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「おばあちゃん、ごめん、ごめんね。」
『いいの、いいの。恭子ちゃん、男は他にもいるわよ。」
「もしかして見てたの!?」
『見てないわよー。でも恭子ちゃんの顔を見ればわかるわ。恭子ちゃんを振るようなクソ男は別れて正解よ。」
「ふられたんじゃないもん!おばあちゃんったら、クソ男って。」
おっとりしているおばあちゃんだけど、実は毒舌で口が悪い。懐かしいなあ。
おばあちゃんは聖女になって、勇者たちと魔王退治の旅に出ているらしい。『聖なる力でぱあっと清めるのよぉ』だそうだ。
ザザ
ザザ
少女の顔が揺れる。
『そろ…切れかし…こちゃ…』
「おばあちゃん!」
『体に…よ。なに…石…』
「おばあちゃん!おばあちゃん!」
ふと鏡が真っ暗になり、少女の顔が消えた。残ったのは恭子の顔だ。
「おばあちゃん…」
恭子はつぶやいた。
おばあちゃんが聖女ねえ。
おばあちゃんは戦争中に看護婦をしていたらしい。『次々に怪我した人が運ばれてきてね、それは怖かったのよ。空襲もあってね。』と言っていた。
大変な時代を生きたおばあちゃん。それから子供を産んで、孫が生まれて。今は聖女をしている。徳を積むと来世でいいことがあるのね、きっと。
「ははっははははは!」
恭子は大きな声で笑い出した。日本のマンションの壁は薄い。朝っぱらからこんなに大きな声で笑っているのは頭のおかしい女だと思われるだろう。恭子はそれでもかまわなかった。お腹から思いっきり笑って、お腹が痛くなってきたころ、額を鏡につけた。
冷たくてきもちいい。
おばあちゃん。会えてよかった。
恭子は頭を上げると、歯ブラシフォルダーに刺さっていた青い歯ブラシを睨め付けた。一時帰国した彼が置いていった歯ブラシだ。
『本社に報告に行くんで、泊めてください、恭子さん。』
持って帰るなり捨てるなりすればいいのに、そのまま置いていきやがって。
…捨てるに捨てられない私も私だけど。
恭子は青い歯ブラシを掴むと、ゴミ箱に投げ捨てた。
彼は海外赴任が伸びたらしい。そのままずるずるとずっとあっちにいればいいんだわ。
恭子は歯ブラシを見下ろすと、
「ざまーみろ」
とつぶやいた。
私はきっとおばあちゃんみたいにはなれない。怪我人がいてもどうしたらいいか分からないし、誰かの『おばあちゃん』になることもないかもしれない。きっと生まれ変わっても聖女になんかなれないだろう。でも。
おばあちゃんのように笑って生きよう。
恭子は「はーーーーーーー」とお腹の中の空気をすべて吐き切ると、
「さ、今日もお仕事ですよ。」
と鏡に向かってにっこり笑った。