いろいろと取り越し苦労だった
「架也くん」
くる、と振り向いた。
希望と絶望。
来てほしかった。けれど、同じくらい。いや、それ以上、来てほしくはなくて。
柔らかそうな黒髪。澄んだ黒い瞳に浮かぶ、不安。
「気になって」
余計な御世話だったら、ごめん。
ぺこ、と頭を下げる。
夕方の学校。
放課後。部活動が終ったあと。
テニスラケットをぶん投げたい衝動にみまわれたが、それをなんとか抑え込んで、隣に並んで歩く。
「架也くん、元気がないみたいだから。どうしたのかな、って」
「…別に。いつも通りだよ」
そう。
その言葉に嘘偽りはない。
事実その通りなのだ。いつもと同じように演じて、笑って、格好良くして。
「…だから、だよ」
どくん、と心臓が跳ねる。
「架也くん、…苦しそうだったから」
背筋から悪寒が駆けあがる。
―バレた。
まだ誰にも言ってなかったのに、
つい最近気づいたばかりだったのに、
もう誰にも言わないつもりだったのに、
―バレた。
―安堵よりも不安。
道化じみた不安。
格好つけた不安。
賢い不安。
不安不安不安。
―どうしよう。
どうしようどうしようどうしよう。
嫌われたら。
見放されたら。
―怖い。
怖くて怖くて怖くて。
もともと一人なのに。
最後まで独りなのに。
これ以上孤独を強いられたら、一体。
―一体俺は。
一体、一体俺は、どうなってしまうというのだろうか。
「架也くん」
いつの間にか、息が荒い。
うまく、酸素が吸いこめない。
―まあ、いいか。
今ここで死ねたなら、きっと、君は傍にいてくれる。
そうしたら。
そうしたら、やっと。
「架也くん」
ふわ、と抱きしめられた。
安心させるように、繰り返し背を撫でていく手。
何度も何度も名前を呼んで。そして最後に。
「ごめんね」
悲しげに、言った。
「なんで、」
喘ぎ喘ぎ言葉を絞り出す。
「…なんで、謝るんだよ」
「…うん。」
「おい、」
「……うん。」
「……由奈」
「……うん。」
とくんとくんと、心臓の音が重なって、徐々に呼吸が整ってくる。
けれど、…もう、身体的には十分大丈夫なのだけれど、…離しがたい。
「架也くん、」
「―許して」
即座に言った。
「…まだ何も言ってない」
「……許して。」
足りない。
全然足りない。
もっと。
もっと、この胸の隙間を満たすほどの温かさを。
貪れどもなお有り余る祝福を。
―もっと。
「―架也、」
するりと、胸に落ちてくる声。
「私、」
ああ、そういえば名前呼び捨てにされた、なんて今気づく。
「あなたの傍にいたい」
どういう意味だ?これじゃまるで―
「あなたが、…好きだから」
ぎゅ、と。
思わず両腕に馬鹿力が入って、危うく由奈を絞め殺すところだった。
「架也くん、…く、…るし……」
「あ、え、あ、ああぁああの、ごめ、…ごめん!」
「あれ?…架也くん照れてる?…慣れてるんじゃないの?」
「……うるさい。黙れよ」
顔が真っ赤だ。ゆでダコだ。あのまま由奈を離さなければよかった。そうしたら顔は見られずに済んだのに。だが、そうしたら由奈の方を絞め殺してしまっただろうか。そこが悩みどころだ。
「あのさ、…ほん、とうに…?」
「うん」
「冗談じゃないよな」
「冗談は下手なの」
「嘘じゃないよな」
「嘘は大の苦手なの」
「俺もおまえのこと好きだよな?」
「…聞かれても」
「好きだよ。…愛してる」
そういうと、由奈の頬が微かに染まる。
どうしてそんな風に可愛らしく照れることができるのか。神様って不公平だ。
「…由奈可愛い。もう、大好き」
ぎゅ、と抱きしめる。
「超愛してる」
ぴし、と腕の中の由奈が一瞬固まる。
あれ?
もしかして照れてる?
「愛してる」
囁くように言ってみる。
「誰よりもずっと、」
低く、甘く。
「ずっとずっと、―愛してる」
ぐり、と全力で耳を遠ざける。
「あれ?俺のあっまーい愛の囁きを由奈は受け取ってくれないわけ?」
「…やだ。カッコよすぎて聞いてるこっちが恥ずかしい」
うわ。こいつさり気にかっこいいとか言った。
……この天然タラシめ。
「…まあ、いいか。これから色々教えていけばいいわけだし。」
まあ、折角こうやって捕まってくれたわけだから。
逃がさないよ?―由奈。




