第2話「望まぬ出会いと、生け贄少女」
ヴァニッシュの予想通り老人は村長だった。葡萄酒が木の器に注がれる。不味そうな葡萄酒だった。
「それで? 余所者にいったい何の用があるんだ?」
お決まりのセリフを言い放つ。相手が話しやすくするためのテンプレートのようなものだ。
「ふむ。少なくとも肝っ玉は据わっておるようじゃの」
村長は自分の事をガルデスと名乗った。
ガルデスが葡萄酒を飲むのを見て、ヴァニッシュも一口飲んだ。案の定酸っぱくて渋くて薄くて不味かった。
「実はの、この村は林業と小さな炭坑で細々と生計を立てておるんじゃが、最近炭坑に害獣が住み着いての」
「なるほど。わかりやすい話だな。害獣の種類はわかるか?」
「さて、村人の話ではネズミの様な顔をしておったらしいのじゃが」
「そりゃラットマンだな」
ラットマンは大陸全土に分布する害獣で強い繁殖力を持つ。力は大したことは無いのだが武器を使う程度の知能があり、集団で襲いかかってくるので質が悪い害獣として知られる。
「まあ俺の敵じゃねぇけどな。相場なら金貨……」
「金は無い」
村長のガルデスはキッパリと言い切る。
「おいおい爺さん、そりゃ通らねぇよ」
ヴァニッシュはため息とともに肩をすくめた。
「大丈夫じゃ。金よりも良い物を用意してやろう」
自信満々に言い放つ。
「はあ? 金以外で良いものって……」
そこでヴァニッシュは酒場での会話を思い出す。別に小声で話してた訳でもないので丸聞こえだったろう。
「うむ。報酬は女じゃ」
「商売女で話を受けるほど安くねえよ」
ヴァニッシュは「はっ」と笑い飛ばした。
「お主、嫁を探しとるんじゃろ?」
「あ?」
村長の言葉に眉を顰める。
「ワシの孫娘をくれてやると言っとるんじゃ」
「はあ?」
冗談にしても質が悪い。
「恥ずかしい話なんじゃが、実はこの村には結構な借金があっての……今までは何とかしのいできたんじゃが、今回の件で一気に悪化しての……」
「だからって……」
「今月中に金を返せなければ借金のカタに孫娘が連れて行かれてしまうんじゃ……うう……」
ガルデスがうつむいて悔しそうに歯を喰いしばる。
「今月って……後8日しかねえぞ? 仮に明日一日で炭坑が何とかなっても、7日程度じゃ金になんねえだろ」
「それは大丈夫じゃ。実は10日ほど前に優秀な山師を雇っての……まあそれで現金を使い果たしたり、調査のために炭坑を休業しとる間にネズミどもに乗っ取られたりした訳じゃが……」
ガルデスの声のトーンが尻つぼみになっていく。
「踏んだり蹴ったりだな」
少しばかり同情した。
「それでその山師は?」
「町に人足を集めに行っておる。明日には戻るじゃろうから、それまでに害獣を何とかしておきたいんじゃ」
「なるほどね」
せっかく起死回生に大金積んで山師を雇ったが害獣をなんとかしなければ借金が返せずどのみち孫娘は連れて行かれる図式である。
「実はの……孫娘を……売りに出して、明日にでも町でクランを雇うつもりだったんじゃ。」
「人身売買はこの国じゃ御法度だろ。上手くルートを見つけても買い叩かれるだけだぜ?」
「その通りじゃ」
(ああ、だったら嫁に出した方がいくらかマシって考えたわけか。その辺はあまり同情できないが……)
ヴァニッシュは腕を組んで考え始める。ある理由で一刻も早く結婚したいのは事実。弱みにつけ込むようで心苦しいが悪い話じゃない。どのみち売られるくらいならば俺と一緒に幸せに生きるのは選択としてありだろう。もっとも気に入るかどうかは別として。
ヴァニッシュはあまり女性にこだわりは無い。
人間として普通であり、剣で生きる事を認めてくれるのならどんな女性でも大切にする自信があった。
「少し……考えさせてもらえるか?」
ガルデスがギョロリと眼を向ける。
「わかりましたじゃ。明日までに返事をいただけるじゃろうか?」
「そうしたい所だけどよ……」
「わかっております。孫には事情を話した後でヴァニッシュ殿の部屋に行かせるじゃ。ゆっくり話すが良いじゃろう」
「そうさせてもらうぜ」
「まあ逢えばすぐに気に入るじゃろうて」
孫自慢をされるとかえって心配になるヴァニッシュだった。
「ワシが言うのもなんじゃが、美しい娘じゃぞ。じゅるっ」
「じゅるってなんだよ?」
「しかもオボコじゃ! お買い得じゃぞ? じゅるっ」
「オボコ言うな! 意味のわかんねえ奴はお兄さんお姉さんに聞け! お父さんお母さんに聞くなよ? それとじゅるっじゃねえ!」
「ほっほっほっ」
「ったく……」
村長の案内で割と広い客室に通された。
ベッドの他にちゃんとテーブルとイスも用意されていた。その木製のイスに腰掛ける。水差しが置いてあったので冷たい水を一口含む。
ヴァニッシュにはどうしても早く結婚したい理由があった。
彼は今22歳であったが、結婚相手は30歳だろうと、16歳だろうと、それなりの人格者であれば容姿にもあまりこだわりはない。もちろん限度はあるが。
(……そういえばあのライフル姉ちゃんは、凹凸が理想的だったな)
名前も知らない危険な女を思い出す。もう二度と会うこともないだろが。
コンコン。
扉がノックされる。
「どうぞ」
返事をしてそのまま待つが一向に入ってこない。
「あ……あの……」
扉の向こうから声がするが中に入ってくる様子がない。
「あの……お爺様から話を聞きました。ヴァニッシュ様がこの村をお救いくださると……」
扉を挟んでいるのではっきりとはわからないがかなり若い声である。
「単に害獣退治を頼まれただけだ。まだ受けるかどうか決めかねている」
「やはり……報酬は前払いで無ければ……お受けいただけないのですね……」
声が震えていた。
「いや、そういうんじゃなく……」
「大丈夫……です! 私……もう覚悟は出来ていますから!」
ようやく声がはっきりと聞こえた。
「慌てんなって、とダニく中で話を……」
「私……初めてなので……優しく……してくださいまし」
「だから話を……」
ガチャリ。
窓から差し込む月光。透けるほど薄く淡い夜着。限りなく全裸に近い少女。身体のラインがシルエットに浮かぶ。健康的な肉付きだが締まるところはしっかりと締まって太ももが柔らかなラインを描きだし内股にはデルタの空間があった。ちょっと丸っこい肩から細い腕が伸びる。脇の下にも隙間があり胸にはほとんどボリュームが無かった。折れそうなほど細い首。肩に届かないふわっとした髪は緑がかっているように見えた。
表情はシルエットでまだ見えない。
「ヴァニッシュ様……」
少女が一歩踏み出す。
その表情が薄明かりに照らされた。
その顔を見た瞬間にヴァニッシュは叫んだ。
「チコリーーーーーー?」
ヴァニッシュが天井まで飛び上がる。
「あのっ……?」
少女が怯えて小さな声を上げた。
「てめえ! チコリー! こんな所まで追って来やがったのか! しかも手の込んだ芝居しやがって! 服を着ろ! 村人まで巻き込みやがって……! 今すぐ謝ってこい!」
「え? ……ええ?」
「まさか髪を染めたくらいで別人になったつもりじゃないよな? チコリー!」
ヴァニッシュは一気にまくし立てて少女に指を突きつける。
「あの……私の名はアイリス……」
「ぐあー! まだ言いやがるか! チコリー! いい加減にしろ! どれだけ迷惑撒き散らせば気が済むんだ?」
「私は……そのチコリーと言う人では……」
突然の変容に半泣きで言葉を絞り出すが、どうやら通じなかったようだ。
「……よーし。よくわかった……今日こそはお仕置きしてやらなくちゃわかんねえみたいだな……」
「えっ……お仕置き……? ヴァニッシュ様……?」
ガチャリともう一度扉が開き、ガルデスが入ってくる。
「いったい何事ですじゃ? どれじゃけ激しいプレイをされて……」
さらに騒ぎを聞きつけた村の人間が起き出してこの家を囲い始める。それだけヴァニッシュの声が大きかったのだ。
「村長、こんな夜更けにどげんしたとね?」
村人らしきおっさんが怪訝な顔で村長宅をのぞき込んでくる。
「ぎゃおー! 村中全部グルか? そうなんだな?! 俺は騙されねえぞ!」
狭い村だ。全員が家族みたいなもの。当たり前のように窓から顔を覗かせる。
「手前ら! いい加減この猿芝居をやめないと村中お仕置きすんぞ?」
窓の外にどんどん集まってきた村人たちも怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「お爺様! ヴァニッシュ様が私をどなたかと勘違いなされているようで……」
「なんと? ヴァニッシュ殿! これは正真正銘ワシの……」
「うるせー! よーくわかった! 全員お仕置きされたいんだな? そうなんだな!」
全員に動揺が走る。
「チコリー。まずはお前からだ」
「え……わっ……私はっ!」
「問答無用ーーーー!」
「きゃあああああああああああああああ!」
こうして。
ヴァニッシュは意味不明の言葉を喚きながら、逃げ惑う村中の人間にお仕置きをしていった。
お仕置きの内容は永遠の謎である。
村人たちのために。




