01.ゴブリン討伐依頼-2
イスズ村、集会所にて。
「…………」
冒険者は多数の目に見つめられていた。どれもが暗く澱み、蔓延る沈黙には無言のうちに抱える苦痛を滲ませている。
集団の先頭。高齢の男が重い口をそっと開いた。
「ようこそおいでくださいました、冒険者様……」
礼をすると同時、杖で支えていた身体が揺らぐのを傍に立つ青年が支える。反対側に構えた女性は、労わるように男の背を撫でた。
「あー、座ったままでいいよ。俺、形式とか礼儀とかよく分からないしさ」
「……かたじけない。失礼します」
マスダの軽い言葉に今度は目で礼をするにとどめ、周りにフォローされながら、男はなんとか席に着く。立ち続けようとする両脇の二人にも視線で座るよう勧め、長テーブルを挟んで三人と冒険者が対する形となった。他の村人は、三人の後ろにじっと立ち尽くしている。
「後ろの人たちは平気なん?」
「怪我人は来ないよう申しております。お気遣い、ありがとうございます……」
「ならいいけど。……さっさと話を済ませよっか」
領主からの悪辣な搾取に苦しんでいる——と思いきや、村の状況は想像していたより深刻そうであった。
(……今夜中に片付けないと、こっちに不満ぶつけられそうだし)
そこに同情など一切無いが、村人は早急に解決しようとする態度に安堵や感謝を覚えたようだった。空気が少しだけ軽くなるのが、肌で分かる。
「私はこの村で村長をしております。依頼は、既にお聞きしているかと思いますが、……森の前に、赤い屋根の小屋がございます。住み着くゴブリンの掃討を、お願いいたします」
「規模は分かる?」
「……ゴブリンが5体、幼いゴブリンが2体。5体のうち3体は屈強な身体を持っております。幼いのは、1体は生まれたてのようなものです」
「なるほどね。でかい奴ら、酒盛りとかするかな。明け方まで騒いだり」
「いえ、このところは贅沢も然程出来んのでしょう。少なくとも、日付が変わる頃には明かりは消えております」
「……そっか。うん、オッケー」
マスダはひとつ頷くと立ち上がった。その様子を、村長が視線で追う。
「……もう、よろしいのですか」
「それだけ聞ければ大丈夫。村長さん、座ってるのも辛いでしょ。ゴブリンの仕業かな」
「……」
「っそうだ!! 全部あいつらが……!!」
沈黙する村長に代わるように、隣に座る男が叫ぶ。テーブルに叩きつけた腕は、怒りを抑えるように震えていた。
「あいつら、俺の家に勝手に入ってきやがった。酒も金も足りない、俺たちが悪いんだって。家中荒らそうとしやがるのを、居合わせた村長が止めようとしてくれて——思い切り蹴り飛ばしやがったんだ! 治療したけど骨がおかしくなったのか座るのすらままならねえ」
「うちの姉も、あいつらのせいで家から出られなくなったんです……! 抵抗すれば殺すと脅されて、……あんな奴らがいるから……!!」
「自分ちの鐘がうるせえって八つ当たりを——」
「畑から盗むに飽き足らず、荒らしまで……金がないと言いながら……」
反対側に座していた女性は顔を覆って泣き出してしまった。後ろに立ち尽くす村人もざわざわと嘆きを口にする。
村の規模を考えるに、来ていない者たちの多くが似たような被害に遭っているのだろう。
「……頼みます、冒険者様」
「任せて。な、相棒!」
「依頼はこなすよ。それまでは、借りた宿屋で準備してるから」
「ええ、狭い部屋ですが……」
「構わないよ。それじゃあ、明朝8時にまたここで」
幾多もの瞳に見送られ、2人は集会所を後にした。古びた扉が鈍い音を立てて閉まるのを聞き届け、マスダはふう、と小さくため息をつく。
「……やー、空気で肩凝りそう」
「重くもなるでしょ。……早く宿屋に戻ろう。見られて警戒されたくない」
「了解。……うん、気配無し。この角度なら、家からも見えない」
周囲を警戒しながら進むマスダに合わせ、シクストも歩を進める。
振り返った先では、赤く燃える夕陽が森の中へ落ち始めていた。
「起きなさい」
「っぎゅ! ……朝?」
「夜だよ。熟睡しちゃって」
手刀を食らった額を撫ぜながら、マスダは横たえていた寝台から身体を起こした。シクストの親指が窓の外を示す通り、すっかり夜も更けている。
「夕飯食い損ねた……」
「自業自得。干し肉でも食べな」
「うーい。シクストは食ったの?」
「治療ついでにもらってきた」
「手が早いなあ」
鋭く尖った犬歯を舐めるシクストに、鞄から取り出した干し肉を噛みながら笑う。
冒険者に貸し与えられた一室以外には、傷病人が所狭しと寝かされていた。来訪者から見られる可能性の高い宿屋には、件のゴブリン達も手を出しにくいのだろう。それなりに安全が確保されている場所として選ばれたとのことだった。
村長のような重篤な症状はともかく、擦り傷や切り傷に捻挫、怪我に伴う発熱などであれば、それなりの回復魔法で治療できる。
「あんたにとっちゃ大したこと無い魔法にしても、追加報酬出ないのによくやるよね」
「夕食もらったんだって」
「治療ついでじゃなくてももらえるでしょ」
「……僕をお人好し扱いされても困るんだけどな」
「俺よりは優しいんじゃん?」
「お前基準にされてもなあ」
干し肉を噛み終えたマスダがベッドから立ち上がる。部屋を出て階段降りれば、疲労を顔に滲ませた女将が小さく頭を下げた。
夜更け前に、戻る凡その時刻は伝えている。今更話すことも特に無いので、マスダは小さく手を振って宿を後にした。
赤い屋根の小屋。
侵入者を阻むように、番犬が2匹身を伏せている。
「……」
そういえばゴブリン以外の情報、聞いてなかったなあとマスダは記憶を辿る。取るに足らない依頼であるし、何かあればシクストがフォローしてくれるだろうと、あまり真面目に会話をしていなかったのだ。
しかしこの距離でも気が付かず、その身体は痩せ細っている。……満足な食事を与えられていないことは、目に見えて明らかである。
(どうする?)
(僕がやる)
視線で小さくやり取りをし、シクストは腰に下げた小ぶりな剣に手をかけた。刹那、2匹の身体が一瞬ピクリと跳ねて、
「死んでなくね?」
「眠りを深くした。家が爆発でもしない限り起きないよ」
「犬好きめ〜」
「コボルト退治は頼まれてないし」
素知らぬ顔で家に近づく。本当に深く、深く眠っているらしく、番犬はその役目を果たさず寝息を立てている。
音もなく扉の前まで辿り着き、
「……うん」
扉と鍵をさっと調査したマスダが、ポケットから取り出したピックで静かに鍵穴をいじる。手応えを得るまで、大した時間はかからなかった。
(こういうとこのは大して凝ってなくて助かるなっと……お、罠)
小さく扉を開いた先、足元にはピンと伸びた細い紐が張られていた。これに躓けば、紐の先にある鐘がけたたましく鳴り響く防犯用の罠だ。
「今はいい。終わったら解除しておいて」
「はいはい。引っかかるなよな」
「お前がね」
音もなくやり取りをして、後は口をつぐむ。依頼をこなす時間だった。
滑り込むように扉の中へ入る。玄関からすぐ見えるのは、草臥れて金銭価値を失った家具に囲まれたリビングだ。革の寄れた大きなソファには、誰もいない。
(……ちゃんと寝室で寝てんのね)
右手から繋がるダイニング、キッチンにも人の気配はまるで無い。左手の廊下に進めば、扉と階段が鎮座していた。
(……3)
中に気配をみとめる。小さく目配せをし、シクストが扉へ、マスダは階段へとそれぞれ歩みを進めた。
階段の先には、部屋は一つしかない。迷わず開けばいびきが耳についた。
大きなベッドに、大きい個体がひとつ横たわっている。
手にした剣を迷いなく突き立てる。2度、3度。音はすぐに鳴り止んだ。
剣先を持参した布で拭いながら、部屋の奥の扉を開く。
「……」
大きなベッドに、ふたつ。小さな箱に、小さいものがひとつ。
歳の頃を見るに、ひとつ前の部屋のものが小屋の主だったのだろう。……まあ、主人だろうとその他だろうと、大した差はない。寝ているのだから尚更だ。
要領も何もなく、ただ作業のように剣を振るう。
「おーわり」
オスの個体の胸元を剣先で探る。後生大事にするように財布が仕舞い込まれていた。剣先にひっかかったそれを、無造作に床に放る。重さもほとんどなく、木の板とぶつかる乾いた音が虚しいだけだった。
「金ねぇのはマジなわけね」
ひとつ前の部屋でもとりあえず同じことをして、怠さを隠さずに下の階へ戻る。既にシクストが待機していた。
「お疲れー。とりあえず財布床に落としといた。殆ど中身ねーの」
「そう。じゃあ、後はあれどうにかして帰ろ」
「どうすんの?」
「すぐに直せるけど鳴らない状態にしておいて」
「はーい」
玄関に張られた罠に手を加える。足先すらも引っかからないことを確認して、2人は赤い屋根を後にした。
「失礼。冒険者ギルド、青鳥の止まり木で間違いないか」
「ああ……警備隊が来るとは、何かあったのかい?」
「冒険者、マスダに用がある。呼び出してくれ」
「イスズ村? ああ、行ったよ。ゴブリンの退治依頼でさあ、ねえ親父、依頼の紙残ってるー? ありがと。ほら、これ」
「イスズ村の領主一家が殺害された。心当たりはないか」
「? 俺が用あったの、村長とゴブリンだけだし。村長の証言は取れてる? なら後は森でも見てくれば良いんじゃないかなあ。まだ残ってれば、森のこの辺りにゴブリンが7匹倒れてるよ」
「此度の事件は誠に心苦しく思っております。村の要請を受け、アクエル家より管理人を派遣することとなりました。いえ、あくまで一帯はグラド家所有。我々はあくまで、村が落ち着くまでの管理役でございます。しかし傷病人が多いようだ。元の活気を取り戻すには、時間がかかるやもしれませんねえ」
「いやあ、完勝ですな」
マスダが葡萄色の液体で満たされたジャッキを掲げる。中身は色そのまま、葡萄酒である。凡そ器に削ぐわないそれはバーの雰囲気をも壊しかねないが、最早日常の光景として、亭主も目を瞑っている。
「まあ、まだ疑われちゃいるだろうけどね」
「何もなきゃ捕まえようがないでしょ」
「そうね」
シクストも、グラスに注がれた赤い液体を軽く呷る。こちらも中身は色そのままで、ワイングラスはともかく液体はバーに似つかわしくないかった。
イスズ村を治める領主は、素行が悪い。グラド家からの徴収が過酷になってからはより顕著となり、村人への過激な暴行へと形を変えた。怪我人が増えては働き手は減る。そうして領主家の財産も、次第に底を見せ始めた。
とはいえイスズ村は大きな街と街の間にあり、最短距離で進むのであれば通過せざるを得ない村だ。謂わば道の駅、とも言えるその村は、内情を知らぬ者からすれば貧困に喘いでいる村とは思わない。盗賊などに目を付けられるのも、理解できる。
しかし、実態は異なる。過剰な搾取により富など手元に残っておらず、先述の通り領主家ですら貧しいのである。
身を隠すにちょうど良い森から程近く、村の中ではかなり外観の整った家に入り——この家にすら碌な財が無いとすれば、他の家を回るのも無駄足になるのがほぼ確定だ。一軒荒らしてそそくさと立ち去ったのだろう。
それが、イスズ村で起こった事件の顛末だ。
「……あ、そーいえば罠は?」
「マスダはなんて答えたの」
「盗賊なら普通に解除したんじゃない? 知らんけどって」
「じゃあそうかもね」
「シクストはどう思うのさ」
「誤作動起こしては村人に八つ当たりしてたらしいし、本人が外しておいたのかもね。知らんけど」
「あー、いたね。そんな人」
「他人事だなあ」
「他人事だよ」
何でもない雑談を肴にグラスを傾ける二人と、それを見守る亭主。
白の薄氷亭の夜が、更けていく。
——報酬として1500Rを手に入れた!
——シクストは魔法の羊皮紙を手に入れた!