自我とエゴ
私には基本的に変わらないスタンスがある
来るもの拒まず
去るもの追わず
もちろんこの言葉は意識してたというか
自分自身実感していた
去るもの追わず
本来自我やエゴが無ければ
自然にできる
だって嫌いって言われてるのに追うって事は
自分がその人の何かに惹かれて追ってる
ってことでしょ?
もちろん相手を想ってではない
自分のお自我で相手の何かを追う
その人その者に惹かれてる
その人の背景に惹かれてる
その人そのものに惹かれてるとして
でもその人に嫌いって言われても
追いかけるってそれもエゴ
惹かれたとしても追いかけない
相手の事を考えてるなら追いかけられない
私もかつて全力で引き留めたことが
1回あった
去るもの追わず
なのにね
それはエゴの塊だったんだな~
ってね
もちろん話し合いができてたら
去るもの追わず
になってたと思うけどね
基本的に相手の立場に立ってたら
相手の意見を尊重したい
でもその代わりにこちらにも言い分があったりする
そんな話し合いで寄り添いながら
相手を尊重できてこそ
そこには自我やエゴが薄れていく
あくまでも
自分の意思を通すための話し合い
自分の意思を通すために相手に寄り添う
もちろん
お互いが自分の意思を言う
もちろん
自分の意思が否定されたり
お互いの意思によってどちらか?
または両方の意思が阻害するような相手では
話し合いにはならない
話し合いをしたがったり
素直に話し合いに挑んできたとしても
お互いがお互いを尊重しなければ
話し合いを拒否してる人と同じである
要するに
相手の自我やエゴが
自分自身由来のものではなく
他人由来のものではなかなか前へは進まない
話し合いができない相手と同じで前には進めない
そんな人では
「離れる」
を選択するしかなかったりする
2022 0403 1005
最後まで読んで頂きありがとうございました




