正解?不正解?
正解?不正解?
と考えた時
正解の選択肢はたくさんある事が多い
そんな中どの正解を選んでいくか?
「癒されなさい」
と言ってるのをみた
心に関しての命令口調
これはきっとエゴによるもの
癒されなさい
と言われても心は癒されるものではない
心は自然と動かされるもので
自然と癒せるもの
誰かが動かそうと命令しても
動くものではない
もし素直に癒されない人がいたとしたら
それはまだ心が固まってるから
心は相手によって固まったり
解れていったりするもの
相手の心を動かしたい
と思う側であるなら
命令口調になる前に
自分が変わらないといけない
きっと変わることができたのなら
その相手の心は自然に動かされてる
と思う
逆の立場で言うと
もし少しでも解れてる感覚でいれたら
その人と一緒にいる事がいいんだろう
もし少しでも固まっていく感覚があったのなら
その人と一緒にいても解れる事は無いんだろう
心が固まることは防御反応でもある
だからそれは悪い事でもない
だからうまく作用しないと
信用したらイケナイ人に騙されたり
信用してもいい人を信用できなかったりする
逆に命令されたとしたら
そこでは解れてはいけないとすら思う
もし他の人と接触しないように囲われたりしたら
怪しいだけしかない
怪しい宗教がそうだからね
怪しい宗教か?そうでないか?
怪しい宗教でなければ
教えを説く
それだけでいいハズ
教えを説いても心を動かすことができないと
今度は同じ考えの人
所謂
信者が集団で囲い出す
同じ考えの人で周りを囲んで
それ以外の人との関係を遠ざける
この段階で怪しさに気がつかなければならない
もし教えを聞いただけの段階で
心が動かされたとしたら
きっとあなたはその教えに
心が動かされたんだと思う
そのうえもし囲われてなかったのなら
間違っていないと思う
だからこそただ周りの人が
その怪しい宗教だけから遠ざける行為
それは間違ってないと思う
その怪しい宗教だけから
遠ざける事は正しいと思う
要するに
「同じ一つの世界だけ」でも
囲われるのは不正解で
離されるのは正解
要するに
その宗教だけを信じるように囲われてしまうのは不正解
とりあえずその怪しい宗教だけから離されるなら正解
でっこの場合は他の宗教なら良いってことになる
人は一つの所にずっといなきゃいけなくなると
そこに順応してその世界の中だけで何かを求めていく
たとえば
教祖の言うことを守れば癒される世界だったら
教祖の言いなりになれば安心感を得ることができたりする
だからその安心感を求めて教祖のために
何でもできてしまう人間が育ってしまう
善悪の区別すらできなくなる
あのカルト集団のように・・・・
何が正解?で何が不正解か?
そこの判断が一番重要
正解を一つにしてしまうと
前へなかなか進めなくなってしまうことも
あると思う
だから私は先の目標はぼんやり確立されてるが
目先の出来る事から前へ進む
これは内の世界の人ならでは?かもしれない
前へ進むスピードも遅い?のかもしれない
飛躍的に上っていく事もない?かもしれない
でもこれも正しい選択の一つだと思う
行き詰った時
前へ進めなくなった時
自信がない時
の選択には向いてる選択肢のように思う
要するに
なにか問題がある時
前へどんどん進めて自信がある時は
先の事を考えて今を考え
最も前へ進める別の選択肢を選ぶと思うからね
きっとそれが大きく前へ進むには一番正しい正解なんだと思う
今まで上手く行ってた人たちの経験値を踏まえての
一番飛躍的に前へ進める方法なんだろうからね
だからこそ
行き詰って動けなくなった時は目の前の出来ることを
やっていく事が一番近道で正解なんだと思う
たとえ小さな一歩なのかもしれないが
そのうち抜け出し普通の歩幅で歩けるようになり
そんな環境になったら大きく前へ進む事を
考えても遅くはないと思う
むしろその方が前へ進める気がする
最後まで読んで頂きありがとうございました




