虹
ハルが意識を取り戻したのは、どこかの柔らかなベッドの中だった。
横になって寝かされていたため、目を開くと心配そうに自分の手を握るカイラがまず目に入る。
「ハル! 気がついた!? 大丈夫!?」
ぼんやりとした意識のまま、何がどうなっているのかよく分からず、ハルは何か答えようとして、喉が乾いているのに気づく。
「どうしたの? どこか痛い? 何か飲む?」
言いながらカイラはハルの額に当ててあった布を取った。
それをそばの洗面器の水に浸してしぼる。
「のみ……もの……」
「飲み物? 喉が乾いてるの? お水でいい?」
カイラはハルの額にもう一度布を当てると、細長い吸い口のついた水飲みの器を手に取る。
それをひと口、ふた口と飲ませてもらって、ハルは少しだけ落ち着いた。
「まる1日、ずっと寝ていたのよ。熱が高くて、痛みでうなされてて。心配したのよ……」
カイラがハルの髪をそっと撫でる。
心配かけて、ごめん。
そう言おうとして、声を出すより先にハルはまた眠気に襲われた。
また意識が遠くなる。
最後に見たのはやはり、カイラの顔だった。
ハルを見つめる、少しだけ大人になった、愛しいカイラ。
今度はいい夢を見れそうな、そんな気がしながら、ハルは眠りに引き込まれていった。
リラの民は、大陸には戻れなかった。
事情があったとはいえ、彼らの意思で『大陸を出ない』という竜との約束を破ったのだ。
仕方のないこととして、誰もがそれを受け入れた。
大陸に戻れなくなったリラの民は、新たな守護を受けて世界中の海の上を雲の大地とともに旅することとなる。
ハルはその旅の下、広大な海を眼下にしてこれまでのことをしみじみと思った。
その背には雲の民の白い大きな翼がある。
海の底から大きな影が浮上してきた。
海面が盛り上がり、鯨がその巨体を持ち上げてジャンプする。
白い飛沫が上がる。
大きな音と波とともに、鯨はまた海中へと姿を消した。
「大迫力だな」
楽しげにそう言ったのはライだ。
彼はリラの民の守護竜となり、世界中の空を巡るさい、そこの天候の管理者の権限を侵さないよう、また侵すのではないかと疑われないよう調整をする役目を担っている。
これまでと違うのは、常にそばにいて民に喜ばれ、崇め奉られていることだ。
リラの民は皆、彼のために何かをすることに日々幸福を感じているようだが、ハルは違う。
毎日ぐうたらして好き勝手に過ごしているこの竜を、ときどき叩きのめしてやりたくなる。
「神殿にいなくていいのか」
「飽きた」
「そうか」
「もうすぐ次の島が見えてくるだろう?」
「ああ」
「挨拶がわりにでっかい虹を出してくれないかと思ってさ」
「お前なあ。そのうち本当に守護者から怒られるぞ!」
「大丈夫だって。このくらいで怒りゃしないよ。それに怒られるのはこの場合俺だけだからさ」
「全く……」
言いながら、それでもハルはこの竜のために特別大きな虹を作ってやろうと右手を上げる。
雲が集まる。
大気が水を含む。
虹だけでいい。
大きな、美しい虹。
赤い竜がやってくるとき、空には特別大きな美しい虹がかかる。
そう伝説になるほど、大きな、特別な虹を。
雲の上の村から、子供達の楽しげな声が聴こえる。
その中にはそのうち、ハルとカイラの子供の声も混じるのだろう。
隣には、赤い髪の竜が笑っている。
こんな日が、ずっと続けばいいとそう思った。
空に、大きな虹が出た。
浜辺で大人の仕事を手伝っていた子供達が歓声を上げた。
それは、見たこともないほど大きな、特別に美しい、本当に大きな虹だった。
ー 終 ー




