第2話
思わず扉を閉めた。
何も見てない。うん、俺は何も見てない。
「俺も相当疲れているな……幻覚を見るなんて」
そうだ、あれは幻覚だ。
もう一度扉に手をかけた。今度はゆっくりと開く。
わずかな隙間から部屋の中を確認する。さっきと違って、ベッドの上には誰もいなかった。
やっぱりあれは幻覚だったか。
と思った瞬間、ドアの隙間から俺の手首がいきなり掴まれた。
「うおっ!?」
そして、物凄い力でベッドへと引っ張られる。
抵抗する間も無く、ベッドに寝転がされ、俺が逃げないようにするためか覆い被さられた。
俺にそんなことをしてきた人物は
「リーナ……」
「久しぶり、アレル……」
女勇者と呼ばれているリーナだった。そして、俺の幼馴染でもある。
俺に覆い被さる彼女は、体重を預けてきた。
逃げたくても逃げられない体勢だ。だけど、驚きはしたけど、俺は逃げるつもりなどない。
彼女の甘い香りが鼻をくすぐる。
服越しで伝わってくる、柔らかな彼女の身体。抱きしめると、それがより強く感じられる。
「んあっ……ふふっ、アレル」
彼女の顔がゆっくりと近づいてくる。
彼女の白い頰に手を添えたら、揺れる彼女の瞳が閉じていった。
男女がベッドの上で抱きしめ合っているこの状況、誰だってキスをすると思うはず。
自惚れてなければ、彼女だってそう思って瞳を閉じたはずだ。
俺が彼女を抱きしめたのは、彼女に逃げられないようにするため。彼女の頰に手を添えたのは、顔の位置を調整するため。
あとはするべきことをするだけだ。
目を閉じて動かない彼女に、俺はーー
「この盗人め!」
「んぎゃ!?」
思いっきり、デコピンした。
「普通あそこでデコピンする!? キスしなさいよ!!」
ベッドの上でプンスカと怒ってくるリーナ。
いや、怒りたいのは俺の方だ。
「お前こそ勝手に俺の剣を盗みやがって!」
「盗んでないわよ! 借りただけよ!」
「さっきの2倍の威力でデコピンするぞ」
「ごめんなさい、盗みました」
右手を近づけてやったら、リーナは謝りながら急いで額を手で隠した。さっきのデコピンは割と痛かったようだ。
これぐらいしないとこいつは反省しない。
リーナは額を守りながら、俺の方を恨むような目で見てきた。
「まったく、5年ぶりの再会なのに、この仕打ちは酷くない?」
「やかましい、盗人」
俺とリーナは同じ村の出身だ。
その村は、遺跡の中心にあるこの村のことじゃない。
今思えば、四季折々の風景が美しい村だった。
春は満開の桜。夏は蛍の光。秋は鮮やかな紅葉。冬は降り積もる雪。
家族、友人に囲まれてその風景を見るのは、本当に幸せだった。
でも、その幸せは一瞬で奪われてしまった。
魔王軍が村を襲ったのだ。
大人たちは懸命に戦ったけど、凶悪な魔物たちには敵わなかった。
大人が簡単に殺される瞬間を何度も見た。父さんも母さんも俺を残して死んでしまった。
村はすぐに捨てた。最低限の食料を持って、俺たちは故郷を捨てた。いや、奪われたと言う方が正しい。
村に残って戦っていてもすぐに滅ぼされただけだろう。村を捨てる選択は間違ってなかったと思う。でも、それで問題は解決しなかった。
魔王軍が俺たちを追いかけてきたのだ。
戦っては逃げ、追いつかれては戦う。子供の俺たちも戦いに参加した。
安息の地が何処かにあると信じて、俺たちは逃げ続けた。
でも、行き先の当てがない俺たちが安息の地に辿り着くことなんてできなかった。すぐに食料も尽き、大量の魔王軍に囲まれてしまった。
そして、最後の戦い。
最初の方は、がむしゃらにただ魔物と戦っていたからあまり記憶に残ってない。でも、最後の方は、少し覚えている。
リーナが足を傷つけられ、見捨てることができなかった俺は彼女を背負っていた。そして、リーナの父さんがずっと俺たちに向かって叫んでいた。
「子供達だけでも逃げろ!!」
何度も何度も叫んでいた。
リーナの父さんが彼女を背負う俺を見ていた。その目が、娘を逃がしてくれと言っていたような気がした。
俺はすぐに逃げた。他の子供たちも俺の後を追うように逃げ始める。
父に向かって叫ぶリーナは、戦場に戻るように俺の髪を引っ張ってきたが、無視して走った。
ただひたすらに逃げた。振り返ることもなく、涙を流すリーナを背中で感じながら、足を止めることだけはしなかった。
何時間走ったか分からない。リーナを背負いながらよくそこまで走れたと思う。
そして、奇跡が起きた。この村に辿り着いたのだ。
生き延びれた。俺はその事実が嬉しかった。
「やった、やったぞ! みんなっ!」
喜んで振り返ると、そこには誰もいなかった。
一緒に逃げていたはずの友人たちが誰一人いなかったのだ。
「みんな……みんな、どこに行ったのよぉ……」
嗚咽を漏らすリーナに、俺は何も言えなかった。
俺とリーナしか生き残れなかった。
俺たちは二人ぼっちになったのだ。
それでも、みんなの分まで生きていこう。俺はそう決意した。
だけど、現実は甘くない。
魔王軍から逃げることができても、地獄から逃げることができたわけじゃなかった。
当時は魔王軍と人類の戦争中で、資源は圧倒的に足りなかった。
誰もよそ者の俺たちを受け入れる余裕はなかったのだ。
俺たちを受け入れてくれると思えば、俺たちを奴隷として売ろうとしてきた奴もいた。
誰も信用できない。生きていくには、他人を当てにしてはいけない。
そんなことを思いながら、俺とリーナは路地裏で丸まって寝ていた。
そして、リーナは、この村に逃げてきてからずっと無反応なままだった。
人形のように全く動く気配がなく、問いかけても何も返事をしない。食べ物を口に運んでやらないと食べようともしない。酷い時は排泄でさえ……
村の皆が死んだことに心が耐え切れなかったのだろう。
俺たちが雇ってもらえない主な原因は、このリーナの無気力だった。
どの仕事でも彼女は何もしない。俺たちはすぐにクビになった。何度もクビになって、終いには、俺たちは雇ってもらえなくなった。
彼女を見捨てることを考えたことが何度もあった。
路地裏で彼女が寝ている間に、俺一人なら受け入れてくれると言ってくれた人の所に向かおうとした。
でも、彼女の寝顔を見ると、死んでいった皆を思い出して、彼女を捨てることができなかった。彼女と一緒に皆の分まで生きていこうと生き残った時に覚悟したから。
「リーナ……」
リーナを置いていこうとした俺は罪悪感で胸がいっぱいになった。許しが欲しくて、寝ている彼女を泣きながら抱きしめた。
もう二度と彼女を見捨てようとしないことを、寝ている彼女に誓った。




