラフリークめ。


「勇仁は夢中になれる何かがあれば良いな、って思ってるんだろ? だったら女に夢中になるのだってアリだろ。第一、男子高校生なんてそんなことばっかり考えてるもんだ。ヤりてぇ! ってリビドーに従うのは自然なことだぜ」

「恋と性欲を一緒くたにすんなよ。つーか朝からハードな下ネタぶっ込まないでくれ」

「キャー! ロマンチスト! ごちゃごちゃ考えて青いねぇっ!」


 ダメだ。このまま話していたら自慢の髭を顎ごと剃り落してしまうかもしれない。

 剃刀を手にしたい衝動を押さえつけ俺はリビングを離れる。


「今度、噂の間宮ちゃん家に呼べよ! 俺は気ぃ使って外出とくからさ! がはははは!」


 俺は全ての筋力を使って、ドアを思いっきり閉めた。

 このエネルギーが株価チャートを揺さぶりますように。


×××


 その日の放課後。


 だから、というわけではない。圭ちゃんに茶化されたから動揺したわけではない。


「付き合って、ユージン君!」


 が、部室のドアが開かれたと同時に放たれた間宮の言葉に俺は放心してしまった。

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