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「ふう。」
恭子はかじかむ手から手袋を外し、コートを脱いだ。
「そろそろ外回りにはキツい季節よね。」
恭子がオフィスへ入ると、同僚の日本人が談笑していた。日本の本社ではあまりないことだが、現地オフィスはどこもだいたいゆるい。現地スタッフとコミュニケーションを取るのはスモールトークが一番なのだ。恭子もなるべく現地スタッフとは話すようにと後輩にはアドバイスしている。ホリデーシーズンに入っているため、現地スタッフはほぼ休みだ。日本人だけだと思うと、つい気も緩む。彼もその中にいた。
「あっ恭子さんお帰りなさい。外寒かったでしょう。コーヒー飲みますか?」
後輩の女子がコーヒーサーバーからコーヒーを渡した。
「わー、あったまるわあ。ありがとう。」
「恭子さん、聞いてくださいよ、こいつクリスマスに彼女が来るらしいですよ。」
後輩の男子が彼を肘で突きながらにやにやする。
恭子が彼を見ると、彼は気まずそうに目をそらした。
「…そう。私は今日中にXX社の資料まとめちゃうから。みんなも残業しないで早く帰るのよ。」
恭子はなるべく平坦な声で言うと、自分のデスクへ向かった。
恭子は大きなため息をついた。
彼女、来るのか。そうよね、年末年始だものね。有給使って一週間?もっと?
いや、私には関係ない。関係ないったら。
資料がまったく頭に入ってこない。よし、ずっと溜めておいたあのデータ、ひたすらエクセルに数字を入力することにしよう。
恭子は山積みの書類がなくなるまで、タイプする手を止めなかった。
恭子は眼鏡を外すと、うーんと背伸びをした。肩も腰も凝り固まっていたらしい。パキっと骨がなった。
データはだいぶまとまった。あとはこれをシュレッダーにかけて帰ろう。
もう定時は過ぎているのだろう。いつの間にかオフィスはしんとしていた。
「恭子さん。」
「わっ。びっくりした。なに、いたの。」
「いたのって。恭子さん話しかけても全然反応しなくて。邪魔しちゃ悪いから待ってたんですよ。」
「ごめん、気づかなかった。なに、どうかした?」
彼は苦笑すると、恭子に近づいた。
「昼間のことなんですけど…俺彼女とは…」
「ストップ!!聞かない!言わなくていいから!」
「聞いてください。俺、恭子さんが好きなんです。」
それは頭を殴られたような衝撃だった。
え?今なんて?
「いやね、彼女が来るんでしょう。シティーホールのイルミネーション綺麗よ、二人で見に行ってきなさいよ。」
「彼女とは別れようと思ってます。恭子さん、俺と付き合ってくれませんか?」
そんなこと。まったく考えていなかったといえば嘘になるけど。嬉しい…のだろうか、私は。彼女から彼をうばって?彼が飽きるまで?この年下の彼が?
「ごめん、ちょっと疲れてるからまた今度ね。」
恭子はカバンをひったくると、逃げるようにオフィスを出た。
週末は家に引き籠った。私は何をしているんだろう。おばあちゃんの最期にも駆けつけず、彼とどうしたいのかも分からず、もっと言うならこれからの人生をどうしたいのかも分からない。ぐるぐるした思いを抱えたまま、恭子はひたすら物を整理した。すっきりした頭と部屋で思ったのは、よし日本に帰ろう、ということだった。
上司に異動届けを出すとあっさりと受理された。
「いやー、長く頑張らせちゃったからね。日本でゆっくりしてさ、またリフレッシュしたら戻っておいでよ。」
恭子はあいまいに笑うと、上司の気が変わる前に引き継ぎを終わらせた。