~エピローグ~
次に目を覚ましたのは、じいちゃんの家のベッドの上だった。
耳のイヤホンも手首の腕時計もすべてなくなっていた。
(夢だったのかな…?それとも……)
僕は起き上がり玄関まで歩いていった。
(だれもいないのか…? …ん?)
それは不思議な感覚だった。そんなに時間は経っていないのに…
見慣れたハズの家を久しく見たような感覚に陥った。
(なんだったんだ? いまの感覚?)
僕は玄関の金魚鉢を見た。1尾だけ水面を静かに漂っていた。
皮膚の表面には白い斑点が無数にあった。
(もう永くないな…)
なんとなく感じ取った。僕はその弱った金魚をじいちゃんに重ねていた。
不思議と涙は出なかった。金魚鉢に手を入れた。
その金魚からは…もう命の鼓動を感じ取れなかった。
「やっぱり…」
風前の灯である金魚を自分の手ですくい上げた。
わずかにヒレをふる仕草をすることなく、
僕の手の中で眠るように…息を引き取った。
(……じいちゃん…)
金魚を庭の隅まで運び、スコップで穴を掘った。
土をかぶせ、両手を合わせた。
この金魚も、僕たちも同じなんだ。
この小さい金魚鉢の中でも…命の循環が行われているんだ。
金魚鉢が家族というならば…
来年も、そのまた来年も…
この金魚鉢を金魚でいっぱいにしてあげよう!
金魚がいなくならないように…。
家族が途絶えさせないように…。
金魚が一人ぼっちにならないように…。
「レイジ! レイジなのね!?」
後ろから声をかけられた。それは母さんだった。
「レイジ、父親として…やらなければならないことがある」
バシ!
僕は思いっきり頬を引っぱたかれた。
「本当に心配したんだぞ」
「ごめんなさい、父さん…」
左の頬がジンジンする…。
(でも、ホントは僕もムリヤリ連れていかれたんだけどね…父さんは、家出したと思っているんだろう…)
「…で? 7日間ものあいだ…ドコに行ってたワケ? レイジ?」
母さんはとっても怒っている。それはそうだ。
僕は7日間も家を空けていたのだから。
「これには海よりも深いワケがあるんだ、母さん…」
となりにいるおばあちゃんは、ただ僕をじっと見ている。
僕はなんとなく目線をそらした。
「黙ってちゃ、わからないわ。話してちょうだい。見たところ、大きなケガはしていないけど…」
「あの…その…」
「どうしたの? ハッキリ言いなさいよ」
「海の…底に…行ってきました」
「「「「……………は?」」」」
みんな、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「アンタねぇ、もっとマシな嘘をつきなさいよ?」
母さんは呆れた表情で言う。当然の反応だと思う。
(カノンさんの言ったとおりだ…)
そんな話をしているうちにドアを開け、シズカが入ってきた。
「シズカ? ダメじゃない! まだ寝てなさい」
「ううん、お母さん。もう大丈夫なの」
そういうとシズカは僕の方を見てポツリとつぶやいた。
「お兄ちゃん、その…ありがとう…」
「どういたしまして」
生まれて初めて、妹に心から感謝された。
おそらく、僕が気絶している間にカノンさんが
シズカに事の顛末を教えてくれたんだろう…。
どうやったかは知らないけど。
しかし…怖い思いも、痛い思いもしたけど…頑張った甲斐があったかな。
妹はおばあちゃんのとなりに座った。
母さんの頭上には『?』マークがいっぱい出ていた。
「どういうことなの?」
おばあちゃんは少しも喋らず、鋭い眼光で僕を見ている。
僕は今までのことを話した。
「…というワケです。ハイ…」
なぜか母さんに敬語で話していた。
「う~ん、にわかには信じがたいわねえ。でも、こうしてシズカは治ったわけだし…あ、でもレイジ。知らない人から受け取ったものは、安易に口に入れないこと! いいわね? 毒物の可能性だってあるんだから」
「ハイ、気を付けます」
「それなら、いいわ。2人とも一応、明日病院に連れて行くか…」
母さんは半分納得して、もう半分は納得がいかなさそうだった。
「まあなんにせよ、無事でよかったよ」
今度は父さんが口を開いた。
「ただ、新型の宇宙戦艦で海底をパトロールしたってのいうのは、いくらなんでも無理があるんじゃないか?」
「どうして?」
「水圧だよ。深海では大きな水圧がかかる。10メートルもぐるたびに1気圧ずつ増えていく。体の表面積1平方センチにつき、1キログラムずつ増えていくというわけだ。水深100メートルなら10キログラム、1万メートルなら1000キログラム増える。そんな膨大な水圧がかかったら、その万能潜水艦とやらはペシャンコだ。それにそんな環境で海底を早く動くことは難しいんじゃないか?」
シズカはキョトンとしていた。
「たしか…最新鋭の潜水艦でも、400メートルが限界じゃかなかったか?」
「母さん、水圧ってなに?」
「そうね、なんて説明したらいいかしら…母さんの両手を水圧と思いなさい」
そういうと母さんは、両手を僕の両頬に軽くあてた。
「水圧というのは、水の力のことよ。深くもぐるほど、水圧は強くなっていくの」
母さんは僕の頬を徐々に強く締めていった。
「あっ…ちょ…ぶっ…」
「お風呂に長く入っていると、指がデコボコになるでしょ?あれも指に、水圧がかかっているからなのよ。人間が深海までいったら、お煎餅になっちゃうわね。オルなんとかって国もあるのかどうか、アヤシイもんだわ…」
「とてもよくわかりました」
「理解が早くて助かるわぁ」
「でも…少し目つきが大人っぽくなったな、レイジ」
「そう?」
「父さんの好きなマンガでな、こんな言葉がある。『男は、まえを歩く男の背中を見て育つ』ってな。おまえも、その深海の世界でいろんな男たちの背中を見てきたんだな…」
「父さんは…僕が海底に行ってきた話を信じるの?」
「おまえには悪いが…半信半疑だ」
(どうしたら信じてもらえるんだろう…? そうだ!)
僕は密かにオルテンシアから持ち帰ったドリンクを、母さんに渡した。
「ナニコレ?」
「いいから飲んでみてよ。お母さんの願いが叶うかもよ?」
「アンタ、あやしいクスリじゃないでしょうね?」
疑いつつもお母さんはドリンクを飲んだ。
すると、ものの10秒でお肌にハリが出てきた。
「あら、あららら?…まあ、これがわたし?10歳は若返ったじゃないのぉ!」
母さんは僕の両肩をつかんで話す。目がキラキラしている。
(…こ、怖い…)
「アンタが海底に言ってきたことを、母さん信じるわ。だから…このドリンクありったけ買ってきなさい!オルなんとかって国は、クレジットカード使えるの?」
「オルテンシアね。…カード? ごめん、わかんない…」
「今度、同窓会があるのよぉ! パパのクレジットカード渡すから…ね?」
母さんは、すっと立ち上がって…
「ちょっと待っててね、全財産を持ってくるから!」
と言って、別の部屋に行ってしまった。
「やれやれ…多めに買ってきてよかったよ」
ハナビートからもらった分も含めてまだたくさんある。
「おばあちゃんもいる? 若返りドリンク? まだあるよ」
「わたしはいいわ。この歳になると…外見にこだわらなくなるのよ。それにね…」
おばあちゃんは僕の手にある勲章を見ながら言う。
「ゲンさんがいなくなったら…長生きしなくてもいいか…ってね…」
聞いた途端に、シズカがポロポロ泣き出した。
「おばあちゃん! そういうこと言わないでよ!イヤだよ、わたし…おばあちゃんが、長生きしてくれなきゃ! そんなの…そんなの…うう…」
おばあちゃんの膝で、うずくまるように泣いている。
「そうだね、ごめんね。しず…。レイジ、やっぱり一本もらえるかしら?」
「どーぞ、どーぞ、孫のためにも一本と言わずたくさん飲んでよ。あと、コレ…」
僕はじいちゃんがいつも持っていた勲章を、おばあちゃんに手渡した。
「これはおばあちゃんが持ってた方が良いと思う」
「レイジ、ゲンさんに…おじいちゃんには、別れを言ってきたのかい?」
「うん、言ってきたよ…」
「レイジ…ありがとうね…」
おばあちゃんは涙声で僕に言った。
翌日、警察の人が来た。おばあちゃんが事情を話した。
「刑事さん、このとおりレイジは無事です。ムシの良い話ですが…穏便に処理していただけないでしょうか? レイジはウソをつくような子ではないんです…」
「…………」
刑事さんはなにやら考え込んでいる。僕の瞳をのぞきこんでくる…。
そしておばあちゃんに話す。
「そのようですね。この子の眼は…まっすぐなゲンさんを思い出させてくれる。…わかりました。署の方では穏便に片付けましょう」
「刑事さん、ご迷惑をおかけします」
「そんな…大げさですよ。でも病院には行ってくださいね。一応」