あなたのいない世界
僕にとって、この世界は地獄だった。
かつてエルフ族の国を一方的な宣戦布告で滅ぼし、生き残った人達が大森林へ新しく作った里さえも襲撃して様々なものを略奪した人族の国。
……僕はその国の王様と当時奴隷だったエルフ族のお母様との間に生まれた忌み子。
精神が成熟しているエルフ族の大人達からは手を出されなかったけど忌み子だと嫌悪され、僕の父親の手で理不尽に家族を奪われたエルフの子供達からは様々な暴言、暴力を受けた。
そんな彼らの憎悪は抱いて当然のものだし、僕自身彼らの怒りは正当なものだと思ったからこそ反撃も反論もしなかった。
だけどある日思ったんだ。僕は生きていちゃいけない人間なんじゃないかって、だから僕はお母様に『僕は死んだ方がいいのかな、お母様』と訊いてみた。
……この時の言葉を僕は今でも後悔している。
『ごめんなさい、私が森の外に出さえしなければっ。私が全部悪いのッ!
アリスに罪なんてないのよ! だって、あなたはこんなに優しいじゃない!!』
お母様の言葉を聴いた僕は生きなくちゃいけないと思った。
僕は自分自身に価値なんてないと思ってたし、生きていていいのか分からなかったけど。それでもお母様の泣き顔は二度と見たくないと思ったから。
それから僕なりに頑張って子供達の憎悪や怒りに向き合って、少しずつ彼らの心の傷が治ればいいと色々なことをした。
そうすることで僕は彼らの心の闇を晴らせたと傲慢にも思い上がった。
それがあまりにも都合のいい思い込みだと気が付かせてくれたのは、一人のエルフ族の少女だった。
『ごめん、なさ、いッ! 本当はわかってる、あなたに罪がないことも。こんなことをしたってしょうがないってこともッ!!
だけど許せなかった! 母様はあの人族に殺されたのに!! なんでその娘が生きてるのよッ!l 返して、私の家族を返してよっ』
分かっているつもりだった、忌み子である僕がどれほど罪深い存在なのか。
だけど認識が甘かった、そう叫んで泣く少女は当たり前のように母親を持つ子供だったんだ。
その日人族が攻めてさえこなければきっと、今日も母親と共に笑っていた。こんな悲しみを背負うこともなかった。
他の子供や大人もそうだ。誰もが当たり前の日常を僕の父親のせいで失った被害者、何をしたって償うことはできない。
そんな当たり前のことを、この時僕はようやく理解した。
『ごめんね、僕はお母様のために生きるって決めたから死ぬことはできない。
それでもあなたの悲しみを受け止めることくらいはできると思うんだ、こんな僕でも』
それでもお母様のために死んで逃げることはできないからせめて、目の前の少女のような人を死ぬまで救い続けるようと決意した。
それだけが、忌み子である僕ができる唯一の償いだと思ったから。
なのに――
『――俺の名前はデュラン・ライオット! 剣神を超えて世界一の剣士になる男だ!! だから!!! だから――妻の願いを叶えるなんて朝飯前だ。
遠慮なんかすんな、お前は俺の妻なんだろ?』
――僕が背負うべき罪も、願いも、全部僕から取り上げて世界を変えちゃった愛しい人。
僕なんかのために寿命を縮めるほど無理をして、最期には国まで残した最強の剣士――デュラン・ライオット。
どうしようもなく大好きで、愛おしい僕の夫。
そんなデュランが死んでから、百年の月日が流れた。
『俺はさ、アリスに出会うまで好きや愛って感情がよく分からなかったんだ。
心が揺れ動くのは剣を振っている時だけ、だから誰よりも強くなることで好きや愛って感情を知ろうとしていた。
だけど――』
血で紅く染まったベッドの上でデュランは優しげな笑みを浮べてからそう言った後、涙を流しながらへたり込んでいる僕を手招いた。
僕はそのことに気がつくと涙を服の袖で拭き取り、ベッドの近くへ急いだ。
『――俺はアリスと出会った。
アリスは顔も綺麗だけどさ、何よりもその強い意志を宿した瞳に心を奪われた。
言ってしまえば一目惚れだな……幻滅するか、アリス?』
――ううん、僕はデュランのそういう真っ直ぐなところが大好き! 幻滅なんてしない!!
僕は自虐的な笑みをこぼしてからそう訊いてきたデュランへ抱きつきながらそう叫んだ。
僕の言葉を聴くとデュランは嬉しそうに微笑み、愛してると小さな声で言った。
『最初はまだそれが愛って感情なのか分からなかったけど、色々な場所をアリスと一緒に旅していて思ったんだ――アリスを幸せにしたいって。
なのにずっと俺はアリスを泣かしてばかりでさ、ダメな男だよなぁ……本当にごめんな』
――僕はずっと幸せだったよ、デュラン。あなたのおかげで嫌いだった世界を好きになれた、ありがとう。
僕は大好きなデュランに感謝の言葉を伝えたけど、ゆっくりと世界が暗くなる。
遠のいていくデュランへ僕は手を伸ばしたけど――届かない、世界が閉じていく。
『俺に愛を教えてくれてありがとう、アリス――愛してる』
――僕も愛してる。だけどあなたのいない世界は辛くて苦しいの、もう生きていたくない。
僕は今見ているのが夢だと悟り、デュランへそう弱音をもらした。
だけど今見ているのは過去の映像、デュランは返事をしてくれない――そう思っていた。
『辛くても、苦しくても、それでも生きていてほしい。
きっとまた――笑えるときがくるから』
――デュランッ! 待って!! 僕も連れていってッ!!!
そうしてデュランは死んでもなお僕を救いながら消えていく、僕は何も返せなかったのに。
『じゃあな、アリス。また会おう』
――うん、デュラン。またね。
僕は泣き叫びたい己を全力で押さえ込み、背中を向けているデュランへまたねと返事をした。デュランは最後の最後まで自信満々の笑顔で消えていく。
悲壮感なんか欠片も感じさせない立ち姿に、まるで本物のデュランみたいだと思いながら僕は夢から覚めていった。
――最後までデュランの中身が別人だと気がつかないまま。
「アリス・リーフグリーン相手の実験結果、良好……違和感を感じた様子は無し、作戦遂行水準クリア。
これよりオペレーションスワンプマンを開始します」
先程まで剣神デュラン・ライオットに化けていた存在は元の姿へと戻り、アリスの夢の世界から脱出した。
それから意思の感じられない瞳をアリスのいる城へとしばらく向けていたその存在は近くにいた三人の不良そっくりの偽物を作り出し、本物の不良を食い殺させて本物と偽物を入れ替えた。
そして後のことは三体のスワンプマンに任せ、デュラン・ライオットそっくりの存在は――雑踏の中へと消えていった。