第77鮫 紫色のフカヒレ
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SIDE:螃蟹飯炒
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『我思う
故に我あり』
これはとある詩人の言葉だが、その《《我》》を思った事がない。
先日の戦いでショウコーに完膚無きまでの敗北をしてからずっと考えている。
今まででそんなことは深く考えようとすらしなかった。
幾度とサンタ・クロースに敗北した経験もまたここへ至る蓄積になっていたのか?
いや、鮫沢とのじゃんけんを放棄して終わらせたのが原因という筋もある。
存外勝負事にはこだわるようで、あの日彩華とキャンプファイヤーで行った会話が少しばかり自分に妙な変化をもたらしたのかもしれない。
だが、そうなってくると、そもそも螃蟹飯炒とは何なのだろうか。
最早脳をデータ化して完全義体となった今を、改めて整理しよう。
その時の気分で人格も選べる、姿も選べる、カニにもなれる。
身体の一部に人格と発声機能を与えて分離させようと、本体回路さえ残っていれば直ぐにその人格のバックアップを復旧させることだって出来る。
複数の命を同時に管理、複製することすら当然な自分にとって思うべき《《我》》とはなんなんだ?
そもそも生みの親すら分からない、生まれた頃の記憶はない、一応戸籍上は試験管ベビーの孤児ということになっているが、5歳と2ヶ月までの記憶はなく両親も不明。螃蟹飯炒という名前だけが確かなものだった。
だが、その名を付けた者すらどれだけ探してもわからず、顔も知らない人間の考えで動いているのは嫌だからと今では適当に近くの国を選んで日本読みの螃蟹飯炒を名乗るようになった。
そんな自分でも、己の《《我》》についてこれだけは確かなものであると言えることが2つある。
1つは、世界の平和のために行動するならばなんの抵抗もなく人の指示を受け入れられることだ。
国の指示を快く受け入れてサイバーパンクな世界を光カネモチ達へ与えていることや、女神の指示を受け入れて何百年も生きている事が正しくそう。
だが、何故世界の平和を目的とした指示を受け入れられるのだろうか……?
これが本当に分からないのだ。
もう1つは、カニが好きだということだ。
私は、僕は、俺は、儂は、朕は、妾は、我輩は、余は、拙者は、自分は、螃蟹飯炒はカニが大好きなのだ。
そう、どれだけ《《我》》のことがわからなくとも、趣味だけはある。
カニという趣味のために行動している時は、自分に確かな考えがあって何かを成し得ている実感を得られる。
つまり、螃蟹飯炒の《《我》》とは《《カニ》》だ。
だからカニとして、同じ甲殻類のエビ野郎には負けたくない。
次のクリスマスがあれば……今度こそサンタ・クロースも倒したい。
そして、この戦いが終われば鮫沢ともう一度じゃんけんをしよう。カニのチョキはサメのチョキより強いのだと教えてやらねばならない。
カニとして、勝負に一つ一つケリをつけたいから今この場に立っている。
過去だろうと今だろうと、ずっと螃蟹飯炒はそれが《《我》》なのだ。
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今の姿は紅白カラーに染めた漢服をガサツに着込み、無精髭を生やした荒くれ者……無頼蟹の姿としてカニの爪を細長く伸ばした2本の青蟹刀を握っている。
ここはヒョウモン島のタコオックの遺跡があった山の頂上。
目の前にはショウコー・エビデンスキーが立っている。
「ほう、武侠の姿をとるか」
「お前の拳の筋を見れば真剣勝負で挑むのが最適解と思うてな、俺としてはこの姿がしっくりくる」
まさか追いかけ回した末にキャンプファイヤーをした場所へ来るとは思わなかったが、程よく狭く、そして何も無いフィールドだ。
見ている限り……というよりこっそり飛ばしているステルスカニドローンで辺りの監視もしているが他の選手は察知できない。
これなら問題ないだろう。
「俺はカニ、お前はそれと相反するエビな上にシャコ。あの日負けて以来本当に悔しかったんだ、鬱憤を晴らさせてもらう」
「じゃあ、やるかい?」
「御意!」
そして、死合が始まった。
相手の武器は右腕にシャコの捕脚と左腕はエビのまま。
双方で殴りかかってくることを考えれば遠距離攻撃を仕掛けるしかないだろう。
左脚と左手を前に構えたボクシングの姿勢でこちらの動きを待っている様子だが、そんな勝負に乗るつもりは無い、先手必勝だ。
「爪閃光!」
2本の青蟹刀はその爪を開き奥から赤色のビームを放つ。
これは電力を圧縮して放つ5200°の熱による水鉄砲のようなもの……それすなわち蟹電粒子砲!
剣はビームを出さない道具? 違う、ビームの出ない剣は所詮弱小武器なのだ!
追尾機能も完全搭載、その腕ごと焼けばこの勝負はすぐさま決まる!
「言ってなかったが俺は飛び道具が大嫌いでねぇ。そういうのは無しにしてもらいたい」
だが、ショウコーはその攻撃を前に微動だにしなかった。
それどころか、姿勢を一切変えない。
そう、2本のビームだけが彼の少し前で消滅したのだ。
バリアとでも言うのか? しかし、〈サラムトロス・キャンセラー〉の一種ならそもそもカニによる攻撃は対象外のはず。
「先祖の残した資料によると、シャコってのはどうにもパンチで時空を歪めているとも取れる動きをしているみたいでなぁ。それを利用して、使用者から半径1m以上離れた攻撃を全て削り取るバリア発生装置を作っていたんだ。俺は近接での殴り合いをしたい、だからそちらも来てくれないか?」
追撃でミサイル連打と行きたかったがそれすらも無意味なのは明白、こいつは卑怯な手を使っても勝ちたい思想を持つと同時にただただ自分がしたい真剣勝負をするために環境を整えるバトルジャンキーでもあるのだろう。欲張りな奴だ。
ならば、巨大化して戦うことも有用に思えるが、一撃が大きいシャコパンチを前提にすると的が大きくなるデメリットや場所を知らせて他の選手が乱入してくる事を踏えて避けたい。
こうなると赤き甲殻同士、正面からの殴り合いをするしかないと言える。
相手が姿勢を変えない以上はカウンター待ちと考え、それを意識した上で踏み込むまでだ。
「カニーィッ!」
颯爽と左側面へと飛び込んだ。
シャコパンチは一度喰らったことがあるおかげで、腕から見て真正面にいる相手しか狙えない正真正銘真正面に向けたストレートパンチでなければならないロマン溢れた武器なことは分析済み。しかも使用後は4.5秒の間身動きを取れなくなる硬直時間まで存在しているハイリスクハイリターンなバランスだ。
であれば、そもそも拳が当たらないように立ち回れば問題はない。
振り下ろされる2本の刃。
まずは左腕を頂こう。
「読める動きしかしないのはどうかと思うんだがねぇ」
対し、ショウコーは左腕を2回振るった。
もしこちらが全身義体のカニボーグでも無ければ腕が動いたことすら認知出来ないほどの速さで。
「……武侠気取りをするにも俺は実力不足か」
青蟹刀を握っていた2本の手がぼとりと地へ落ちた。
痛覚遮断機能のおかげだ痛みはないが、相手を見くびっていたことがはっきりとわかる証拠が出来てしまった。
どうしたものか……近づけば狩られ遠距離攻撃は通じないなど対処しきれない。
しかもまだ何かを隠し持っているとすら考えられる。
そんな状況に対し、『ここは体勢を立て直すためにも一旦この山から離れるべき。何よりこれはチーム戦であり、1匹で戦うのは元より不利』、そう頭の中の回路が演算したことですぐさま行動に移した。
素早く後ろへ下がり、変形して山から離れようと試みたのだが……。
「おいおい、逃げるのかい? それは認めたくないねぇ」
すると彼は上半身を傾け、地面に向かって右の捕脚を振るい出した。
そんなことをすれば何が起きるかなど一目瞭然。
――そう、山が真っ二つに割れるのだ!
山には緑豊かな自然がある。中には遺跡だってある(築130年前程度の人工物だが)。その全てが崩れ落ちて行く!
「アイヤー!」
ハッキリいえば相手がこの攻撃手段に出ることなど予想がついていた。
だが、山を本当に崩せば自分の足場だって崩れる。特に逃げる相手の追撃としてやるとは思わない。
であれば、その後の自身へのリカバリーも想定済みなのだろう。
こちらは一旦ロケットタラバガニへと変形して空へと飛び上がったが、この姿は左右移動が苦手で上昇する事に特化した飛行能力のカニであり、しかも他の単独飛行可能カニは存在しない。オプションパーツ型カニに寄ってしまっている。
それに、巨大化して高低差に対応しようものなら的が大きくなりショウコーのシャコパンチを喰らいやすくなる。残念ながらカニは空中戦の適性は低いのだ。
「さあ、狩らせてもらおうか」
そして、ショウコーは硬直時間が終わり次第2つに割れて倒れゆく山をバッタの如くピョンピョンと飛んで跳ねてを繰り返し、空に浮かぶカニへと近づいてきた。
体幹も足の筋力も全てが桁外れ、鳥相手すら敵わない程度なカニの空中飛行速度ではすぐに追いつかれてしまう。
一直線に空を上昇するだけなら特化した速度を出せるが、そのカニになるには一度地面に着地するシークエンスが必要だ。
なので、すぐさま甲羅がパラシュートな等身大サイズにカニシュートへ変形し地上へ緊急落下することにした。
おかげで距離を引き離しつつある、悪くない状況だ。
「そう、この瞬間を待っていた。読み合いに勝ったぞ」
だが、ショウコーは落下するカニシュートを見るや否や崩れる岩を1つ蹴り、音速の如きスピードで接近してくる。
その距離はこちらが上空10mに至ったと同時に密着状態となり、彼の右腕であるシャコの捕脚が真っ直ぐ前へと胴体に向けて飛んできた。
カニは形状として胴体と顔が密着しており、人型の際に下半身を消し飛ばした一撃では体が全身に響く衝撃で頭部の本体回路まで破壊され即死する可能性まである。
本来殺人はルール違反だが彼はそんなことなどお構い無しで、ただ命を懸けた真剣勝負をしたいというのは顔を見るだけで伝わる。
「……!?」
しかし、カニシュートはさも当然のように地上へ着地した。
強いていえば、甲羅がひび割れている程度。
「ところがどっこい……前回から自己改造をしてリアクティブ・キャンサー・アーマーを搭載したんデース!」
あれだけ時間があった、こちらも対策を取るのは当然の事。
全ての姿を通し、1回だけわざと甲羅を破壊することで攻撃を無力化する機能を新たに搭載しておいたのだ。
カニの持つ有限の汎用性は準備をする時間があれば拡張することが可能なのである。
だから、一番相手を腹立たせることの出来る人格に切り替え煽ってやった。
次の一撃さえ喰らわなけれ勝機もある。
ただ、元々の作戦であった仲間との合流は厳しいだろう。
逃げても追いつかれる相手だ、撤退する余裕が無いのだ。
「もう勘弁して欲しいぜ、強すぎるだろ」
姿と人格を無頼蟹に戻し、ショウコーに向けて両手を少し横へ広げながらそう呟いた。