②相手のため
相手のため
になりたくてもなれない人
相手のため
がわからない人
自我が強すぎると
貴女のように相手のためが
わからない人もいるよう
もちろん
最初は主観的な相手のため
から始まる
これは最低限守るべき事でもある
自分がされたら嫌な事は
相手にはしない
これは基本
その後徐々に相手の事がわかってきたら
相手に寄り添ってみる
自分はあまりされたくなくても
相手が望むならチャレンジしてみる
とは言っても
なかなかできない事も多い
でも基本の主観的な相手のためは忘れないように
こうしてるうちに
自分の心地良い世界が出来上がる
たまに嫌な事をされれば
指摘してみる
嫌う前に
離れる前に
何度か指摘してみる
それでも苦痛となる行為をされれば
その時に去って行けばいい
我慢する必要はないからね
主観的相手のために
もちろん主観的なんだから
相手が望んでない事かもしれない
相手も同じ感覚と思わなければいけない
だから
嫌われたくない人には気を遣うことになる
でも嫌われたくない
が広範囲になれば
自分を見失う
心地良い世界と程遠くなる
嫌われたくない人には
気を遣いながらも
やっぱり主観的相手のためを出しつつ
相手が望む、相手のためを
自分を見失わない程度に心がけたら良いと思う
自我を無くせばきっとできるハズ
自我と心のままは違う
自我で他人を誘導したり洗脳したりするのはダメ
でも相手のために導く事はいけないとは思っていない
その違いは強制力がないこと
選ぶのは相手
集団で囲ったりする時点でアウト
もちろん
誘導
洗脳
罵倒はアウト
相手のため
案外できない人が多かったりする
でもそんな人が自分となればできたりする
私は時々逆の事をする
主観的な相手のために
をやってみる
でも嫌がらせをされたりする
そんな時もしかして
私にとって嫌な事は
相手にとって嫌じゃない事なのかな?
と疑問になる事がある
そんな時は私にとって嫌な事でもやってみる
もちろん何回も確かめてからやってみる
だって私にとって嫌な事だから
やる時は慎重に調べ準備する
勇気をもってやってみてその結果
相手が平気だったらその価値観が違うことになる
相手も嫌がっていたらとりあえずイヤミを言ってみる
「私にするから気にしないと思ってた」とかね
基本は主観的な優しさ、思いやり、相手のため
それで良いと思うのはそれが基本だと思ってるから
「自分がされて嫌な事は相手にはしない」
そしたら相手のそんな姿を見てるだけで
相手の求めてる事が理解できていくと思うから
だからきっと私と同じような感覚の人が
私の周りに集まってくるのかな?
と思える
2022 0522 0858
最後まで読んで頂きありがとうございました




