初雪
その後、俺たちはしばらくたわいない話をして時間を潰した。クラスのこととかテストのこととか、何でもない高校生らしい会話だ。
何でもないが、そんな話を荒木と自然にできている状況は少し前じゃ考えられないことだ。
これも全て天才女子高生カメラマン・間宮アンリだからできたことだと思う。彼女の真っすぐで純粋な人間性が荒木の氷を溶かしたのだ。大げさかもしれないが俺はそう思う。
「———てかさ、もう名前で呼んでくれない? みんなそう呼ぶし私もアンリって下で呼んだ方が楽だし」
「も、もちろんよ、えまさん?」
「さん付けじゃん。まぁそれでもいいけど」
うんうん、仲良き事は美しき哉。
別に俺が蚊帳の外に置かれていることは不満じゃない。荒木が心を許したのはウザいほど真剣に絡んでいった間宮あってのもの。だったら俺がそこにしれっとした顔で参加しているのもおかしな話だ。邪魔しちゃ悪い。
それに百合に挟まるほど俺は無粋じゃないんだ。花水勇仁はクールに去るぜ。
俺はしれっと立ち上がって、気配を殺して店を出ようとした。
「あ、ちょっと花水」
俺は名字呼びかよ、とか思いつつ振り返ると荒木が紙切れを渡してくる。伝票だった。
「なにコッソリ帰ろうとしてんの。奢ってくれるって言ったじゃん」
「チッ、バレたか」
めざとい奴め。今ならうやむやにできると思ったのに。
俺が帰ろうとしたことで休日のお茶会は解散の流れになる。
二人がアウターを着つつだらだら喋っている間に俺は会計を済ませる。何故か間宮のパフェ分の代金も含まれていたが、諦めて支払う。プレゼントのカメラのお返しと思う事にした。
「「ごちそうさまー」」
「あいよ」
二人の定型的なお礼の言葉が重なる。しかたない今日くらいはいいだろう。
何となくめでたい雰囲気で俺たちは店を出た。
「う~寒いわねぇ」
「これからもっと寒くなるとか信じられんな」
外はピンと張り詰めるような冷気に支配され、服の隙間から容赦なく入り込んで肌を刺す。
まだ十一月だというのに既に関東の真冬並みで、夏生まれかつ雪国での暮らしが初めてな俺にとっては堪える寒さだ。
「したっけ、私ん家こっちだから」
「おう」
「今日はありがとう、とっても楽しかったわ」
したっけ、というのは北海道弁で『そしたら』や『じゃあ』という接続詞的な意味を持ち、別れ際の挨拶にも使われることが多い。そういや荒木の北海道弁は初めて聞いたな。
荒木はほんの少し口角を上げ、それから「うん」と頷いた。
「また明日、学校で」
荒木はポケットに手を突っ込んで横断歩道を渡っていく。遠ざかっていく小さな背中が見えなくなるまで俺と間宮は見送った。
「また明日、ですって」
間宮が感慨深そうにポツリと言い、吐いた白い息が風に流され消えていく。
「満足そうな顔しやがって」
「む、何よそのヤレヤレ顔は。言いたいことがあるなら言ってみなさい」
「感心してるんだよ。行き当たりばったりの思い付きで動くクセに上手いこと着地したもんだってな」
「それ褒めてるの……?」
「もちろん。人を使って散々大騒ぎして、結局美味しいところは自分で持って行くんだから大した奴だ。きっと大物になれるぞ」
「や、やっぱり褒めてないわね……終わりよければすべて良しって言うじゃない。細かいことは気にしないの」
「へいへい、そーですね」
そのセリフは振り回した張本人が言っちゃダメだろ、まったく……。
俺が内心ツッコんでいると、ふと頬に冷たいものが当たるのを感じた。気になって空を見上げると、
「あ…………」
灰色の空から白いものが降りて来る。俺は受け止めるように胸の前で掌を空に向ける。羽毛のようになって落ちてくる粒は肌に当たったそばから水滴となった。
白く染め上げられていく街の景色。音は無く、声を上げるのを忘れる一瞬だった。
雪だぁっ! と大はしゃぎすることもないが、それでも初雪というものは人の感性に働きかける何かがあると思う。俺はしばらく雪の空を眺めた。
「すげー、こっちじゃ昼間から降るのかよ」
「はぁ、どうりで寒いわけね」
クールな呟きが耳に届き、俺はようやく視線を間宮に戻す。
「何だよ、意外に情緒が無いな。間宮は喜び庭駆け回るもんだと思ってたぞ」
「私は犬じゃないわ! ……いえ、移り行く季節に趣を感じる心は私にもあるわ。でもね、それは半分。もう半分は『はぁ……また雪かきの時期がやってきたか』って憂鬱な気持ちなの。雪国に暮らす人の多くはこの気持ちよ、毎年のことだもの」
「そんなもんか。俺は少しテンション上がるけど」
「ふふ、明日の登校時にも同じことが思えるかしら。降り始めの雪が積もる道はべちゃべちゃよ」
「嫌なこと言うなよ」
間宮は不敵な笑みを浮かべ、ブルゾンの襟を掻き合わせる。
雪の勢力はどんどん強まり、ドカドカ降り続ける。「根雪になるかもしれないわね」と間宮は所見を述べた。馴染みのない言葉だが、溶けずに積もって残る雪のことだろうと文脈から察する。俺も北海道に馴染んできたものだ。
荒木、間宮とのエンカウントがあってこんなことになったが、俺の本来の目的は昼食を摂ることだった。他に用事は無い。つーか寒すぎるしな。俺はコタツで丸くなりてぇ。
「んじゃ、俺も帰るわ」
「へ、あ、そう……。そうね」
「おう、また明日」
「えぇ……明日」
「?」
歯切れの悪い様子の間宮が気になるが、俺が自宅方向に足を踏み出すと間宮も動き出す。
「ゆ……ユージン君」
———だが、すれ違いかけた時、ガッ、と力強く腕を掴まれた。
立ち止まり首を捻って半分振り返る。間宮は俯き気味で前髪が垂れて表情が見えない。目と鼻の先に頭が見え、甘い香りを感じた俺の鼓動は不意に加速していく。落ち着け俺!
「ありがとう」
雪が吸い込んでしまいそうなほど小さな声で確かにそう言った。
振り絞ったような声に、俺はかえって冷静になれた。
「えまさんがお話ししてくれたのは、ユージン君が気を利かせてくれたからでしょう?」
「別に何もしてねぇよ」
「私一人だったら彼女と仲良くなることはできなかった。方法も分からず無理やりに接触していたと思う……。荒木さんが自分から話す気になったのは、そういう風に働きかけてくれたユージン君のおかげよ」
間宮はそう言ってくれるが、俺がやったことと言えば、写真部にいる理由を話したことくらいだ。まさかそんなことで心を開くほど人は単純ではないだろう。
「間宮の一生懸命さに折れたからだろ。俺は何も特別な事はしちゃいない。買いかぶってくれるのは嬉しいけどな」
「違うわ。えまさん言ってたじゃない。『すごいね、写真部』って……あの言葉は私にだけ向けたものではないはず、ユージン君がきっかけを作ってくれたからこそ出た言葉よ、きっと」
なんともむず痒い気持ちになって言葉を探す。探すが、見つからない。俺が何を言おうと間宮はそういう風に思うのだろう。思い込んだら一直線な奴だからな。ならばそういうことにしておこう。これ以上の否定は俺を過大評価してくれる間宮を否定することにもなる。
俺が荒木に何かしらの影響を与え、何かの役に立った。……のかもしれない。自惚れでもなんでも、それでいいだろう。
俺は深く息を吸い込んで、
「間宮、耳赤いぞ」
言った瞬間、振り返った間宮は顔の前でカメラを構え、シャッターを切った。
「それじゃあ、バイバイ!」
耳が赤いと言ったのは完全にでまかせだったのだが、一瞬見えた顔はどうにも決まりが悪そうで、口が半開きになっていた。
戦闘機の如き急発進、急加速で駆けていき、あっという間に姿が見えなくなる。ア〇レちゃんかよ。
そして誰もいなくなったファミレス前で俺は独り言つ。
「シャッターチャンス逃したかな」
財布は軽くなったが、何だか得した気分で帰路に就いた。




