01.ゴブリン討伐依頼-1
ハルラックの街、卓越風通り。
几帳面に貼られた数枚の依頼書。
そのうちの一枚に、薄茶色の髪に残る寝癖を整えながら、冒険者が手を伸ばした。
〜ゴブリン討伐のお願い〜
小屋に住み着いたゴブリンの討伐をお願いします。
数は5体。確実・迅速な対応のできる冒険者の方にお受けいただきたいです。
詳細は依頼書にサインをいただいた日の午後7時にお伺いします。
報酬は1500Rをお支払いします。
キャンセル:× 期限:当日中
デバラ・アクエル
「……毎回思うんだけどさあ、このキャンセル欄いるの? ここに来る依頼で話聞いてからでもキャンセルOKなやつ、早々ないだろ」
「マスダ。寝坊助な君は知らないだろうが、普通の依頼もあるんだよ。朝のうちはね」
「あ、そうなの? まだ真っ当な冒険者いるんだ」
「はは」
冒険者——マスダ、と呼ばれた青年は悪びれもせずに笑いながら、視線を向けていたその依頼書を剥がし取る。バーカウンターの奥に立ってグラスを磨いていた女性はそれを一瞥し。
「受けるのかい」
「うーん、暇だし。今日確かシクスト来るっつってた気がするし」
「彼の言う予定は信用ならないが……まあ、君が望むのなら来るだろうね」
「じゃ、そういうわけで。あいつ来たら起こしてよ、亭主殿」
手にしていた紙を指から零すようにバーカウンターに滑らせる。それが検討はずれに床に落ちてしまう、など考えもしないように、まるで関心を失った様子でマスダは奥にある階段を登っていった。一階・二階をバーとするここ——白の薄氷亭は、冒険者ギルドも兼ねている。そのため三階は居住用スペースとなっていた。
「……まったく。寝坊させるわけにもいかないなんて、可愛い追い詰め方をする」
見事、依頼書は亭主殿と呼ばれた女性の手元に辿り着く。
デバラ・アクエル……依頼者の名前の横には、雑な字でマスダの名前が記入されていた。
サインをきっかけに持ち主へ合図を送るという地味ながらも希少な魔法書をわざわざ使用して、亭主がフォーマットを転記する工数費用も厭わぬ依頼者。その者が貴族であることは、勿論依頼書受理した亭主も理解している。顧客の信用を損ねるわけにもいかないので、子供のような約束を守るしかないのだった。
「いやー、亭主殿もヤな起こし方するよね!」
寝癖を復活させたマスダが、カウンターテーブルに突っ伏しながら嘆く。
「店を離れられないのでね。起こし方は約束していないし」
「何。窓でもひっかかれたの?」
変わらずバーカウンターに立つ亭主に、マスダの隣に腰掛ける長身の青年。店内にいるのは三名のみであった。
「正解。あんたの入れ知恵だろ、シクスト」
「寝坊助なお前に困ってたからさ、放っておけなくて」
白銀の前髪が掛かる空を映したような瞳が態とらしく微笑むので、それを視界の端で捉えたマスダは小さく舌打ちを漏らした。
「そんな善人じゃないくせに。あ、依頼の内容見た?」
「さっき亭主殿に聞いた。750Rねぇ」
「シクストなら釣り上げられるっしょ」
「自分でしなよ。僕は魔法書貰うつもりだし」
「えー。まあいいや、金困ってねえし。ね、亭主殿」
人差し指を立てて目配せをすると、亭主は小さくため息をつきながらグラスに液体を注いだ。形の整えられた氷が転がる音が高く響く。
「依頼人を困らせる為だけに交渉するのはどうなのかな」
「貰えるもんは貰いたいじゃん。……と、時間通りか」
鮮やかなオレンジを飲み干したところで、カランと軽やかな鈴の音が鳴る。バー/冒険者ギルドの扉が、開かれた音だった。
「——ようこそ、白の薄氷亭へ」
身なりの良い長身の男だ。すっと伸びた背筋は、一見細身に見えて、その実鍛えられていることを感じられる。生真面目さを表すような所作で一礼し、静かに店内へと足を運ぶ。
「アクエルの名で依頼をいたしました。貴方が今回依頼を受けてくださるマスダ様、ですね」
「うん。こっちはシクスト。依頼書にサインもしてる奴ね」
「お掛けください、お客様。依頼書はこちらに」
「ああ、失礼しました。……確かに」
示されたカウンターチェアに腰掛け、依頼書に目を通した男がこくりと頷く。昼頃にマスダが書いた名前の隣に、流れるような字体でシクストの名も記されていた。魔法のかけられた依頼書により、既に契約は成立している。
「では、詳細をお話しさせていただきたく。……このまま続けても?」
「ええ、人払いはかけております。私は席を外しましょう。ごゆっくり」
三人の前にそれぞれティーカップを置いて、亭主は店の奥へと姿を消した。
これで、店内には他に誰もいない。
「失礼」
男が胸ポケットから取り出したペンダントを振ると、先端で揺れるエメラルド色の石が小さく光を放った。途端、耳を刺すような静寂が訪れる。
「何それ」
「魔法石でしょ。周囲に防音と簡単な認識阻害の結界を張る魔法が込められてる」
「瞬時にお分かりになるとは、流石でございますね」
「まあね。じゃあ、仕事の話だ。後はよろしく」
「え、俺か」
「お前が受けたんでしょ」
「そりゃそうだ。……うし」
くるりと椅子を回転させ、マスダは依頼人に向き直る。
「じゃあまず、依頼人のことを聞きたいな。貴方のことでも、ご主人? のことでも」
「ええ、承知しました。私はズミ。アクエル家に仕える使用人と捉えていただければ。依頼人——デバラ・アクエルは、浦風通りの商人家でございます」
「シクスト、知ってる?」
振り向いて尋ねると、シクストはティーカップに少し口をつけてから、すらすらと説明を始めた。
「西の方にある、海辺の街オリトニアとの流通全般を取り仕切ってる家だよ。先代までは大した規模じゃなかったけど、デバラの代でのし上がった所謂ド新参者だね。元々オリトニアと商売してる家との関係は、推して知るべしって感じ」
「へえ〜。ごめんな、シクストの奴がクソ失礼で」
「……いえ。デバラも私も同業からの心象は心得ておりますので。シクスト様の仰る通り、目の敵にされることもございます」
「その邪魔者殺すって話?」
「犯人が誰か考えるまでもないね」
「俺じゃん」
「それはそう。……続けてもらって良いよ。依頼について、詳しく教えてくれる?」
「では、依頼の詳細をご説明します。失礼いたしますね」
ズミ、と名乗った青年の胸元から取り出された質の良い羊皮紙がカウンターに広げられる。程々に細かく描かれた、ここら一帯を表す地図だった。真白の手袋に覆われた指先が、地図をなぞる。
「ここ、ハルラックの街から西へ七日ほど進むとオリトニアへ到着致します。このような街道を辿るルートですね」
「? この辺は森だとしても、こっち突っ切れないの?」
随分と撓んだ弧を描くのを見たマスダが、横から指を伸ばす。ハルラックから少し西に大きな森があり、商人の荷馬車が進むには危険が大きいとされるものだ。森を避けるのは当然としてもゆるりと大きな弧を辿るので、真っ直ぐ進めないものかと首を傾げた。
「マスダ様の示す道を辿った先……この地点ですね。地図には載らない規模ですが、村がございます。ちょうど、このように」
ズミが道を横断するように指を滑らせる。地図に載らない小規模なものながら、周囲の湖や丘、森林などと繋がって存在する様は、小さな門のようでもある。
「へー。邪魔だな」
「冒険者の皆様であれば、この村を横切る選択肢もあるでしょう。しかし、」
失礼、と断り、ズミがティーカップに注がれた液体に口をつける。何の変哲もない、ただの紅茶である。
「ここの領主は、グラド家手付きの一家なのです」
「グラド家。ライバル?」
「ええ、同業者で……言葉を選ばずに申し上げれば、アクエル家は酷く嫌われております」
「それこそ邪魔者だもんなぁ。なるほどね」
地図にない村、その隣の森をとん、と一つ叩き、マスダは笑みを浮かべる。
「村は通れない。それで森を通るあんた達を殺すために、こっちにも潜んでるわけだ」
「……よくご存知で」
「珍しい話じゃないよ。森のはゴブリンじゃないの?」
「その村——イスズ村は、かの一家に支配されております。森に潜むのも、村人の役目と」
「なーるほどねえ。どう、シクスト」
沈黙を保つシクストを振り返って明るく問う。よもや今更破棄も出来まい、とズミが小さな疑問を抱くのを見て、シクストは小さく笑った。
「依頼は受けるよ。……イスズ村がグラド家に支配されてるのは、今に始まった話じゃない。確かにここを通ることができればアクエル家にも利益は大きいけどね。このタイミングでわざわざ冒険者なんかに依頼を出したのは、村人からのSOSでしょ」
「SOS?」
「アクエル家が台頭して、グラド家は落ちぶれ始めてる。オリトニアへのルートを二、三日も短縮できるのに商売で負けてるわけだ。イスズ村領主からの徴収も激しくなってるんじゃない?」
「ほー。ああ、それで領主は村人からの搾取だか八つ当たりだかが酷くなってるわけか」
「……アクエル家は、イスズ村と良好な関係を築くことを願っています。助けを求められているならば、応えたいと」
どこまでが本音だろう、とシクストは内心で笑った。
「依頼において、イスズ村には口裏を合わせるよう契約を結んでおります」
「森に潜んでるのも村人なら、マジで小屋のゴブリン倒せばOKってことね」
「ええ。……お受けいただけますか」
「もう断れないって」
「依頼書に書いたけど、この紙くれるなら僕は構わないよ」
「オリトニアの海を使い仕入れている商品です。一式ご用意致しましょう」
「やったね」
立ち上がったシクストが指を鳴らす。ぱちん、と軽やかな音と共に周囲の静寂がかき消え、世界が音を取り戻す。合図とするように、亭主が姿を現した。
「話は終わったようだね。もう出発する?」
「片道三日くらいかかるみたいだし」
「そう。では、お客様。彼らが戻り次第、いただいた魔法書でお伝えいたします」
「時間は問いません。よろしくお願い致します」
カウンターチェアから腰を下ろし優雅に一礼するズミに手を振りながら、冒険者二人はバーを後にする。
「財布忘れたわ」
「わざとでしょ。経費で落ちるから良いけど」
「いやー人の金で食べる飯はより美味しいよね」
「お前の好みに合わせると思うなよ」
「鉄味はマジで勘弁して」
「……シクスト様は、……」
「ふふ。私からは、何とも」
「いえ、介入するつもりはないのです。……本日は、これにて失礼致します。ご連絡お待ちしております」
「ええ。またのお越しを」