不安症の思考
実は不安性とまではいかなくとも
不安で仕方なくなる場面はよく訪れるよう
そんな学びがあった
先日不安性のお話をしたが
そういう目で見れば
身近にもそんな子供は案外多いのかな?と思う
片親
単身赴任
共働き
などの場合によくみられるようにも思う
なぜこうなるか?
をお伝えしたいと思う
☆頼る思考
過保護とまではいかないが
片親だからと言って
親自体が少し子供に甘くなる傾向にある
なんだか甘えられると普段の負い目からか?
つい甘くなる
甘えられたり少しわがままになったり
優しい親ほど答えてしまう傾向にあるよう
だから子供は不安になると
甘えやわがままになり頼ることによって
征服という感覚までいかなくても答えてもらえることで
あ~自分のことをちゃんと思ってくれるんだな
と安心感を得ることができたりする
さらに
この段階でそんな甘えやわがままに答えてもらえなかった子供は
きっと安心感を得られることもなく不安だけしか残らず
次のステップへと進行してしまうように思う
征服欲にも繋がっていくんだと思う
大人の場合はお金に頼ることもあるように思う
お金を稼ぎ、お金に溢れていれば安心感を得られる
その結果
次の頼られる思考へと繋がる
☆頼られる思考
誰かに頼られるとついついやってしまう
優しいからやってしまうのか?
頼られることによって安心感をもらえるからやってしまうのか?
両方の場合もあるように思う
うちの子はとにかくよく動いてくれる
もう!と言いながらも動いてくれる
自分に余裕があるときは労力を惜しまない
これが行きすぎになったり
断れない体質だったりすると
最終的に過度な負担がかかってくることになる
☆身近な大切な人になればなるほど
絶対的な愛を感じれば感じるほど
冷たく、優しくなれない
今まで↑書いてることを安心感を求めてやってるとしたら
安心感を得た相手を後回しにして、冷たくなり優しくなれない
だから血縁関係の人なら離れていくことはないのかもしれないが
それ以外に措いては冷たくなったり優しくなれなくなったりするため
大切な人であればあるほど最終的に去っていってしまうループに
ハマってしまうこともあるように思う
その結果また安心感を求めてさまようことになる
ずっ~と安心感を得られず求める思考になっていく
ここまで来ても安心感を得られない人は
きっと唯一の安心感を得るために
親につくし 親が求めることは何でもやろうとする
血縁関係である親にまで気を遣うことになるんだな~
と想像する
うちの子は私たち両親が大好きであり
おそらく
私たちからでしか安心感をまだ得られてないように思う
先日あることを私に言った
以前までは
ママのことが一番好きで これからもずっと好きで
ママが死んだら私も死ぬ
なんて言っていた
冗談でヨイショするためかな?って思っていたけど
もしかして本気だったのかもしれないと思う言動だった
私に将来子供ができたらママみたいに
子供のことが一番好きになれるかな~?
としみじみした感覚で言われた
少し驚きな発言だった
確かに
子供ができてもママのことが一番好き
と言っていたがそこはもちろんヨイショだと思っていた
でも違ったよう
これが不安症とまで思った理由でもある
おそらく
ほとんどの人がどこかでストップできてるため
不安症と病名が付くまでには至らないとは思う
でも病名が付いてないだけで
ストップがかかるだけでどこか当てはまる人も少なくないように思う
もちろん全てが子供の持つ不安度によって
どこまで子供が求めてくるかは人それぞれ
だからうちの子はここまでだな~とか
子供だけでなく 大人になった自分は
この行動がそうなのかもしれない
となることもあるように思うほど
誰もがどこか当てはまるように思う
自分にとって
子供にとって
不可解な行動を感じたら
それは安心感を求めてることが多い
と頭の片隅にあるだけで
許せることにもなるし
安心感と別物に考えれば
安心感を与えることだけに意識をしながら
わがままや甘えを正したり注意を促していけば
不可解な行動は減っていく
そんな体験をしてるように思う
2022 0719 0727
最後まで読んで頂きありがとうございました




