第17話「ここにいたってタイトルにいまだ勝利の鐘響かず」
(お嬢さん……!)
混乱した中、アイリスが立てかけられている柱の元にクパリが寄ってきた。
「クパリさ……!」
(静かにするダニ! いま自由にするダニ!)
声を上げようとするアイリスを制して腰から包丁を取り出す。
(どうして……?)
(みんな間違ってるダニ! お嬢さんはこの村の大事な人ダニ!)
必死になって堅いロープに包丁を立てる。
(クパリさん……)
アイリスの瞳から涙が溢れる。
(今の内ダニ! みんなあの巨人に目を奪われてるダニ! 逃げるダニ!)
(ありがとう!)
自由になったアイリスは一言お礼を残して全力で走り出した。
(お嬢さん! 服を! ……ダニ)
クパリが用意していた麻の服を渡そうとしたがアイリスは裸のまま坂道を下っていってしまった。ヴァニッシュに向かって真っ直ぐに。
その背中をクパリがさわやかに見送る。
(お嬢さん……大好きだったダニ……)
クパリの鼻から血が一筋たれた。彼の視線は小ぶりなお尻を追っていた。
台無しダニ。
少しずつガンジェリヲンの動きが速くなっている。初めは簡単に鋼鉄の足を避けていたが体力の低下も伴って次第に躱すのが難しくなっていた。
(まずい……このままじゃジリ貧だぜ!)
せっかく敵は武器が使えないというのに反撃する術がない。
「ヴァニッシュ様!」
「アイリス?」
裸のまま走ってきたアイリスがその勢いのままヴァニッシュに飛びついた。
「無事だったか! 良かった!」
全力の突進だったがヴァニッシュは簡単に受け止めた。
「ヴァニッシュ様! そのお身体!」
「大丈夫だ、とりあえず生きてる……うをっと!」
「きゃあ!」
鉄塊がせまってくる。慌ててアイリスを担いで避けた。
「感動の再会ぐらいゆっくりさせやがれ!」
ロボに向かって吠えた。
『まったく羨ましいですね! 2人もろとも挽肉になりなさい!』
ガンジェリヲンの鋼鉄の蹴りは、彼らにとって高層ビルで殴られるのに等しい。
「アイリス! 逃げろ! 町へ走れ!」
「嫌です! 一緒にいます!」
轟音をあげ壁のような蹴りが襲う。再びアイリスを抱いて飛んだ。
『次は! 当てる! だんだん自由に動かせるようになってきましたからね!』
「クソッ!」
急速に鋭さを増したロボ動きに避けきれないと判断してアイリスを突き飛ばした。
「きゃあ!」
「ぎゃぶっ!」
蹴りは身体をわずかにかすめただけだというのにヴァニッシュの身体は10m以上も地面をサッカーボールみたいに転がっていった。
『はは……! 当たった! 当たったぞ! どうだヴァニッシュ! 死んだか? はは……あーっはっはっはーーーー!』
今までの苛立ちが嘘のような晴れやかな笑い声が響いた。
「ヴァニッシュ様!」
アイリスが駆け寄ってヴァニッシュにしがみつく。
「がふっ……やべ……死ぬかも……」
大量の血が口から溢れ出た。骨も内臓もズタズタだ。まだ生きてることが不思議だった。
「死なせません! 絶対!」
アイリスがヴァニッシュの鎧と下着を剥ぎ取り己の身体と密着させた。
「ばか……逃げ……がぶぉっ」
完全に致死量の血液を吐き出す。
「ああっ! ……大地の母よ、太陽の父よ、この者に大いなる癒しの息吹を与えたまえ!」
アイリスの身体が強く輝く。ヴァニッシュの身体から痛みが少しずつ引いていった。
「いいから……! 逃げ……ろ!」
「嫌です! ……私の全てを捧げます……! 神さまお願いします! ヴァニッシュ様を助けて!」
アイリスの輝きがさらに増してヴァニッシュの傷が塞がる速度が増していく。
『……? 小娘……何をしている?』
高笑いをあげていたローガンが2人の様子に気付く。
『やめろ! 小娘! せっかくのショーが台無しだろう!』
ローガンはそれがヴァニッシュを癒やす「何か」だと言うことに気がついた。
「もっと……大いなる癒しを……お願い! 大地神よ! 太陽神よ!」
全てを無視してアイリスが全力で神の奇跡を敢行する。
「もう逃げろ! 頼むから逃げてくれ! アイリス!」
『女ぁ! 無視するかあ!』
ガンジェリヲンの足が上がる。
「!」
陽が遮られ影になる。ヴァニッシュはもう一度死を覚悟した。
ゴギャア!
爆音とともにガンジェリヲンの足が持ち上がった。
『ぬがあ?!』
「なに?」
巨大すぎてハッキリとはしないがガンジェリヲンがよろめいていた。
「あれは!」
巨神の遙か上空に光が見える。幾多の隕石が炎の尾を引いて、流星群となってガンジェリヲンに落下していく。
「え?」
アイリスが天を見上げて目を剥いた。
「ありゃ……チコリーの最凶最大のウィッチクラフト。メテオスフォールだ……」
「す……すごい」
巨大な隕石が次々とガンジェリヲンに襲いかかる。
隕石が当たるたびにガンジェリヲンはさらに姿勢を崩していく。
「今のうちに……癒しの息吹よ!」
アイリスはより強くヴァニッシュに抱きついて癒やしを続けた。
「もう……動ける。だからアイリスは逃げろ!」
ヴァニッシュが上半身を起こす。なんとか出血だけは止まったらしい。激痛は精神力でねじ伏せることにした。
『ぬおおおおお!』
ガンジェリヲンが雄叫びを上げる。
「絶対に離れません!」
アイリスが叫ぶ。
「今が逃げるチャンスなんだ! おそらく……あのクラフトじゃ倒せねえ」
「関係ありません! 私の命はヴァニッシュ様のものです!」
決して離さないとばかりに両手両足でしがみついていた。
「さっきから「様」付けに戻ってるぜ? ……とにかく逃げ……」
「私! お爺ちゃんに捨てられたんです! ……もう……行くところが……無いんです……」
大粒の涙を流しながらヴァニッシュにしがみつく。
「アイリス……」
『ええい? なんだこれは? 馬鹿にしやがって! 術者はどこだ? このオンボロめ! 敵がどこにいるのかくらい……っ!』
ローガンの怒鳴り声が急に止まる。
『くっくっくっ……』
ガンジェリヲンの頭部がエルベラの町を向いた。
『そうか……そこか……私をコケにした罪は重いぞ! 判決は死刑! 町ごと消してくれるわ!』
ヴァニッシュがはっと顔を上げる。
「ローガンの野郎ぶち切れてやがる!」
「まだ動かないでくださいっ!」
アイリスが必死に背中にしがみついてきた。
「くそっ……こいつが使えば……」
悔しさに歯を食いしばる。
「……兄貴……」
大剣を握りしめた。
その時。
「?」
ヴォーンという音がして突然ヴァニッシュが手にした大剣が開いた。
「な? これは!」
まるで獣が牙を剥くように大きく二つに刃が開く。その中央にいくつものギアやホイールが現れ高速で回転を始めた。
「……発動……する……のか?」
ヴァニッシュが震えるように呟いた。
心を落ち着けて体内のマナ回路の動きを追う。
壊れたままのマナ回路から意味をなさないマナが背中に抜けていくのを感じる。
「こりゃ……!」
やはりダメかと思った瞬間だった。
「私にも……わかります!」
アイリスが叫んだ。
まるでヴァニッシュの身体から逃げ出すように抜けたマナがアイリスの身体に潜り込み、その中で正常に組み立て直されヴァニッシュの身体に戻っていくのだ。正規に書き戻されたマナがヴァニッシュの身体に流れ込む。
「うっ! くふっ!」
途端にアイリスが苦しげに声を上げる。口端からは血が漏れていた。
「アイリス!」
「大丈夫……です!」
気丈に言葉にする。
「お前に負担が掛かりすぎだ! ヘタしたら死ぬぞ! 離れろ!」
本来ヴァニッシュがもつこれはただでさえ尋常ではない力なのだ。まだ幼いアイリスが抱えられる力では無かった。
「このままなら……全員死んでしまいます! 私わかります! これは凄い力です! きっとこの力なら……うくっ!」
「!」
アイリスの言うことは正しい。その通りだ。冷静にならなければならない。
ローガンは力に当てられて正気を失っている。時間が無い。
この大剣が発動するのであればアレと対等に戦える。
「うく……うぐぅ!」
「……?!」
ヴァニッシュはギリリと歯を喰いしばる。
「すまん……アイリス……力を……貸してくれ」
絞るように言葉を紡ぐヴァニッシュ。
「もちろん……です! ヴァニッシュ……様!」
アイリスから流れ込んでくるマナを受け入れる。ヴァニッシュの奥底で眠っていた発動体が目を覚ます。彼の家系にのみ受け継がれる原初の発動体。大剣の奇蹟の力を目覚めさせるためだけの発動体。
大剣のホイールとギアの回転速度が上がる。
「おおおおおお!」
あと少し! あと少しが足りない!
(起動しやがれ! こんちくしょう!)
マナがアイリスの身体に引っかかるように流れが悪い。
「クソッ! あと一歩だってのに!」
「ヴァニッシュ様! 覚悟を……決めてください!」
「なに?」
振り向いたヴァニッシュの唇にやわらかいものが重なった。
「?!」
重なり合った唇から、一気にマナが流れ込む。
「ん……」
アイリスに強く頭を引き寄せられ、さらに深く重なる。ヴァニッシュの口内に彼女の舌が侵入してきた。
「!!」
ヴァニッシュの口内に唾液と共により強いマナが流れ込む。
(こっ! こいつぁ!)
喉を通って身体に満ちる。その瞬間、体内の全てのマナが正常化された!
「おおおおおおおお!」
ギアの回転が超高速に上がる。
「感じるぞ……溢れる力を!」
大剣はもはや太陽に匹敵する輝きになっていた。
「ヴァニッシュ……様!」
『……? お前……何をしている? 超圧縮高エネルギー反応? これは! いったい! 何なんだ?!』
異常事態に混乱気味の声を上げるローガン。
「見せてやるよ……カガク兵器に対抗して作られ、炎の七日間に終止符を打った、原初の魔導器の一つ……」
ヴァニッシュが大剣を真上に掲げた。
「ヨルムンガンドの力をなああああ!!!!」
開いた刀身から光が伸びる。
「おおおおおおおおおおおお!!!!!」
それは。
ガンジェリヲンの身長に匹敵する。
巨大な蒼い光の刃だった。
『な……何なんだぁ! それわあああああ!』
「喰らえ! カガクと魔術の融合した最初で最後の力!」
大剣ヨルムンガンドを振りかぶろうとして、急に手応えが重くなる。
「なっ? なんで?」
真っ直ぐ真上に構えていたときには、元の剣の重みしか感じなかったというのに。
ヒュゴウという轟音が切っ先から聞こえてきた。
「! 空気抵抗か!」
恐ろしく重い剣を全身の膂力を使って上段まで引き上げた。
「くそっだらああああ!」
筋肉の奥底まで呼び起こし、強引に振り下ろす。
『ぬおぅ?』
ガンジェリヲンがたたらを踏む。
「どうだ?」
『なっ! なんというパワー? ……駆動系に異常? 知るものか! とにかく……踏み潰してくれる!』
「はあ……うはあ……ぅく……」
背中におぶさるように身体を密着させていたアイリスの呼吸が激しくなる。
「アイリス! ……くっ……!」
想像以上にアイリスに負荷が掛かっている。
「……大丈夫……平気です……から……ですから……ぅくっ!」
「……くそっ!」
奥歯を噛みしめて再びヨルムンガンドを振り上げる。
「すまん……アイリス。もう少しお前の力を貸してくれ! これで決める!」
「はいっ……」
アイリスは無理矢理笑顔を作る。
『殺す! 殺す! 殺す!』
ガンジェリヲンが目前に迫る。
「ヨルムンガンドと共に受け継いだ、俺の名を持つ破滅の業!」
『死ねえええええええええええ!』
閃光と鋼鉄がスパークする。
「ヴァニッシング・セイバーーーーーーーー!!!!!!!」
ギアが悲鳴を上げ、光の大剣が血のような暗い紅に変わる。
「おおおおおおおおおお!!!!」
『うおおおおおおおおお?!?!』
深紅のソレが、ガンジェリヲンの巨体を押しつぶす。
その巨体はゆっくりと背後へと倒れていった。
鉄の巨人が倒れると今までで一番激しい揺れが襲う。
「うをっ!」
「きゃああ!」
身体が身長の高さほども浮き上がる。とっさにアイリスを抱きかかえて着地する。
それが最後の揺れとなった。
「……アイリス……もう……大丈夫だ」
「は、はい……」
2人の身体が離れると急速にマナの流れが悪くなり大剣ヨルムンガンドは元の形に戻ってしまった。
(……マナ回路が直った訳じゃねえのか……)
一瞬落胆するが頭を振る。
「その辺に俺の服があるはずだ。ずたぼろだが裸よりいいだろう。探して待っててくれ」
「……? どこに行くんですか? ヴァニッシュ様!」
「様はやめてくれ……ローガンを探してくる」
「そんな……」
アイリスは立ち上がろうとするが足がふらつきその場で崩れ落ちる。
「とりあえずあのデカ物を転ばしただけだ。どれだけダメージ与えてるかよくわからねえ。また動き出す可能性が高い」
「だったら……!」
「ここで休んで体力を回復しておいてくれ。ヤバい時はまた力を借りることになる」
ヴァニッシュの言葉に嘘は無い。唇を噛みしめてアイリスは言葉を絞り出した。
「……はい……わかり……ました……。気をつけてください」
「おう、行ってくるぜ」
ヴァニッシュは大剣を担いでガンジェリヲンの足の上によじ登り、鋼鉄の脚の上を疾走した。




