~僕とじいちゃん(後編)~
そこには2人の男女が立っていた。不良の格好をしていた。
僕の苦手なタイプだった。歳は二人とも高校生くらいだろうか。
正確にはわからなかった。
(目を合わせるのも…コワい…!)
そんな男女にじいちゃんは臆せず近づいて話しかけた。
「おい」
「なんだよ?じいさん?」
「この吸い殻はおまえさんたちのか?」
「だったらなんだよ?」
「山にタバコの吸い殻を捨てるな。山火事になることもある。片付けろ」
「なんだ、うるせぇよ。ジジイ」
それを聞いた次の瞬間…じいちゃんの右ストレートが炸裂した。
男は頭から倒れ込む。
「ちょっと、いきなり何すんのよ」
男の隣にいたタイトスカートの女が、じいちゃんを見ながら大声で怒鳴る。
「てめえ…ぶっ殺してやる!」
すぐに起き上がり、男はじいちゃんを睨みつけ掴みかかろうとする。
猪突猛進の男、じいちゃんはその突進をおもむろに右に動く。
「ほっ、元気じゃの…じゃが!」
少し腰を落とし…
「ほっ!」
最後はアッパーをするように左こぶしを打ち上げる。
じいちゃんの左パンチは男の腹部に綺麗にあたった。
「ぐへぇ…ぶ…」
「やめとけ。水月にキマったぞ。くりーんひっと、というやつじゃ」
男は腹部を抑えながら、その場にうつぶせに倒れ込む。
(そういえば忘れてた…じいちゃんは元自衛官だった)
テレビで見る格闘技の試合のようだった。
じいちゃんはゆらぁっと小さく左右に揺れながら、女に近づいてゆく。
そして小さく息を吸い込み女の左頬を思いっきりグーで殴る。
「いったぁ……女を殴るなんて…さい…てぇ」
「知らん…。ワシは悪人を性別で分けん」
女は完全に腰が抜けて動けないように見える。
完全にじいちゃんの言いなりだった。
「男の方が動けんなら、お前さんが片付けろ」
「ちょ…痛い、いたいって。」
じいちゃんは女の髪の毛を鷲掴みにして、吸い殻の近くに連れていく。
「さっさとせんか!」
「は、はいい!」
そう言いつつ、じいちゃんはさっきの揉み合いの拍子に落ちた帽子を拾った。
僕はじいちゃんの気迫に気圧されて一歩も動けなかった。
「その…救急車呼ばなくて大丈夫かな」
「あれくらいじゃ死なんよ。ほっとけ」
そう言って僕らはその場を後にした。
しばらく無言の時間が続いた。
「じいちゃん…僕…さっき怖くて動けなかった…」
胸の心境を正直に打ち明けた。あのときはあまりのことに膝が笑っていた。
昨日テレビで見たミズタマンのようにヒーローにはなれないと思った。
「レイジ。ケンカは場数じゃ」
押し黙った僕に気を使ったのか、じいちゃんは語るように話す。
「気にするな。ワシも後先を考えずに動いちまった。
…だが、ワシは不良やヤクザは好かん。それを美化するようなヤツも、な。」
「そうだね、さっきのはあいつらも悪いよ。山火事の可能性だってあるのに」
「ありがとうよ。でもな…暴力はいかん。しかも自分から手を出したからな。
良いトシして感情的になっちまったよ。カルシウムが足りんのかもしれん…」
つづけて、じいちゃんは喋る。
「レイジ、おまえくらいの歳のころは、ヤクザや不良がカッコよく見えるかもしれんが、それらは『悪』だ。人様の見えないところで、恐喝や詐欺まがいのことをしているのだからな。あこがれるのは別にいい。じゃが、なるのは許さんからな。そのときは…かわいい孫でも容赦はせんぞ? …いいな?」
「う、うん…」
おそらく、じいちゃんは本気だろう…。小さいころから観ているからわかる。
「まぁ、ワシも昔の価値観で物事を評価しているんだろうな…歳を取ると新しいことが億劫になるからなぁ。価値観あっぷでーと? それができとらんのかもしれんなぁ…」
「僕はあーゆーのに、憧れたことは一度もないよ」
「そうか。それなら良い…」
………………。なんとなく2人とも無言になった。
すこし歩いてまた、水分補給をした。
じいちゃんはコップを見てつぶやいた。
「水は方円の器に従う…じゃな」
「え? なにいきなり。…ボケた?」
「ボケとらんわ! ふと思ってな…。ワシの座右の銘は『悪・即・成敗』じゃ」
「知ってるよ。耳タコだもん」
「そうだ。相手に気遣ってばかりでは戦えん。守るものも守れん…。そう思っていた。じゃが、ワシは…短絡的過ぎた」
「?」
「水というのは、決まったかたちというものがないじゃろ? 四角い容器に水を入れれば四角になる。丸い容器に入れれば水は丸くになる」
「そのことわざと、悪人に何が関係あるの?」
「つまり…悪人にも同情できるヤツと、できないヤツがいるのかも知れんな…と、思うことがある。劣悪な環境で育てば、だれだって性格はゆがむ…。それをな、ワシ個人の価値観で『悪』と決めつけていいのか?と考えるようになったんじゃ」
(なんか、道徳の時間みたいになってきたな…)
「レイジ。おまえは…恵まれているんじゃぞ? 両親がいて、友達がいて、住む家があって、学校に行けて…。そんな当たり前がない人も、世の中にはたくさんおるんじゃ」
「うん…」
道徳の時間から、ありがた~い説教タイムになっていった…ような気がする。
「ワシは『悪・即・成敗』という価値観で、生きてきた。じゃが…環境によって歪んだものがいたら手を差し延べてやれ。おまえは…これからの人間だからな。ワシとちがって」
「うん……」
「人間だって70%は水分らしいからな。環境によるところが大きいんだろ…」
じいちゃんは遠くを見るような目で語る。
「まぁ、おまえの歳で、この言葉を知っている子どもは、おらん。気にするな」
「大丈夫。ぜんっぜん、気にしていなかったから」
「そうか…しっかし、さっきの娘っ子は…見た目はめちゃイケじゃったのう」
「………。じいちゃん、途中まではカッコよかったのに」
僕の反応を見て、じいちゃんはあわてて言い繕う。
「その、なんじゃ…シズカがさっきの娘っ子のようにならないようにお前が見とくんじゃ。いいな?」
「うん…」
じいちゃんは必死に、その場を取り繕うとしたが、見ていて滑稽だった。
男を倒したときの尊敬と女に対しての失言で複雑な気持ちになった。
(妹を連れてこないでよかった)
さっきとは違う意味で、無言で歩くことになった。
山道を抜けると広めの砂利道が加わり、ちょっぴり都会風味になった。
地方都市特有のデカい幹線道路が、住宅街を貫くようにのびている。
田んぼを越えて、並木がつづく道路をいけばゴールだ。
(もう少しだ…)
自分にそう言い聞かせて、ガンバって歩いた。
近くの田んぼのほうへと進んでいった。
そよ風にゆられ、いろんな草花が右へ左へ揺れている。
田んぼのそばに目をやると、カエルが平泳ぎをしていた。
僕もカエルのように、水の中に飛び込みたい気分であった。
もう少しで収穫の稲。稲は穂のおもさに耐えかね、先端がカーブしている。
それは夏の暑さにウンザリして、頭を垂れているのだろうか。
まるで今の僕のようだ。
農道の轍を歩いていくと、用水路から水のせせらぎが聞こえる。
水田は青々とした稲が、びっしりと生えていた。
水と葉っぱが混ざりあった、田舎特有の香りが濃くなった。
毎年、この匂いがすると夏を感じる。
ふと、稲の根元に目がいく。
コンクリートの壁にはピンクのイチゴのようなものがくっついている。
虫のタマゴだったけど…名前が出てこない。
静香が見たら、イヤがる顔が目に浮かぶ…。
足元の田んぼには、オタマジャクシが僕から逃げるように泳いでいく。
別の田んぼでは、黒いカタツムリのようなものが、ウヨウヨ水中にいた。
よく見ると、水面は雨が降っているように、波紋が広がってゆく…。
雨かなと思ったら、アメンボが泳いでいただけだった。
他にもトンボや蝶が、僕をからかっているかのように、右へ左へと通り過ぎる。
僕にもハネがあったらいいのに…と、心からそう思った。
やっと田んぼを歩きおわり、道の両沿いに並木がつづく場所に出た。
道路は並木以外の日影がなく、アスファルトの熱がそのまま跳ね返ってくる。
木々の間から街並みが広がって、プラスチックでできた模型の街のようだった。
そこをまっすぐ歩くこと10分…。
「はぁはぁ…やっと、着いた」
炎天下の中、僕たちは目的地の商店街に、ようやくたどり着いた。
休憩時間を含めると、1時間20分ほど掛かった。
あとちょっとは言っていたが、実際は30分ほど歩いた。
「ふぅ…それにしても…暑い」
夏も盛りで、全身のありとあらゆる毛穴から汗が噴き出し、まるで頭から水をかぶったような汗をかいていた。額から流れた汗が頬をつたい、顎の先から地面に滴り落ちる。
「大丈夫かレイジ? ずいぶん口数が減ったのう」
「あれだけ歩いたらね…。じいちゃんは疲れてないの?」
ヘトヘトになった僕は小さい声で質問する。
僕とは対照的にじいちゃんは全く疲れたように見えない。
「ワッハッハ。齢70になっても、若いもんには負けんわい。鍛え方がちがう!」
じいちゃんは笑いながら言う。
「ワシの人生の目標はな…。ピン・ピン・コロリじゃ!」
「なにそれ…そんな言葉知らない」
「ま、そのへんで休んどけ。あまり遠くには行くなよ。んじゃ、あとでなぁ~」
そういってじいちゃんは人ごみの中へ消えていった。
「行きたくても、行けないよ…」
もはや会話する元気がなかった。
体に重りがついているように動きが悪くなっていた。
そのあとは、商店街で昼食をすませた。
じいちゃんは夏祭りの打ち合わせに参加するとのことで、僕は一人になった。
とくに何も考えてなかったので、行雲流水の気持ちで商店街をブラブラした。
商店街の壁には、セミの抜け殻がたくさんあった。
(セミがうるさいワケだ…)
僕は商店街の赤いベンチに腰掛けて空を見た。
雲が左へゆっくりと流れていく…。
その日の夏の雲は写真に撮りたいくらい、とても立体的だった。
「夏祭りか…楽しみだなぁ」
明日の夏祭りのことを考えると、疲れも少しとれたような気がしたのだった。