輝きのセルフポートレイト
「そうか……」
俺は溶け始めたバニラアイスに視線を落とす。
やっぱりそうだったんだな。俺がもしかしてと思ったのはまさにこのことだった。俺がいた中学でもダンス部のコーチの厳しさは有名だったし、それが理由で退部するものも多かった。全てのダンス講師が同様ではないだろうけど、俺にはダンスの先生=厳しいというイメージがあったのだ。予想が当たったのは偶然。むしろ外れていてくれと思っていた。こんなの面白くもなんともねぇ。
「指摘されたからには私の笑顔はダメなんだって。自然に笑えてないのかなって何度も鏡の前で笑顔作って、何がダメなのかをずっと考えてた……今ならそんな指摘に意味が無いことは分かるけどね。先生は生徒にキツく当たってストレスを発散しようとしていただけだから」
荒木はそう言ったが実際は今も気にしているのだろう。虚空を睨む目は、少なくとも俺には痛々しく見える。何ともないような表情はその奥にある傷ついた心を隠し、保護するためのマスクなのかもしれない。
「だんだんこの少しだけ大きい八重歯がダメなのかな、とか思ったりしてたら……自分の笑顔が気持ち悪く思えてきて…………そんな顔を見られたくないから私は———」
「何よそれっ⁉」
荒木が言葉を区切りながら言うと、人目も憚らず声を張り上げ、間宮が立ち上がった。
「ダメって何よ! ぎこちないとかならまだ理解できる……でも、ダメな笑顔なんてものはないわ! 人の表情は、眼差しは生き生きとしてこそ輝くものなの! 曖昧で無意味な言葉で生徒を傷つけて良いダンスなんて出来るはずがないわ、本末転倒! 指導者失格、いや、ダンサーとして、表現者として失格よ!」
写真とダンス、表現方法は異なっていても共通するものがあるのか。芸術に魂を惹かれた者として間宮は怒りを発露させる。
眉間にしわを寄せ、胸の前で固めた拳が震えている。間宮は本気で怒っていた。
「腹立つわね……っ、そのスクールはどこ⁉ 今からカチコミよ!」
「ま、間宮さん⁉」
「私ちょっとホームセンター行ってくる。その先生とやらと『お話し』する必要があるわ」
眉を吊り上げてこめかみに血管が浮かび上がらせる。
まずい。俺は立ち上がって通路に出て、間宮が席から離れるのを阻止する。
「どんな『お話し』をするつもりだ、鉄パイプとか角材を買うんじゃないだろうな」
「万が一の時に必要になるでしょ」
座った瞳と低い声に俺の背筋が寒くなる。
「相手はゴリゴリの体育会系だ。運動音痴のお前じゃ返り討ちだぞ」
「素人の喧嘩なんて先に一発当てたもの勝ちよ。反撃を許さない一撃をお見舞いしてそいつを消す!」
「消す! じゃねぇ、武闘派ヤクザかお前は」
「私の友達にひどいこと言ったのよ、許せないわ。そこをどきなさい」
間宮の瞳が燃えている。荒木の昔話を聞いて自分のこと以上に真剣に怒っているのだ。
いや感心してる場合か! とても勇ましくカッコいいとは思うが、一大事になる前に止めなければなるまい。
「暴力沙汰なんて下手すりゃ退学だ。落ち着けよ、ほら深呼吸、深呼吸」
「私は人が輝く瞬間が好きなの! 苦悩する様も必死な様も人が輝く瞬間よ、でもね! ただ曇っただけの人間には興味が無いの! 荒木さんは眩しいくらい輝ける人、私にはわかる……だからこそ、そんな輝きを曇らせる人は許せない! カメラマンとして!」
「そりゃ俺だってそう思うさ。何かに夢中な人間はどんなものよりも魅力的だと思う。お前の気持ちは分かるから今は落ち着け、な? もうそろ店員が苦い顔で注意しにくるぜ?」
荒ぶる狂犬の肩を掴み、何とか宥めていると、不意に、
「ふふっ、ふ…………あははははは!」
その場にそぐわない笑い声が起こった。
誰だ、カメラの外で大げさに笑うディレクターみたいな奴は。空気を読め!
声のする方を見て俺は固まり、暴れる間宮の力も無くなった。
「あはは、落ち着いて間宮さん。そのスクールって生徒不足でもう潰れてるから。それに先生ももうこの街にはいないよ」
荒木だ。なんと荒木が口を開けて大きく笑っていた。
「いきなりカチコミって、ヤバすぎでしょ。やっぱ写真部って面白い」
荒木が言うや否や、間宮は西部劇のガンマンもかくやというスピードでカメラを構え、シャッターを切った。
「また勝手に撮る……怒られんぞ」
「は! シャッターチャンスだと思ったら身体が勝手に!」
「すごいね、写真部」
勝手に撮影されたのに荒木は怒るどころか、俺たちに感心したようなことを言う。
空気が漏れた風船のように怒らせた肩を落ち着ける間宮。そしてその顔が急速に落ち込んだものになっていく。ともあれ沈静化したようで助かったぜ。
間宮はハッとした様子でレンズにキャップを嵌め、頭を下げた。
「これは私の悪い癖ね。こんなことがしたかったわけではないの……。荒木さんにそんな過去があったなんて考えもしなかった。無神経に尋ねたり、マスクを取ってくれなんてお願いして……その、本当にごめんなさい」
「気にしないでよ。さっきも言ったけどもういいから。あれから随分時間も経ってるし、凛香さん達と楽しいだけの自由なダンスをしているうちに苦手意識もマシになってきたんだ。正直、マスクを外すタイミングが分からなくなってただけなのかも」
感極まった様子で間宮はガバッと荒木に抱きついた。
「本当に⁉ 無理してない⁉」
「ちょ、大げさ……。情緒どうなってんのこの子……」
「急転直下のエキセントリックさが間宮のウリだから」
しばらく荒木の薄い胸から離れようとしない間宮は、やがてフラット状態に戻ったのか顔を上げる。
若干涙目になった間宮は、
「じゃあ、改めて……ぐすっ、素顔撮らせてもらって良いかしら……」
「えぇ……」
ビックリするくらい図々しいなこいつ。荒木がドン引きするのは当然だ。
だが、しばらく迷った後、荒木はこんな風に言う。
「改めてお願いされると、どんな顔すればいいのか分からないし……その、自撮りでいいでしょ、間宮さんと一緒に」
パァッ、と子犬みたいに明るい笑顔になった間宮は「いいわよ!」と言った。
「それでいいんだ」
レンズとファインダーを同じ面に付けるというスマホのハードウェア上の革新はあるものの、セルフポートレイト自体は大昔から写真家の作品の一つとして扱われてきたこと。また今日に至っては何も特別ではないジャンルである等々、間宮は途端に意気揚々と写真論を語り始めるが、俺が途中で切り上げさせる。
「早く撮れよ」
俺は今更になって席に戻り、ほとんど溶けてしまったアイスを胃に流し込む。
何だろうか……ドッと疲れが押し寄せてきた感じだ。ヒヤヒヤしたり、ウンザリしたり、間宮が暴れ出してそれを止めたり。写真部って全然緩くねぇし、忙しい。
何より、俺が具体的に何をしたのかが自分でもよく分かっていないのが徒労感を際立たせる。結局、間宮のキャラクター一つで仲良し作戦は遂行されたんだからな。
と、親戚の集まりで一日中幼稚園児の遊び相手を務めたような疲労感に浸る俺に、荒木が、
「花水も」
「は?」
「花水も入んなよ。その……仲間外れにするのもなんだし」
「いや俺は———」
「いいから入りなさい、部長命令!」
お前が言うな。
「俺は全然関係なくないか」
「はいじゃあ、撮るよ」
俺の言葉を無視した荒木が後ろを向いてスマホを上に掲げた。
俺は慌てて画角に収まるように身を屈める。
パシャ、と。スマホには本来必要ないわざとらしいシャッター音が響いた。
可愛らしく、抜群の笑顔を決める少女たちと、中途半端に掲げたピースサインが痛々しい半目で照れ顔の俺。
ダメな笑顔があるとすれば、それはまさにこの写真の俺だろう。こんなグロテスクな写真が許されんのか? 撮り直しを求める!




