第一話 幌馬車の娘
城壁塔の兵士は一台の幌馬車が丘を登ってやってくるのを見た。馬はやつれ、ノロノロとこちらに向かっている。近づいてきて不思議なことに気付いた。座席には誰も居なく空っぽで、手綱がぶらりと垂れ下がっていた。
馬は門の前に留まった。兵士は奇妙に思いながら門を開け、幌馬車の中を見た。一人の少女が眠っていた。
少女の名はエーシャ。異国からきた風貌をしていた。衣服はピッタリと体を包んでおり、耳から目までの奇妙な装飾具をつけていた。
兵士達は面倒になることを嫌った。彼女に水と食料を少しばかり分け与えると、他の街に行くようにと言った。彼女は首をふり言った。
「ここには大賢者バレー様がいると聞いている」
兵士たちはどっと笑った。
「それは200年前の話だ」
エーシャはきょとんとした。
「…そうか時代を間違えてしまったのだな」
そう言うと、幌馬車と少女は兵士達の目の前から忽然と消えた。
青年は街から戻ってくると、村の入り口に見慣れない幌馬車があるのを不審がった。繋がれた馬はやせていておとなしく道草を食っていた。彼は幌馬車を調べるが誰もいなかった。すると少年が声をかけてきた。
「おいどうだった?売れたか?」
「ああ全部売れた。いい値でな」
「それはよかったな。お前のおかげでこのあたりの狐はお前を恐れて山に籠っていて野に出て来やしない。今度俺を山に連れてってくれよな。おっと、それより今な、変な女が白痴のバレーに会いに来てな。面白いことになっているんだぜ」
「どんな女だ?」
「へへへ。それがなおかしな格好をした女が賢者さまー、賢者さまとバレーに向かって言ってるんだ。周りの大人は大爆笑さ。へへへ」
少年はいやらしそうに笑っている。
青年は疲れていた。それに腹も空かせていた。
「その話はあとで聞かせてくれ。俺は家に戻らなければ」
少年は走っていった。きっと白痴のバレーの所に行ったのだろう。バレーは村中の人間に蔑まれていたが、ある意味村の人気者だった。一年中腰布一枚で過ごし、村人から食べ物を恵んでもらっていた。村の乱暴者にムチ打たれ傷だらけになっても治療を拒み、代わりにカネを要求した。そして金をもらったとしても、すぐに投げ捨て歌い始めるのだった。
青年は妻が用意していた料理を食べ終え、眠気を感じていた。妻はバレーと女のことを話がっている様子だ。
「村中が白痴と女のことで大騒ぎらしいな」
青年は不機嫌だった。自分の商売の成果よりも白痴に関心が向いているのを。
「あの女の子は一人で旅をしてきたみたい。ずいぶん危ないことを」
「子供なのか?」
「ええ。隣のミカシャと同じぐらいの背格好よ。着ている服もすごく変わっているわ。そうそう、顔に変な飾りもつけていてあんなの見たこともないわ。きっと異国の人間よ。しかもお金を持ってそうだわ」
「そうか。ならば、その女に白痴を引き取ってもらえばいい。その女が乗ってきたらしい幌馬車を見たんだが造りは立派でなかなかのものだった。きっといい家の人間に違いない。バレーも年老いた。身寄りがいないのを心配していたがよかったじゃないか」
青年は眠ることにした。
床にはいると妻は白痴の様子を見てくると言って家を出ていった。
青年は街できいた噂を思い出した。ボネアネラの巫女の神託の話だ。もうすぐ蟲の時代がやって来る。畑を食い荒らし、人を食い荒らし、国を亡ぼすだろう。だが同時にそれを防ぐ賢者も現れるだろうというものだ。青年はまさかなと思いながら眠った。
青年は顔の上で這い回るムカデに目を覚まされた。手で追い払い、踏みつぶした。外に出ると夜が白み始めていた。井戸に行き、水を飲み顔を洗った。
すると目の前に少女がいた。
「お前か村を騒がせているのは」
青年は言った。少女は表情をピクリともしない。
「私たちの旅の剣になって欲しい」
「何を言ってるんだ?」
「私と大賢者バレーはこの村を出る。そして王都に向かわなければならない」
「はははは(笑)。あの白痴を大賢者とはな!」
「剣が必要なのだ。とびっきりのいい剣が」
青年は目の前に飛び交うハエを捉え握りつぶす。
少女は微笑む。
「いい反射神経だ。だが王となるものがハエごときに煩わせられてはいけない」
「王だと?俺が王になるだと?」
青年は引き攣るように笑った。
「私はお前の所に虫を使わせた。お前はそれで目を覚ましたはずだ。だが今のように虫を潰した」
青年は背筋が凍った。今しがたの光景が蘇った。
「私をがっかりさせないでくれ。大賢者バレーはお前を王の器だと言ったのだ。」
青年は信じられなかった。12歳ぐらいの少女に気圧されそうな迫力を感じている自分に。だが抗おうとした。
「…お前、俺をからかっているな?これ以上無礼な事を続けるなら、俺の剣でお前の首と体を二度と合わせられないようにしよう」
「ふん。笑わせるな。お前の剣はとっくに錆付いている。狩人ナスラよ。今後はキツネを狩るのではなく、蟲を狩るのだ。世界を食いつくす巨大な蟲を」
ナスラは驚いた。子供のころ剣士にあこがれ剣術をまねていたが、今は弓ばかりで剣を鞘から出すことさえなかった。
少女は困惑しているナスラを見て、哀れんだ。
「時間を与えよう。もし妻のことを心配するのなら、お前の金の隠し場所を見るがよい、たんまりとあるはずだ。我らの剣となる報酬だ。遠慮なく受け取れ。それから埃をかぶった剣を抜いてみろ。鏡の様に磨かれているだろう。では、明日の朝ここで会おう」
そう言うと、少女は歩き出しバレーの住むあばら家の方向に消えていった。
ナスラは呆然とその姿を見送った。
ナスラは家に戻りお金を入れている箱を持つと、その重さに驚いた。おそるおそる開けると、あの少女が言うようにたんまりと金が入っていた。後ろで妻が小さな悲鳴を上げた。
「い、いったいどうしたのよそれ?」
ナスラは答えず、家の隅の目立たない場所にかけられた剣を取った。手汗が湧きだす。ゆっくりと抜き出すと、剣は輝きを放った。
「あなたいつのまに手入れしてたの?」
「い、いや」
「それよりあのお金は何なの?」
「報酬だと言っていた…」
2人は異変に気付いた。外で、山の方から地鳴りのような音が聞こえた。振動はこちらにすごい速さで向かってきて、一瞬で足元を抜けていき、村の中心で爆発音がした。
***
村の中心にある広場は血の海と化していた。緑色の巨大な蔓が人々を襲い、串刺しにしていた。ナスラはその光景を見て、ついてきた妻に逃げるように叫んだ。その声に反応した蔓の化け物は枝分かれした細い蔓を伸ばし、逃げる妻の背中目がけて飛んでくる。ナスラは剣を鞘から素早く抜き蔓を断つ。
斬られた蔓はのたうち、ナスラは踏みつぶす。体液が弾け、彼の足を汚した。
村の男が駆け寄ってくる。
「ナスラ!お前いけるのか?」
ナスラは震えていた。武者震いだった。その目線は蔓の化け物一点に注がれていた。
「…いけるんだなナスラ。よし、お前の嫁は任せろ。死ぬなよ!」
男は腰を抜かしているナスラの嫁を抱きかかえ走り出す。
剣を握る手に力が入る。しかし、どうやって戦うのか?恐ろしく素早い蔓の動きに近づいて攻撃するのは不可能に思えた。それに例え近づいたとしても毛玉のように重なり合った蔓の塊に一撃を加えても無駄だろう。本体のようなものがあったとしたらそこを攻撃したかった。攻めあぐねていると、化け物を挟んだ向かい側にバレーが遠くから見ているのに気づいた。
(大賢者バレーか…。ふん、その知恵試してもらうぞ)
ナスラは駆け出し蔓の前を横断していく。次々と襲い掛かる蔓。ナスラは避け、時には斬り、バレーの傍に立つ。
「さすがじゃな。並外れた運動神経と眼を持っている。だが剣は未熟」
ナスラはまともに喋っているバレーに驚いた。
「お前、今まで演技していたのか?」
「人の道を外れなければ、真理は見えん」
「ふん。ならば聞こう。あれを退治する方法を」
「見た目が植物なら根を攻撃するのが道理だろう」
「根だと?どうやって地中にあるものを攻撃するんだ?」
「今からエーシャがやる。ナスラよ。彼女を援護しなさい」
「エーシャ?」
「ナスラ!こっちだ!」
振り向くと、馬にまたがった異国の少女がいた。
「今からこの樽に入った酒をあいつの根元にばらまく」
馬の両脇に酒樽が縄で括り付けられている。馬上からエーシャは勇ましく話す。
「いいか。ギリギリまであいつに近づく。お前が襲ってくる蔓を排除しろ。近づいたら樽を壊せ。途中で壊されるなよ?いいな?」
「そういうことか。お前の命は知らんが、樽は守り抜こう」
走り出すナスラ。後を追うエーシャ。ナスラは円を描くように走り少しづつ中心に寄っていく。彼は出来るだけ蔓の雨のような猛攻を避けずに剣で切り払ってゆく。近づけば近づくほど攻撃は激しくなり、ナスラも傷ついていく。皮膚は裂かれ、血が噴き出す。激しい痛みの中、相手の攻撃が次第に緩んできたのがわかった。懐に入ったため攻撃がしずらいのだろうと考えたナスラは樽を壊すのは今だと思った。
「エーシャ。今だ!」
そういうとナスラは樽をつき壊す。酒がまき散る。彼とエーシャはそのまま反対側に回りもう一つの樽を壊す。
バレーは蔓の中から血だらけのナスラとエーシャ飛び出してくるのを見た。そして蔓の動きが鈍くなりだしたのを見て作戦の成功を確信した。蔓の化け物は酒に耐えかねたのか身もだえている。エーシャは血と蔓の体液に塗れた体を気にせず、化物を馬上で凝視している。ナスラは彼女を見直した。今の彼はずたずたに切り刻まれていたが、興奮により痛みを感じなかった。
「ナスラ!まもなくだ。出てくるぞ本体が」
エーシャの力強い声。
ナスラは身構え、剣にこびりついた体液に気付くと振り払った。
蔓の動きが止まると、爆音とともに地中から根が飛び出した。
ナスラは突撃し、根を切り刻んだ。すると蔓は萎れていき終いには枯れたようになった。戦いは終わった。
呼吸を乱しているナスラにエーシャは歩み寄る。彼女は握手を求めた。ナスラは手を握った。血と体液が混ざった握手だった。
「改めて自己紹介する。私はエーシャ。知と力を繋ぐもの。仲介者だ」