読み返す
私は忘れてしまうことも多いのでよく読み返す
読み返すと忘れてしまったことを思い出して
あ~そうだったな こんなこと書いたな~
とただ思い出すこともあれば
あらたな直感が下りてくることもある
私は期待することはやらない
返信を期待してしまえば
送らない となる
もちろん期待してない時は普通に送る
でも少しでも期待してる自分を感じてしまったら
送ることを止める
それでも送り続ければいずれ怒りに変わり怨念へと成長する
でも
期待しないようにブロックするという人もいるよう
送ってしまい返事を期待しないようにブロックする
やってることが同じようで同じでないな~
と感じた
私は送らないを選択する理由
自分が送っても相手は興味なく
だから ましてや返信なんて来ないんだろうな~
最初はもちろん 送りたいから送ってるんだけど
だんだん相好?だと思い込むことになり
それが勘違い?という思考へ発展していく
だから 気が付いた時に辞める
でも
ブロックする人には「自分が切る」
ということがポイントのように思う
私なら返信をどこまでも期待してしまう
だからブロックすることはない
でも次は送らない
となる
「自分が切る」
という行為は私にとって抑圧となる
だからしない
離れることはあっても
自分から切ったことは今までにもないかな~?
メッセージを送りたいと思った行為が
自分軸で自分が送りたいと思ったなら
おそらく少なからず 返事を期待してしまう
でも返事を送らない習慣の人なら
期待せずに送りたいときに送るだろう
でも それが苦手な事だったり 返信を期待してしまったり
送りたくない時に送るようになっていれば
我慢や無理を繰り返してるうちに行きつく先が
「送ってやってるのに」
と変わってくるんだろうと思う
最もここまで思う前に私の場合は
「送らない」を選択するから
そこまでの気持ちに到達したことはないけどね
でも期待をするからそうなるんだと思う
そこから怒りになり怨念へと変わる
この心の流れはおそらく人間誰もが
「無償の愛」なのか?を判断するのにわかりやすい
同じ道のような気がしてる
だから
「ただほど高いものはない」
と言う言葉が出来たのかな~?と推測する
たまたまなら甘えることはあっても
過剰だったり いつもとなれば 要注意
ただ「自分が切る」という選択肢がない私の場合の流れ?
「自分から切る」という人は
自分から切るという選択肢がない
私にはない性格からくるものなんだろうと想像する
離れることが切ることだと言われたら 私の中では少し違う
イヤ 全く違うと言っても過言ではない
「自分から切る」
どんな性格からくるのか?
何かありそうな気がする
少し興味津々になっている私がいる
2022 1009 0605
最後まで読んで頂きありがとうございました




