第四十八話 使い捨てにされる哀れな者たち
遠山一族を買収し、武田軍への迎撃に舵を切らせた遠山友勝。
彼は上村合戦で討死したわけでもなく、敗戦の責任を取って自害したわけでもないようだ。
何と歴史の表舞台から忽然と姿を消したらしい。
一軍の大将にして、苗木遠山家の当主が歴史の表舞台から忽然と姿を消すなど有り得ない。
要するに『逐電[逃亡すること]』したのである。
なぜだろうか?
◇
友勝が本当に侵略行為への徹底抗戦を目的として戦を仕掛けたのならば……
無様な敗北を喫したとしても、逃亡までする必要はない。
これとは『別の』、自分の欲望を満たすことを目的として戦を仕掛けたからこそ……
こう思ったのだ。
「わしは愚かであった!
京の都の武器商人にまんまと操られ、己の欲に目が眩んで一族の者を大勢死なせてしまったのだからな……
合戦の全容を知った織田信長は、直ちにわしの首を刎ねようとするに違いない!
どうする?
どうすればいい?
そうか、あの武器商人に匿ってもらおう!
わしは……
奴らの望みを叶え、武田軍と織田軍の衝突を実現したのじゃ。
『感謝』されて当然ではないか」
と。
◇
遠山一族と、秋山信友の率いる武田軍がまさに上村合戦を行っている頃。
「これで武田軍の追手を巻くことが出来たぞ!」
伊賀者の手引で甲斐国[現在の山梨県]から逃れてきた、徳川家康の弟・康俊は安堵の表情を浮かべていた。
途中から数十人の『新たな』伊賀者が加わったことに気付いてはいたが……
その者たちが、護衛の数を減らすために数百人の民を虐殺した犯罪者集団であることなど予想だにしていない。
そんな康俊に、指示役らしき男が話し掛けて来る。
「我らの手引はここまででござる」
「ん?」
「我らは真っ直ぐ進み、三河国[現在の愛知県東部]へと入って伊賀国[現在の三重県伊賀上野市など]への最短距離を取ることと致す。
康俊殿は『手引役』と一緒に左へ曲がり、遠江国[現在の静岡県西部]へと入って浜松を目指されよ」
「え?
左へ曲がれと?
ずいぶんと険しい道のようだが……」
「己が助かりたいならば、指示に従うことじゃ」
「はぁ……」
康俊はしぶしぶと指示された通り左へ曲がり、険しい道へと入っていく。
ちょうど雪の季節でもあったからか……
兄である徳川家康の居城・浜松城[現在の静岡県浜松市]へと辿り着いた頃には、身体中のあちこちが凍傷になっていたようだ。
◇
一方。
分かれ道を真っ直ぐ進んだ伊賀者たちの集団は……
しばらくすると、背後から聞こえてくる『音』に気付く。
「何やら音が聞こえるぞ?
これは、馬蹄の音では?」
「馬蹄の音だと!?
もしや、追手が迫っているのか?」
「あの秋山虎繁[信友のこと]が……
兵の一部を割き、我らに追手を差し向けたのじゃ!」
指示役の男が冷静さを保つよう促す。
「まあ待て。
音から察するに、追手は数十人程度しかおらん。
我らとほぼ『同数』ぞ」
「何っ!?
同数だと?」
「我らは暗殺を生業とする、人殺しの玄人集団ではないか。
同数で戦って負けるはずがあるまい」
「おお!
確かにそうじゃ!」
「ならば……
奴らを返り討ちにしてやろう!」
伊賀者たちは迎撃の備えを始めた。
◇
予想通り、追手は数十人程度の武田軍であった。
その先頭には……
上村合戦で武田軍全軍を指揮しているはずの、あの秋山信友がいる。
「伊賀者たちが迎撃の備えをしているようです。
我らは数十人程度しかおりません。
人殺しの玄人集団を相手に、同数で勝てるのでしょうか?」
家臣が思わず不安を口にした。
「心配無用!
所詮は、己より弱い人々を相手にしてきた『井の中の蛙』ではないか!」
「……」
「わしは、武田軍の中でも百戦錬磨の精兵たちを率いて来た。
常に己より強い者たちに挑んできた『男の中の男』と一緒にいる!」
「それはそうでしょうが……」
「加えて。
虐殺された民の死体を検分したときに、一つ気付いたことがある」
「何をです?」
「伊賀者のほぼ全てが、人殺しの『素人』であるということだ」
「ほぼ全てが素人ですと!?
それは、真にございますか?」
「うむ。
斬られた箇所を見れば一目瞭然よ」
「斬られた箇所!?」
「腕であれ、足であれ、首であれ……
一流の玄人なら、『一太刀』で切断できるはずではないか?」
「確かに。
一流の玄人は、骨のある場所を全て知っていると聞いたことがあります。
骨を避けて一太刀で切断できるからこそ……
相手が苦痛を感じる前に、死に至らせることが可能なのだと」
「ところが。
検分した死体のほぼ全てに、何度も太刀を浴びせた跡があった」
「何度も太刀を浴びせたのですか!
あまりにも酷い仕打ちにございますな」
「素人は所詮、鍛えたところで二流、三流に過ぎん。
ああいう酷い仕打ちができるのは……
一流の玄人ではないと『相場』が決まっている」
「……」
「考えてもみよ。
一流の玄人が、己より弱い相手に何度も太刀を浴びせるような真似をすると思うか?」
「そんな真似はしないかと……
そもそも、一太刀で死に至らせることが可能ですから」
「伊賀者といえど、一流の玄人は一握りしかいないということだ。
『一流の武人』が一握りしかいないのと同じようにな」
◇
信友の話で、家臣は自信が付いたようである。
「それならば。
一流の武人ばかりを集めた精鋭部隊の敵ではありますまい!」
「見よ。
追手が同数であると知った伊賀者どもは、愚かにも勝ち目があると勘違いしている。
奴らを一網打尽にする好機ぞ!」
「殿!
まさか!
こうなると見越して、わざと追手の数を減らしたのですか?」
「奴らを一網打尽にするには……
『一箇所』に集めておく必要があるではないか」
「何とお見事な!」
◇
「我こそは秋山虎繁[信友のこと]なるぞ!
人でなしの伊賀者どもよ、覚悟致せ!」
秋山信友が陣頭に立って突撃を開始すると、伊賀者たちは驚きの声を上げ始めた。
「武田軍の総大将がなぜここに?
合戦の指揮を取っているのではなかったのか!?」
「総大将がここにいるということは……
合戦の指揮を副将に任せたということでは?」
「そんな『非常識』な!
総大将が大事な合戦を放り出すなど前代未聞ぞ!」
「我らに追い付くために、奴はあえて非常識なことを行ったのじゃ!
加えて総大将がここにいるということは……」
「あの最強たる武田軍の中でも、百戦錬磨の精鋭部隊を率いて来ていると!?
これはまずい!
まずいぞ!」
鬼の形相で突っ込んでくる武田軍の精兵に対し、素人ばかりの伊賀者では全く歯が立たない。
馬上からの素早い斬撃で体中を斬り刻まれていく。
「目を潰された!
何も見えん!」
「腕がぁっ!
痛い、痛い!」
「待て!
わしは、伊賀者ではない!
銭[お金]を稼ぐために来た『だけ』なのじゃ!」
「待ってくれ!
わしは、簡単に稼げる仕事と聞いて参加した『だけ』なのじゃ!」
「わしも、まさか人を殺す仕事とは知らず……
着いてから内容を聞かされて仕方なくやった『だけ』なのじゃ!」
「この通りじゃ!
頼む、許してくれ!
殺さないでくれぇ!」
無垢の民を虐殺された怨念に燃える武田軍の精兵に対して、命乞いなど一切通用しない。
目を、腕を、足を次々に切り刻まれた。
◇
武田軍の精兵から必死に逃れている伊賀者たちは、あることに気付く。
「手引役に加え、『指示役』も消えているぞ!
どこへ行った?」
「真じゃ!
迎撃の備えをしている間に消えたのではないか?」
「も、もしや!
分かれ道を真っ直ぐ進んだのも……
伊賀国への最短距離を取ると『見せかけ』、追手に我らを討たせるためであったのでは?」
「そんな馬鹿な!
最初から我らを使い捨てにするつもりで!?」
指示役と手引役を除き……
その場にいた伊賀者は全て、ただの肉片と化した。
◇
もう一つ付け加えておくと。
遠山友勝は……
織田信長が死んだ後も歴史の表舞台に出てこない。
匿ったもらった相手に毒でも盛られたのだろうか?
武器商人にとって、都合が悪くなった人間の一人を始末するなど造作もないことだろう。
盛られた毒が全身に回り、激痛で喉をかきむしりながら……
友勝は最期にこう絶叫したに違いない。
「これは京の都の武器商人どもの仕業だな!?
奴らは、最初からわしを『使い捨て』にするつもりで近付いて来たのじゃ!」
もし。
身の回りに、欲望や感情を言葉巧みに煽って一線を超えさせようとする人間がいるとすれば……
他人を使い捨てにする類いの人間である可能性をまずは疑った方が良い。
【次話予告 第四十九話 織田信長の愛娘、恵林寺へ】
織田信長の愛娘は……
上村合戦という無用な戦を起こした『大罪人』、遠山友勝の兄弟でした。
一族や家臣の中には、彼女にあらぬ疑いを持つ者たちがいたのです。