第1話「その出会いは必然だった。女は危険なスナイパー」
「ここまで逃げれば大丈夫だろ……」
青年は激しく前後していた両足を、ゆっくりと止める。
「さすがに……疲れた」
小川の横に生えた大木にもたれ掛かる。肩に引っかけていたナップザックから小さめの水袋を取り出して、頭から水をかぶった。
熱くなっていた頭が急速に冷めていく。
軽量の鎧と腰には双剣を装備している。
さらに背中に特大の両手剣がマントの下に見え隠れしていた。
旅行者にしてはいささか重装備すぎるだろう。
青年は乱れた息も落ち着いたようで、小川で水袋を満たそうと思い立ち上がった時だった。
ばがぐぉう!
派手な音を立てて大木が幹から折れた。
「なっ?」
「みつけたぞ! ヴァニッシュ・ラストエッジ!」
少し離れた土手の上に金髪をなびかせた若い女が身丈に合わない巨大なライフルを構えていた。
「全ての女の敵! 鬼畜非道のヴァニッシュ! 大人しく背中のカガク兵器を渡せ!」
若干露出度高めな服装は、あまり防御力があるように見えない。
抜群のスタイルを見せつけるための装備なのかもしれない。
ヴァニッシュと呼ばれた青年はその巨大なライフルを見て考える。
(まずいな……あれほどのカガク兵器の所持を許されてるクランとなると数十人規模のクランかもしれねぇ……どっかに仲間が隠れてんのか?)
ヴァニッシュは注意深く周りの気配を探るが誰かが隠れている様子は無い。
余程の手練れが揃っているのかもしれない。
「ふふふ……さすがのエロエロ大王もこの対戦車ライフル・田中ケンゾー君にはビビって声も出せないようだな!」
「エロエロ大王言うな! ってか田中ケンゾーって何だよ?」
高速で突っ込む。
「さあ! そのカガク兵器を渡しなさい! エロエロ大魔王!」
「渡さねぇしカガク兵器でもねえよ! こりゃ魔導器だ! ってサラッと大魔王に格上げしてんじゃねぇよ!」
青年は背中の大剣をマントの隙間からチラリと見せる。
チラ見せである。
「魔導器……? ならここで発動してみろ! 超エロエロ大魔神!」
「神になっちまった上に超まで付けやがったこのアマ!」
思わずすぱーんと手近な木の枝に突っ込みを入れてしまう。
「どうした? 早く発動させてみろ! このスケヴェニンゲンめ!」
「急に微妙になったなおいっ! ……お前に証明してやる義理はねぇよ」
「なら死んで置いてけぇ!」
ヴァニッシュが横っ飛びするのと同時に女の持つライフルが派手な爆音を上げて地面に大穴があいた。
「殺す気か?」
「そう言ってる!」
大気を震わせる重低音が何度も響き渡り、その度に地面や樹木が木っ端みじんに吹き飛んだ。
(クソッ! あの女一人なら何とでもなるってのに!)
女に近づいた途端に四方八方からの同時攻撃。それだけは避けたい。
(この距離ならギリギリ行けるか?)
全力疾走で攻撃を避けていたヴァニッシュが急に方向転換した。
「馬鹿が! そっちは……」
「をおおおおおおおおおおおお!」
大きな岩を踏み台に力強い跳躍。
ヴァニッシュは宙を舞った。
派手な水飛沫を上げて対岸手前に着地。
「なっ! なんというパワー! これがエロリストの力なのか?」
「知るか! 実力だ! エロリストって無差別っぽくて嫌だな!」
「こらっ! 待て! 逃げるな!」
女は追いかけようとするが男との間には川が流れている。
「冗談は寝て言え!」
「それを言うなら寝言だ! あっ! 待て! 待ってよバカー!」
森の中に逃げ込んだヴァニッシュに、ライフルを撃ちまくるが、手前の木々がなぎ倒されるだけだった。
「うわ~~ん! 待て~~~~!」
女は地団駄を踏んで悔しがるがヴァニッシュの姿はすでに見えなくなっていた。
森の奥まで走り抜けたヴァニッシュは背後から黄色い叫び声を聞いた気がしたが無視して先へ進んだ。
歩きながらナップザックを確認する。
「まいったな……」
もう水も食料も尽きた。
夕方までにはエルベラという町に辿り着く予定だった。補給もままならない逃避行。いい加減覚悟を決めなければ。
ヴァニッシュは道無き道を歩みながら行く末を考えていた。
ヴァニッシュは陽が落ちて全てが暗闇に包まれる寸前、ようやく小さな明かりを発見した。
何も見えない墨汁のような草木をかき分けてどうダニ明かりの届く広場へと這い出した。
そこは山中に切り開かれた小さな村だった。
「助かったぜ」
安堵のため息を付いて山村に足を踏み入れる。
何から身を守る為だろうか何の役にも立たなそうな柵に囲まれた建物が20ちょい。人口50名前後といったところか。
ヴァニッシュは明かりの一番強く洩れる建物に入った。
小さなカウンターにテーブルが3つほど。どこにでもある場末の酒場だった。
店内の客4人が余所者へ警戒の視線を投げつける。
「いやー。村があって良かったぜ。道に迷っちまってよ」
ヴァニッシュはカウンターに腰を下ろした。
「飯とエールを頼むぜ。もう喉がカラカラだ」
マントを外して隣のイスに掛けて背中の大剣を隣の席に立てかける。カウンターの中はもぬけの殻で奥から人が出てくる様子が無い。
(少しわざとらし過ぎたか?)
「……あんた、何者だ? こんな遅くに」
客の一人が立ち上がる。
いやよく見ればエプロン姿で客と一緒に飲んでいた店員らしい。おそらくこの店のマスターだろう。
「実はエルベラまで行く予定だったんだけどよ、途中でイノシシを見付けてな。晩飯にしようと追っかけてたら森の中で迷っちまってな! ……我ながら間抜けだね! はははっ!」
あえて道化に振る舞う。敵意がないことをアピールするためだ。
「……エルベラ? この村に来るには必ずあの町の橋を渡るだろう? まさか山脈沿いに来たのか?」
「いや、途中までは川沿いにエルベラに向かう街道を歩いてたんだが、川の対岸に美味そうなイノシシがいたもんでさ」
「それで川を泳いで渡ったのか?」
「ああ。あんな大物逃してたまるかっつーの」
「なんというか……それで、獲物は?」
ヴァニッシュは肩をすくめて首を振った。
エプロンの男がため息を付いて立ち上がる。
「イワナの塩焼きとキノコの炒め物くらいしか出来ないぞ」
「十分! やっと一息付けるぜ」
カウンターの奥から油の弾ける音が届く頃、客の一人が話しかけてきた。
「こんな山奥に迷い出るとは災難だったなあ。あんた名前は?」
40代の働き盛りの男だった。残りの二人は老人で未だに警戒心を解いていない。
一瞬偽名を名乗ろうかとも思ったがさすがにこんな山奥にまで名前が知れていると考えなかったのだろう、ヴァニッシュは素直に名乗ることにした。
「ヴァニッシュ。西の方から旅してきた」
どよっ。
四人が一斉にヴァニッシュを凝視する。
「あんたがあの有名な?」
(おいおいおい……まさか……)
「淫乱上等房事色道まっしぐら! ヴァニッシュの通った跡には妊婦しか残らないって噂の! あの! ヴァニッシュなのか?!」
「だあーーーー! んな訳あるかーーーー!」
ヴァニッシュは手近なテーブルを一徹返しした。
「聞いた話だと、仕事の報酬に町中の女を……それこそ3歳児の幼女から103歳の老婆まで……」
「そんなん王国軍に追われるわ! どんだけ尾ヒレが付いてんだ? それになんで年齢がカッチリ決まってんだよ! 突っ込みすぎてノドが痛いわ!!」
「尾ヒレっちゅー事は……」
「違う! 違うぞ! ……仕事の合間にその……」
「犯しまくって……」
おっさんと爺二人がどん引きする。
「ちゃう! その……嫁探しをしてたんだけだ!」
ヴァニッシュはちょっと口ごもる。
「嫁?」
「ちょいと事情があって一刻も早く結婚したいんだよ。それでクライアントに良縁を探してもらったりしてただけだっつーの!」
「なるほど」
「分かってくれたか」
「つまり結婚詐欺だったって事だな」
うんうんと店の客達は肯いた。
「違ーーーーーーーう!」
ヴァニッシュはカウンターに突っ伏した。
「もういいや……どーでも……」
えぐえぐと涙を流していると目の前に香ばしい蒸気が立ち昇る。
「おお! 美味そう!」
さっそくかぶりつくと、久しぶりの温かい飯に涙が出そうになった。
「こりゃ絶品! めっちゃ美味い!」
「はは……そりゃどうも。この辺のイワナは岩苔をたっぷり食ってるからな」
「こっちのキノコも美味いぜ? おっさん良い腕してるよ」
「まあゆっくり喰ってくれ」
箸の止まらないヴァニッシュは、あっという間に全ての料理を平らげてしまった。
「ぷあっ! ごっそさん!」
「見事な喰いっぷりだったな。作った甲斐があるってもんだ」
「それだけの味だったからな。ところでこの村に宿泊施設はあるか?」
「いちおうウチの2階が宿になってるが……まともに掃除もしてない。ノミだらけだぞ?」
「かまわない。外よりましさ」
「そうか、なら……」
「ちょいと待つのじゃ」
振り向くと老人の一人がこちらを向いていた。
「ヴァニッシュと言ったか。お主クランに入っとるのか?」
「いや、俺は一匹狼だ。……仕事の話なら聞くぜ?」
口元をゆがめる。
「話が早くて助かるの。どれ、ワシの家で話の続きをするとするじゃ」
「わかった」
ヴァニッシュは立ち上がって一気にエールを飲み干した。今夜の宿を確保できたようだった。




