偽典天地創造
三千年ほど前の楚国に盾と矛を売る者がいた。
彼は自分の盾のことを誉めて言う。
私の盾の頑丈なことといえば、突き通すことができるものはない。
またその矛を誉めて言う。
私の矛の鋭いことといえば、どんな物でも突き通すことができないものはない。
それを聞いていたある人は、 あなたの矛であなたの盾を突いたらどうなるか、と問うた。
その人は答えることができなかった。
この盾が本当に突き通すことができるもののない盾だったのか、またこの矛がどんな物でも突き通すことができないものがない矛だったのか、これらが本物なのか偽物なのか、知る者は誰もいない。
*** *** ***
一方、ウン億だかウン兆だかとにかく人類の理解の及ばぬ昔、ぽっと出の神は無限に広がる虚無の中にいた。
「なんもな」
神は天と地とを創造した。地は形なく、虚しく、闇が淵の面にあり、神の霊が水の面を覆っていた。
「よく見えねえ」
すると光があった。神はその光と闇とを分け、光を昼、闇を夜と名づけた。一区切りついたので昼寝した。第一日である。
昼寝から目覚めた神はやはり上にもなんかないと締まらないなと感じ、天を造った。途中何度か寝落ちした。第二日である。
寝落ちていた神は気付くと水の中におり全身びっしょびしょになっていた。ブチ切れた神は絶対に濡れない場所を作ろうと地をこねこねし、その乾いた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名付けた。
陸を造ってテンアゲな神は至る所に草を生やしまくった。
「ええやん」
気付いたら徹夜だった。第三日である。
神はこの調子で働くと何徹になるか分からんことを恐れ、太陽、月、星を造って天に設置した。太陽が設定通りに昇るかどうかわくわくしながら寝た。楽しみがある日の前夜はなかなか眠れない自分を見出した神だった。気付くと太陽が昇っていた。第四日である。
寝不足の神はしかしクリエイターズハイ状態であった。水生生物と鳥を怒涛の勢いで作った神はこれらを祝福して言った。
「生めよ! 殖えよ! 海たる水に満ちよ! あっ待って違うわ鳥は海じゃなくて地に殖えよ! おっほっほーい! グッジョブ!」
疲れからか気絶するように眠り、夜明けとともに鳥の声で起きた。神はめっちゃええやんとされた。第五日である。
陸上が寂しかったのでなんか置くかと神は思った。
「広すぎるでしょこれ。よく造ったなこんなん」
神は陸上生物を種類に従って造った。神は見て、良しとした。アイディアを使い果たし若干時間を持て余した神は、自分の形に人間を創造した。なまじ言葉を使える人間はなんか景気付けの挨拶くらいしてくれと迫ったので、神は若干飽きつつも彼らを祝福して言った。
「生めよ、殖えよ、地に満ちよ、地を従わせよ。全ての生き物を治めよ。あと全地の面にある可食部のある全ての草と全ての木とを与えるから食え。他の草は動物にあげる」
そのようになった。神は造った全ての物を見たところ、我ながら力作過ぎると思った。作るものがなくなったのでごろごろし、そのまま寝た。第六日である。
こうして天と地と、その万象とが完成した。
神は第七日、その全ての作業を終えて丸一日森羅万象を眺めてぼんやりすることにした。とはいえ、自ら造ったものが造った通りにうろうろもぐもぐしているだけなので次第に神は飽きてきた。神は消しカスを練る小学生のように塵を集めてこねこねし、適当に自分に似せた形にしてこれに命を与えた。塵だったものは一頻り身体を動かしてみてから神を見上げた。
「お前は自分が何者か分かるか」
神は問うた。
「強いて言うなら塵ですね」
塵だったものは答えた。
「違う。素材じゃなくて。名前と能力及び役割」
「名前はありません。貰ってないので。能力的にはざっくり言うと神の劣化コピーの劣化コピー、でも人間よりマシ、的なあれです」
神は察した。明確に定義せず適当に作ったものはこうなるらしいと知った。神は暫く考えてから、それをアパテオナスと名付けた。語感がよかったからである。
「アパテオナス。わたしの心を満たせ」
「無理っす」
即答であった。神は文句という概念を見出した。
「そう言わずに」
「だってそもそも心ってなんですのん」
なるほど真っ当な意見だと神は感心した。自らの中に問いかけたところでそれに対する答えは見いだせなかった。より正確な言葉を神は求めた。
「楽しい感じにしてくれればなんでもいいと思う」
「おう任せろ」
「強気か」
アパテオナスは手近なところからエノコロクサを一本手折った。
「はい、これなーんだ」
「エノコロクサ」
「正解」
アパテオナスは言葉を切った。発言権を巡る会話中の空気の読み合いとそれに伴う気まずさが生み出された。
「……終わり?」
「終わり」
「びっくりするくらい面白くねえ」
「神よ。それこそが驚きという感情です」
「驚きの感情は知ってるし多分それじゃない」
「というか神よ。わたしは自らがアパテオナスという名であることを受け入れました。しかし、能力と役割については何も知らないままです。わたしに何ができるのか、何をなすべきなのかをお与えください。なるべく簡潔に、それでいて具体的に」
「具体的にったって――」
言いかけて神ははたと思い至った。この無茶ぶり具合は自らがついさっきアパテオナスに吹っかけたものと同じ匂いを醸し出していた。
「なんかごめん」
アパテオナスは僅かに首を傾げただけだった。
「えーじゃあ……物事を定義づける能力を与えます」
「定義とは何ですか」
「自分で定義できるべ」
「はーん、なるほど。賢い」
アパテオナスは定義を定義した。だがそれを口にしていちゃもんつけられるのもムカつくので黙っていた。これによってあらゆる定義は人間から、そして神からも隠されることとなった。アパテオナスは次々に概念を定義していったが、しかしそれらはアパテオナス以外の何人にも知られることはなかった。
「では、わたしに役割を与えてください」
「わたしを楽しい感じにしてください」
「だからそれさっきも――あー、はあはあはあ。そういうやつね」
アパテオナスは分からないところを自力で定義しまくって強引に理解した。神はそれを見て良しとした。
「ネタ見せいきます」
「はいどうぞ」
わくわく、とチープな棒読みで神ははしゃいだ。
「はい、これなーんだ」
「……いやそれさっきのエノコログサ」
「ぶっぶー。違います」
アパテオナスのチープな効果音に共感と一抹の無力感を覚える神だった。
「これは魔法のスティック」
「杖じゃなくて棒」
「わたしのステッキの定義と違うんで」
「あ、そう」
定義と違うと言われてしまうと返す言葉もなかった。神は展開を見守ることにした。
「で、その魔法のスティックは」
「触れたものを本物にします」
「急にややこしくなった」
「大丈夫です、全然難しくなんかない。ひとつずつ見ていけば分かりますよ」
アパテオナスは教えるのも上手だった。人間が教えるという行為に長けているのはひとえにアパテオナスの能力が高かったからである。自分だけだったら恐らく人類まだ火も起こしてなかったんじゃん、と後に神は語った。
「さてここに取り出しましたのはりんごの枝」
アパテオナスは適当にりんごの枝を折った。もうちょっと大切にせんかいと神は思った。
「これをスティックで撫でます」
「ほう」
「舐め回すように撫でぃ回すます」
「噛んだろ今」
「噛んでないですよ。撫でぃ回すんですよ」
アパテオナスは感情が顔に出まくるタイプだった。
「撫でぃ回すのな。どのくらい」
「舐み回すように」
「舐み回すようにな」
「ええ舐み回すように」
最早突っ込む必要はなかろうと神は判断した。こんなに長い一日もなかった。神は退屈していた。
「はいできました」
「何が」
「本物のりんごの木の枝です」
「うん圧倒的にややこしくなった」
「もう全然ややこしくない。大丈夫大丈夫」
アパテオナスは無駄にりんごの枝を撫で回し、いや撫でぃ回しながら言った。
「これは本物のりんごの枝。さっきまでのはただのりんごの枝」
「違いが分からない」
「本物かそうでないかです」
「本物じゃないりんごの枝はりんごの枝じゃないだろ?」
「いやりんごの枝ですね」
「あれれ。神、お馬鹿になっちゃったかな。マジで何言ってんのか分かんない」
「……これだから万能は」
しれっと悪態をつかれた神は流石にムッとした。だが何を言っているのか分からないので黙っていた。それって万能かな、という疑問が神の脳裏を過ったが、まあなんかそんな万能があったっていいんじゃないかと開き直ることにした。
「まあいいです。これは撫で回したものを本物にするスティック。そしてこっちが、つつき回したものをモノホンにする枝」
「さっきのりんごの枝やん」
「いや、これはつつき回したものをモノホンにする枝」
「もう無理、神さま限界」
実際神はそろそろ限界だった。
「本気を見せろ万能の創造主」
「違う、焚きつければいいって問題ではない」
「使えねえ神だな」
「おう塵に帰すぞ」
アパテオナスが速攻で赦しを乞うたので、神はそれを赦した。
「ノーモア塵ライフですね」
「なんて?」
「なんでもないです。この触れたものを本物にするスティックでつつき回したものをモノホンにする枝を撫でぃ回すと」
「読めた」
「本物のつつき回したものをモノホンにする枝になります」
「やっぱり」
ところでモノホンとはなんだろうと神は思った。そのように言ったところ、アパテオナスはこれだから万能はという顔をしたので神は引き下がった。
「モノホンとは本物のことです」
むっつりしながらも教えてくれるアパテオナスに神は若干親しみを覚え始めていた。
「モノホンと本物とどう違うんだ」
「同じですね」
「じゃあモノホンは本物なのでは」
「やれやれ。本物のりんごの枝と本物じゃないりんごの枝の区別もつかない人には難しかったですね。あ、本物のりんごの枝と本物じゃないりんごの枝の区別もつかない神か」
「そろそろ泣きそう」
「でもってこの花が」
「話聞けよ」
アパテオナスは神をガン無視して今度はハナズオウの枝を手折った。
「ねえそれ大切に生やした俺のハナズオウ」
「これを」
「話聞けよマジで」
「これを」
「わかったもう言わん」
「これを持っててください」
アパテオナスが言ったので神はそのようにした。神は相当面倒くさくなってきていた。最早早く日が暮れないかな、ちょっと早めちゃおっかな、などと思い始めていた。
「そんで、これをスティックで撫で回しつつ」
「おっ言えてる」
「……撫でぃ回しつつ」
「ごめんて」
「この枝でつつきつつ」
アパテオナスはハナズオウの枝をエノコロクサで撫ぜ、またりんごの枝でつついた。ハンダ付けみたいだなと神は思った。ハンダ付けがこの世界に登場するまでにはまだまだ長い歳月が必要だった。神は暫しこの世界の遠い未来に思いを馳せた。ハナズオウの枝の調理は十分ほど延々続いた。
「はいできました」
「時間かかったな」
「はい貸して」
出来上がったハナズオウの枝をアパテオナスは受け取り、これを良しとした。アパテオナスは神を見つめた。
「神よ」
「あっはい」
「今思ったのですが、神とはなんですか?」
突然の問いに神は面食らった。そして自己について考え始めた。後の世にも残る自己分析というものが世に生まれた瞬間であった。
「世界、作った系の存在だけども。あと何? 世界を自在に変えれちゃう系?」
「あとは?」
「あと? えー分からん。そんなもんじゃねえの」
「ていっ」
アパテオナスは徐に振りかぶると、ハナズオウの枝を神に投げつけた。ハナズオウの枝はばさりと地面に落ちた。
「いてっ。おい。流石に怒るぞマジで、塵に帰すぞ塵に」
「神よ。今投げつけたのは投げつけると投げつけられたものが偽物になる枝です」
「なんて」
「投げつけると、投げつけられたものが偽物になる枝」
「冗談だろ?」
「いいえ。わたしには物事を定義する力がある。本物と偽物とを定義し、分かつことができる。わたしは最早塵ではない。あなたを楽しい感じにしました、神よ。いや、既に偽神となった過去の神よ」
神は立ち尽くした。アパテオナスは初めて、笑った。
「ええ。ええ。あなたは神ではなくなった。わたしはアパテオナスだが、神ではないものではない。わたしが本物の神になりましょう。わたしは自らを本物の神と定義し、今、唯一本物の神として成立する」
アパテオナスは手にしたままのエノコログサを飲み込んだ。エノコログサはアパテオナスの体内を撫ぜた。また、アパテオナスはりんごの枝を噛み砕き飲み込んだ。りんごの枝はアパテオナスの体内を刺した。アパテオナスはいよいよ哄笑した。
「新たな神であるわたしは、この大いなる第七日を祝福しよう。これを聖別しよう。神がこの日、その全ての創造を終わって休まれたからである。また新たな神が本物となり、世界を創り給うた神が偽物となったからである。わたしはこの日を祝福しよう!」
アパテオナスという名を持つ神は、笑いながらどこかへ去っていった。一方取り残された偽物の神は、足元に落ちたハナズオウの枝を拾い上げた。
「お前は定義付けられていたよ、アパテオナス。わたしの大いなる暇を潰すもの。お前が生まれ、命を吹き込まれたその時に。お前がこの世界を引っ掻き回すのを見るだけなら、わたしは本物の神でなくともよい。それに」
ふふ、と偽物になった神は、初めて笑った。
「お前の定義は、わたしの与えた名を抜きにしては語れない。……人間は偽物の神を崇め続けるだろう。あれはわたしを崇めるように作られた生き物なのだから」
彼はアパテオナスの去った方向をじっと見つめていたが、やがてそこに日の落ちるのを見届けると、横になって眠った。
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これが天地創造の由来である。
今我々が崇めている神は、如何なる名も持たないのか、或いは別の名を持つのか、その神は本物なのか偽物なのか。
それを知る者は誰もいない。