少女と彼らの壁
少女の葛藤や戸惑い、少年たちの困惑など無いかのように時は止まらない。そして惑い、身動きが取れなくなりかけている彼女達を嘲笑うかのように動き出した運命の歯車は加速していく。
そして遂に彼女達の時間の針はあの日、止まった刻へと巻き戻る―――。
それと同時に、少女の身の内に固く閉ざされ封じられていた、多大なる力はまるでこれから起こることを分かっていたかのように目醒め始める。
あんな盛大に挑発するように啖呵を切って言い逃げした私は、一睡も出来ずに朝を迎えた。あれから自分の瞳を見るのが怖くて鏡を見ずにいたけれど、学校に行く為に恐る恐る洗面台に立つ。
しかし、鏡に映ったのは、徹夜の所為か、顔色があまり良くない、いつもの金色と水色のオッドアイの自分であった。
「……………よ、良かった………戻ってる」
安堵の溜息が口から零れるが、それを止めることもせず、吐きだす。いつの間に元の色に戻ったのかは疑問であるが、何よりも昨夜の「アレ」は夢だったようにも感じる。
温かいシャワーを浴びながら考えるが、どう言い聞かせようにも、昨夜の出来事は、私の中では『夢』なんて都合の良いようには解釈できず。アレは全て自分の目で視た事であり、自らが彼等に向かって言った事であり、己が実体験した出来事である。
ただ、あの時の私は、私であって、私では無いような感覚だった。記憶を引っ張り出してみても、何処かスクリーンやテレビの画面越しに見ているようだったし、私自身あの時そう思ったのだ。そもそも、私自身の一人称が違った。あの時は自分の事を「アタシ」と言っていたのだから。
「…………一体、昨日のは何だったの……」
ちゃぷん。湯船に浸かりながら零れ出た私の呟き。何処を見る訳でも無く空間を眺めると思い出すのは、私の心の奥の奥に存在する何もない真っ白な空間と、そこに一人今も居るであろう『湊』という名前の鬼の男の子。そして、彼の語った言葉。彼の話してくれたことは、ほんの少しではあったけれど、それでも何も知らない私にしてみればかなり多くの事を教えてくれていた。
彼は、私の事を初めから「オヒメサマ」と呼んでいた。そして、『湊』という名前は私が付けたものであるということ。湊君が鬼であるということ。それだけでなく、私には封じられた多くの「扉」が存在するということ。しかし、その扉の存在自体を私は覚えていないということ。
ひとつずつ考えるにはまだまだ必要なものは揃っていなくて繋げることが出来ないけれど、それでも昨日の出来事から分かったことが幾つかある。そのうちの一つが、
――――私が鬼であるというどうしようもない事実。
厳密にいえば鬼ではないけれど、それでも私には鬼のチカラを持っている。何よりも私の中に『湊君』が居るのだ。只の人間である筈がない。
あんな事をしておいて普通の人では無いことはあの時から痛いほど分かっていたのに、人間とすら言い切ることが出来なくなってしまった。
しかし、それならば私は一体何者なのだろうか。制服に着替えながらそこまで考えて溜め息を吐いた。………今はそんなことを考えてもきりがない。
床に無造作に投げ捨てられているぼさぼさなウィッグを拾い上げ、梳かして整えるも、今日は着けられそうに無いその状態にまた一つ溜め息を零しつつ一旦ベッドの上に置いて洗面台に向かう。
鏡に映る自分の顔を見つめながら、思い出す昨日の自分の言動。湊君に会う前までは確かに「私」だった。私が「アタシ」になったのは湊君に会った後、あの空間から意識が戻って来てからだった。話し方もおそらく雰囲気ですら変わっていたのではないかと思えるあの状態。しかし、二重人格では無いし、あれも私であると言い切れる。だからこそ、あれは一体何なのか、そんなことなど私自身分かっていない。寧ろ私が一番知りたいくらいだが、今日、彼等の前で惚けることが出来るかもしれない可能性でもある。
もし、彼等から見ていてあの時の私は普段とは雰囲気から違っていたのであれば、誤魔化せる。一人称が変わっていたから、多分大丈夫であろう。
一睡もしていない状態で目に異物を入れられるわけも無いので、簡単に髪形を整えて、自分の髪と瞳に術を掛けていつものように黒くする。時間を確認すると家を出る時間になっていた。鞄を持って最後に術がきちんと掛かっているか確認して、家を出る。
そして、私が「鬼」であるということとは別に分かったことが二つある。一つは、蘭翔先輩の事である。あの時蘭翔先輩は私のオッドアイを見て、戸惑った表情をしていた。私のこの目の色を初めて見た人達は、大抵驚いたような表情をするのだが、蘭翔先輩のあの表情は違う。………何処かであった事でもあるのだろうか。そうだとしても、幼い頃ならば記憶がない私には今はどうすることも出来ない。だからという訳ではないが、今は蘭翔先輩については放置。
現時点で考えるべき大切なのは、二つ目の方である。あの時の「アタシ」が彼らに向けて言い放っていたセリフの中で気になる言葉があった。言い逃げする直前、ハルに向けて言った言葉。ハルと目があった瞬間、今までにない高揚感と同時に、言いようのない感覚に陥った。それは一瞬の事ではあったが、言葉にするなら、とても懐かしいような、まるで自分の片割れを、力の半分を見つけたようなそんな感覚だったのだ。その時の「アタシ」は確かにハルに向かって言ったのだ。『まさかこんな近くにアタシと同じようなのが居るなんて』と。それだけではなく、『上手く隠してるみたいだけど、貴方もアタシと同じね』とも言っていた。
この言葉が示している意味が「鬼」の事であるとしたら、ハルは私と同じようにその身に鬼を宿しているのだろうか。信じたくないが、そう言った後ハルの目が一瞬ではあるが確かに私と全く同じ深紅になったのを見ている。
「…………今は、それどころじゃない、か」
知らない間に学校に着いていた私は、一旦思考することを諦め、軽く深呼吸をして意識ははっきりさせて気合を入れる。確実に疑惑を掛けられるであろうこれからの生活で、今はしっかりと彼等を騙し、誤魔化して上手く切り抜けなければいけないのだ。
教室に向かう前にもう一度深呼吸をして、しっかりと教室へと歩き出した。今は、絶対に言わないと心にしっかりと決めて。
――――――午後八時。
私は、黒のワンピースに着替えて、ベランダから家を出る。昨日と同じように瞳だけ朝掛けた術を解いて元の色に戻して。人目に付かぬように術を使って気配を消して屋根の上を飛ぶように進む。
「…………今日もいるのか……」
ふと下を見ると大雅先輩と蘭翔先輩がいたが、こちらには気が付いてない様なので静かにその場を離れる。離れながら学校でのことを思い出して溜め息を吐いた。
やはり、学校ではハルや一夜くんは勿論、煌哦にいに雪斗にい、さらには蘭翔先輩や大雅先輩まで、要は全員に盛大に問い詰められた。そうなる事は予め分かっていたから、私は至って冷静に想定していたように答えていたのだが。それで引いたのは大雅先輩と蘭翔先輩の二人。この二人は割とあっさりとしていて逆に私が少し驚くくらい簡単に納得してくれた。しかし他の四人はしつこかった。余りにも話が堂々巡りになっている事と、同じ事の繰り返しに私は、内心うんざりとすらしてしまったのだから。
「……………めんどくさいな」
思わず出た言葉ではあったが、これが原因でハルがキレた。この時、ハルの目は紅く染まっていた。しかし、よく確認する前に一夜くんがハルを落ち着かせようと制止を掛けたからか、紅くなっていたのは一瞬の事で、すぐにハルの目は元の色に戻っていた。
しかし、ハルの怒りが収まったわけではなく、激昂状態には変わりがない。余りにもしつこかった上に話の堂々巡りに嫌気が差していたとはいえ、この一言はなかったな、とすぐに思ったが、口から出てしまったものは戻らない。ハルの激昂に始めは驚いてあっけにとられていたが、「口は禍の元」とはよく言ったものだ、なんて考えながら流すことは出来ていたのだ。この言葉を聞くまでは。
「…………言いたくないというより、言えないんだろ。何を隠してるんだか知らねえけど、姫咲の言ってた弟の話も嘘なんじゃねえの⁇」
この言葉を聞いて、私の中で何かが切れた。
「………さい、…………て」
「は、何⁇」
「………弟の事が嘘って言葉、取り消してって言ったの。悠夜達が、心配してくれてるのは分かる。………でも、別に隠し事なんて、一つや二つあるでしょう。それの何が、いけないの」
「ゆぅ」の事まで出されて黙っていられる訳がなかった。
「そもそも、自分の事、とか、弟の事とか、そんなの私が知りたいの。分からないくせに、私の事、知りもしないくせに、勝手なこと言わないで。」
「分からないって、姫咲が自分で言ってたんじゃねえかよ」
「………言ったよ、私が。でも、私には双子の弟が居た、って事しか知らない。それ以外何も覚えてない。………これで、満足⁇なら、これ以上私の中に、入ってこないで。」
ああ、本当はこんなことハル達に言うつもりなんてなかったのに。余りにも言いたい事をはっきり言い過ぎた。そのまま居心地が悪くなって私はその場から逃げ出したのだった。
「…………もう、私はあんなこと繰り返したくないの………」
小さく呟いた言葉は誰にも拾われることなく夜の闇に溶けていく。
学校でのことを思い出して明日からどうしようと思うが、なんだかもう暫くはどうでもいいかもしれないと考え直した。今の状況を生かして、ゆぅの居場所を探すことと、自分の記憶を思い出すことに当てさせてもらおう。それに、昨日の夜の事と、学校でのことがあり、絶対に私が夜こうやって出歩いていることを知られる訳にはいかない。いくら、普段の生活の中では自分の髪と瞳の色をウィッグやカラーコンタクト、それにおばあちゃん達から教えて貰っていた陰陽術で隠しているとはいえ、本来の私の髪と瞳の色はかなり目立つのだから。
現におばあちゃんとおじいちゃんに教えて貰っていた術をこの二日間でかなり多用しているし、明日おばあちゃんたちに改めてお礼の電話をしなければ、と思い直しながらも昨日とは違う方面を詳しく見て回り、帰路へと着く。
しかし、昨日のように「鬼」に半ば取り憑かれた人たちに行く手を阻まれるが、彼らの後ろから知っている気配が近づいてくるのを感じ取った私は、血がさざめいているのを抑えながら素早く屋根へと飛び上がる。
「……あーあ、残念。昨日みたいに遊びたかったけど、今日は、彼の様子でもここから見物してかーえろ」
アタシが姿を隠すと同時にやってきたのは、悠夜と一夜。
「………ッチ、お前等かよ。昨日と同じ気配がしたと思って来てみれば、思いっきりハズレじゃねえか」
「悠夜、姫咲ちゃんのことで未だに機嫌が悪いのは分かるけど、いい加減に八つ当たりするのは止めてくんない⁇」
言い合っている二人の様子を窺いながら、一夜の言う通り悠夜の機嫌が良くないことは見てとれた。
「………だからこいつ等で、ストレス解消すんだよ!」
そう言うが早いか、悠夜の髪が金髪に、目の色はアタシと同じ深紅に変わり、鬼に取り憑かれた人たちを叩きのめしていく。その様子を呆れた様に溜め息を吐く一夜は、しかし悠夜の事を止めようとはしない。
「悠夜に叩き潰されれば奴らも出て行くだろうし、何も言わないけどさ。やり過ぎるなよ」
(………へえ、自分で完全に鬼化できるんだ~。その点はアタシの負けよね)
彼らの様子を眺めつつも、此処にいる目的は済んだし、バレない内に帰ろうとしたら。
「…………そこに居るのは分かってんだ、いい加減に出て来いよ」
「そうそう、高みの見物なんて決め込んでるとこ悪いけど、そろそろ俺たちも我慢の限界なんだよね」
あっという間に彼らを倒した悠夜と一夜に思いっきりアタシが居る事を知られていた。いや、簡単な気配を消す術しか掛けていなかったから、分かる人にはバレてしまうのだけれど。
「アハ、バレちゃった。………鬼化すれば気配に敏感になるのは、盲点だったわ。」
「ッハ、半端な鬼化しか出来てねえ癖に何言ってんだてめえ」
「そうね、アタシはまだ完全な鬼化はしてないわ。………でも、貴方より強いって言い切れる。今の状態でも充分貴方達二人から逃げ切ることが簡単にできるわよ」
「………言ってくれるね。気配も碌に隠せないコが随分強気だね⁇」
悠夜と一夜の事を随分と煽ってしまったようだ。まあ、実際のところ、アタシは事実しか言ってないから良いのだけれど。
「…………だってねえ⁇完全に鬼化出来てる上にちゃんと自我もあるようだし、そこはすごいと思うわ。でも一体、その自我を保っていられるのは何分間⁇見てた感じだと、全力で五・六分ってトコかしら⁇」
アタシが悠夜に言った瞬間二人の目がわずかに動揺を出したのをしっかりと見た。その様子に口角が上がる。
「無理矢理押さえつけて鬼化してるなんて、貴方も其処らにいる雑魚共と一緒ね。アタシと同じみたいだから期待してたのに、残念ね。………なら、もうどうでもいいわ。」
「ッ待てよ、早々簡単に逃がすわけねえだろ⁉︎」
此方に攻撃を仕掛けてくる二人を軽く躱して、アタシは悠夜の隣に降り立つ。
「あら、それで終わり⁇仮にもそっちの方が有利なのに、そんなのでホントに大丈夫⁇」
クスクスと笑いながら言えば、完全に怒らせてしまったようだ。怒りで単調な攻撃をアタシは笑って避け続ける。始めは楽しく遊んでいたが数分も経つと、完全に飽きた。
「あーあ、つまんない。飽きたから、アタシ帰るわ。悪いけど、中の鬼を押さえつけてるようじゃ駄目ね。そんなのは鬼化とは言えないわよ。もう少し自分の中の鬼と話したら⁇」
それだけ言って、アタシはまた軽く後ろに飛んで距離を取り、屋根に上がるとそのまま悠夜たちに背を向けて家へと向かう。折角アドバイスまでしたのだから、次に見る時までにはもう少しマシになっていればいいけれど。
「アタシは、アタシで鬼化についてどうにかしなきゃダメね。………そうでしょう、湊」
そう呟けば、アタシの中に居る湊が反応した気がした。