第16話「狂気風味の味付けがお好み? いいえつるぺたです」
それはまるで山そのものが歩いている様だった。
時間がスローになったかと錯覚するほどゆっくりと神像の足が踏み出される。その一歩が飛び上がるほどの震動を生んだ。ただ歩くだけで大地震を呼ぶ姿はまさに神か悪魔のそれである。
「おおお……」
ガルデスが尻餅をついたまま老体を振るわせた。
体力の尽きたアイリスが全裸で柱に縛り付けられて巨神に向けて立てかけられていた。力なく口を開け閉めするが言葉にならない。もうまともに声も出ないのだ。
「なん……で……おじ……ちゃん……」
「おおお! 山師殿! 聞こえますじゃろか? 貴方様にこの娘を捧げますじゃ! 煮るなり焼くなり犯すなり好きになさっていいですじゃ!」
「おじい……ちゃん……」
アイリスの呼びかけは届かない。ガルデスの両眼には狂気が宿っていた。
「ですから! ここにおる村人全員を一緒に帝国に連れて行ってくだされ!」
ガルデスが両腕を神像にかざすとそれに答えるように声が響き渡った。
『……ようやく』
また大地が揺れた。しかし巨人は動いていない。大気を震えさせたのはその声だった。
『ようやくコレの使い方がわかってきましたよ』
「おお! その声は山師殿! このガルデス一生のお願いがありますのじゃ!」
『聞こえていましたよ。貴方の願いは』
ローガンが小さくくつくつと笑う声も大気を揺らす振動となって村を揺らす。
「おおお! そ! それでは!」
村長が目を見開いて邪悪な笑みを浮かべた。
『自分たちの安全の為に孫娘を生け贄に差し出すとは……ほとほとあきれますね』
「とんでもないですじゃ! この小娘はワシの孫なんかではありませぬじゃ!」
腹の底から響く声に負けじとガルデスも大声で叫んだ。
『ほう?』
「え……お爺ちゃ……ん……今……」
アイリスの思考が止まりかける。
「ええい! まだわからんのか! お前は自分に両親がおらんことを不思議に思ったことはないんか!」
「だって……昔……死んだ……って」
息も切れ切れに言葉を吐き出す。
「そんなもん嘘に決まっておるじゃろ! まったく頭の悪い小娘じゃの!」
ガルデスが杖を振り回して地面を叩く。
「そん……な」
アイリスが他の村人を見る。全員が視線をそらした。
「みんな……知って……」
「当たり前じゃ! このカスめが! 昔から巫女は遠くから攫ってくるのが習わしじゃわい!」
震えの止まらなくなったアイリス。けして寒さのせいでは無いだろう。
「それ……じゃ……私……」
「そうじゃ! 誰の子かもわからん赤子だったんじゃ! 村に災いが起きたとき、後腐れ無く生け贄にするためなのじゃ!」
ガルデスが昂奮しすぎて激しくむせる。
「……でなければ、自分の孫を売りに出すなどと言う訳がないじゃろ! 小娘が!」
「私……村の……みんな……の……ため……」
がたがたと震える唇を懸命に動かす。
「そう教育してきたからの。村のために自らを犠牲に出来るようにの!」
「あ……う……うう……」
嗚咽が漏れ始める。涙が頬を伝う。
『なるほど……話はわかりました。ふふふ』
「おお! それでは!」
ようやく肯定的な言葉を聞けてガルデスの表情が一気に明るくなった。
『しかし、そんな小娘一匹で、どうして私があなたたちを救わなければならないのでしょう?』
「な、なんですと?」
そして一気に表情が凍り付く。
『ふふ……私は世界最高の力を手にしたのですよ? これから女などいくらでも手に入ると思いませんか?』
「そっ! それは……そうじゃろうが……じゃが……」
『そう。例えば……こう』
第九世代人型戦闘兵器ガンジェリヲンの右腕がゆっくりと持ち上がる。その手には巨体に相応しいライフルが握られていた。銃口の中に家が建ちそうだった。
『死にたくなければ、その娘を差し出せ……そう言えばいいだけなのですよ』
「なんと! それはっ!」
ガルデスは恐怖に彩られた顔いっぱいに汗を流していた。
『ふふ……ふはは……あーっはっはっはーーーー!』
その高笑いは麓のエルベラ町にまで響き渡っていた。
「なっ……なんという!」
ラルフ軍曹が山向こうに見え隠れするガンジェリヲンの頭部を見つめていた。なかなかはかどらない住民避難の途中に突然再開した断続的な地震の後にあの声だ。
それまで兵士に文句を散らしていた者や嫌々荷造りしていた者も、ようやく事態を把握し悲鳴を上げて逃げ始めた。
「慌てるな! 兵士の指示に従え!」
(先に兵を配置しておいて正解だった! これならばパニックを押さえられる!)
「ロドルフ! 避難勧告から命令に変更するぞ! 全隊員に伝えろ!」
「サー! イエッサー!」
ロドルフが巨体を揺らして駆けていった。
軍曹がもう一度ガンジェリヲンに視線をやる。
「人が……神になるのか?」
ラルフの言葉は群衆にかき消され、誰の耳にも届かなかった。
「アイリス!」
「ヴァニッシュ……さん……」
「ガルデス? てめえ! 何やってんだ! 待ってろアイリス! 今助ける!」
ヴァニッシュが村に辿り着いた時にはかなりの距離まで迫っているガンジェリヲンに裸で縛られるアイリス。そしてローガンの高笑い。ヴァニッシュの理解を超えていた。
「ええい! この忙しい時に! 奴を捕まえろ! ……いや殺してしまうのじゃ!」
ガルデス村長が半狂乱気味に叫んだ。
「し……しかし」
村民達は躊躇する。あの男の強さは良くわかっていた。
「てめえら……今度は手加減しねえぞ? ……俺の前に立ったら……」
背中の大剣を両手で握りしめ正面に構える。身長ほどもある大剣を構えるヴァニッシュの目に暗い炎が宿っていた。
「命は無いものと思え」
雇われ坑夫たちがひっくり返り、悲鳴を上げて逃げ出した。
「ばっ! 化けもんだぁ!」
「もういやだぁあ!」
「俺らは関係ねえだー!」
ヴァニッシュは横を通り過ぎていく坑夫たちを無視して村人と対峙する。
「だ……ダメ……ヴァニッシュ……さん……」
たった1人の男に気圧され村人の誰もが動けなくなっていた。
『おやおや……私の事は無視ですか? ヴァニッシュ殿』
地鳴りのような音量が振ってくる。
「あ? なんだローガンいたのか? でか過ぎて逆に目に入らなかったぜ。新しいおもちゃは気に入ったか?」
『……ええ。気に入りましたとも』
「そりゃ良かったな。俺はちょいと忙しいんでてめえは家に帰ってママと遊んでろや」
いつも通りの口調にローガンのため息が聞こえてきそうだった。
『……まったく……貴方という人は……自分の立場をわかっているのですか?』
「自分の立ち位置くらい理解してるっつーの。自分の立場をわからない奴の事を馬鹿って言うんだ。例えばカガク兵器を自分の強さだと思う奴とかな」
『……貴方は! ……いいでしょう。私と貴方の立場の違いを教えてあげましょう!』
巨大な銃口がヴァニッシュを向く。
「うをっ! 大人気ねえな!」
(ここじゃ全員巻き込まれる……くそっ!)
踵を返して今登ってきた道を全力で下る。
ガンジェリヲンの銃口が村からゆっくりと逸れ、ヴァニッシュを追う。
そして。
閃光。
爆音。
灼熱。
烈風。
「ぎゃごがああ?」
光の弾はヴァニッシュに当たらずにそばを通り過ぎただけだった。道を横切って森の奥に着弾して大量の土砂を巻き上げる。一瞬で森を火の海に変えた。
ヴァニッシュはそれだけで吹き飛ばされ、さらに身体のあちこちに火が付き全身に火傷を負った。
「ぐあぅ!」
地面をのたうち回って火を消す。
「ヴァニッシュさん!」
アイリスの叫びが遠く聞こえた。
「くそっ! 痛え! 熱ぃ! ふざけんな!」
ヴァニッシュが悪態をつく。
『ふ……ふははははは! 滑稽ですね! これが私と貴方の立場の違いというものですよ!』
「い……いい歳して……火遊びしてると……寝小便漏らすぜ……?」
顔を上げたヴァニッシュは壮絶な笑みでガンジェリヲンを睨み返す。
『ふは! あはははははは! まったく貴方はとても楽しい人だ! 一流のコメディアンとして生きていけますよ! ……そうだ。私に忠誠を誓うのであれば専属芸人として生かしてさし上げますよ?』
「忠誠……? へっ。そいつあ食えるのかい? ちゅ~ちゅ~」
無意味にネズミの物まねをしてみせるヴァニッシュ。
『……いいでしょう……くはは……貴方は死になさい!』
(あ~。終わったな……)
目をつむって最後の刻を待つ。
「ヴァニッシュ様ーーーーー!」
アイリスの叫びが響き渡った。
「……」
ガチンと金属を打つ音。
「……?」
目をつぶっていたヴァニッシュが片目を開く。
『……?』
どうやらローガンの意図したものでも無いらしい。
「どうした? 尿意でも催したか?」
『いったい何が起きたんですか?』
慌てる様子が漏れ聞こえる音からわかる。
『……エネルギー切れ?! どういう意味だ?! たった一発で?! 馬鹿な!』
そしてとうとうローガンが怒声を漏らした。
「ははーん! そりゃ元々弾切れ寸前だったんじゃねえのか? しょせん中古品よ。残念だったな!」
ならばまだチャンスはあると、残りの力を振り絞ってヴァニッシュは立ち上がった。
『く……こうなれば踏みつぶしてくれる!』
「へっ! そりゃまたお約束だな!」
動き出す巨体から全力で逃げ始めるヴァニッシュ。山が動き出したような迫力だった。
(体力の残ってる内に何か考えねえと……!)
全身火傷で激しい痛みが途切れない。全力で動ける時間はあと数分もないだろう。
アイリスの様子を見た事で血が昇ってしまって、後先考えずに挑発してしまった事をヴァニッシュは後悔した。
(今更だな……しかしどうする? こんな化け物!)
今のヴァニッシュには絶望以外の言葉が見つからなかった。




