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さざめき  作者: min
第五章 そして終焉に向かう
30/34

きっと「君が」酷いんだ。

 昼休み。

 原谷由奈は百パーセント中百パーセント図書室の窓際の奥から二番目の机に陣取っているらしい。常ならば中瀬奏もいるようだが、今日はまだ来ていないのか、来ないのか、いないようだった。


 ぱらり。


 本のページをめくる音が、やけに響いた。

 …気がした。


 錯覚だ。

 そんなの錯覚に決まっている。

 ぶんぶんと首を左右に振ってから、気を取り直すように脇から本を覗きこむ。

 ―フリをして原谷由奈を見る。


 す、と紙の下に差し入れた白い指。その指がぱらり、と静かに次のページをめくる。

 文字の群れを静かに追う瞳は澄んでいて、その表情は少々柔らかい。どうやら彼女は本を読むことが好きなようだ。

 じ、と観察していると、さすがに不躾な視線に気づいたらしく、辺りを警戒するように首をす、と伸ばしてきょろきょろする。

 さながらプレーリードッグ。

 可愛いぞ。この小動物め。


「…アキミナくん?」


 案の定すぐに目が合い、ふんわりと笑いながら彼女は言った。


「すごいね、原谷さんは」


 内心の動揺を綺麗に隠して、人好きのする笑みを浮かべる。


「ほとんどの奴は俺のことアキミズとかシュースイとかいうのに。まともに呼んでくれんのはたぶん原谷さんくらいだよ」

「そうね。珍しい読み方だものね」


 よく間違えるかもしれないわね、と彼女は頷く。しかし、頷かれても苛立たしい気持ちが全く湧いてこないものだから、嫉妬と羨望が募る。


「俺のこと、『架也』でいいよ。他の奴も、そう呼んでるから」


 食べてしまいたい―。そんな凶暴な感情を表に出さないようにどうにか抑え込みながら、さらりと彼女の横髪を耳に掛ける。


「…『架也くん』?」


 ―どくんっ。


「―『架也』でいいよ」


 不可解なざわめき。

 体の隅々にまで行き渡る熱くてどろりとした感情。

 肉食獣のような、滾る感情。制御不能な、自身にはとてつもなく強い。


「…目が、…怖いよ?」


 依然として澄んだ瞳。恐れてはいない。怯えてなどいない。ただ単純に驚きのみを映す。

 ―だからだ。

 全ての者が跪きひれ伏すような壮絶な笑みを浮かべたとしても、彼女は真の意味でひれ伏すことはないのだろう。

 それが、彼女の強さ。

 彼はふと、唇を吊り上げ、凶悪な笑みを形作った。


 ―だから、欲しかった。


 しかし、狂気に染まる前に、彼女の手がぺたりと頬に触れる。

 そして、しばらくじっと見つめたあと、何かを納得したのか、小さな子を宥めるかのように頭を撫でた。

 そして、綺麗に笑って、何を思ったか、こう言った。


「……だいじょうぶ。」


 何がどう大丈夫なのか。何を根拠にそんなことを言うのか。

 言いたい事は山ほどあったが、何だか彼女を椅子から立たせたくなったのでぐいと腕を引っ張った。


「わっ」


 無理矢理立たされたせいか、彼女はぼすん、と俺の腕の中に倒れてきた。

 柔らかに緩く彼女を拘束する。素直に体を預ける彼女に何故だか胸が温かくなる。


 がら。


 音がして、叫び声。

 たまにすごくやかましい、彼女の半身のような存在。


「ちょっ、…由奈!だいじょうぶ?!」


 ダッシュで駆け寄り、べりっと引き剥がす。後ろからぎゅっと抱きしめ、こちらを威嚇するように睨みつけている。


「由奈。こんなチャラい男に近寄っちゃ駄目だよ!アホがうつる!」


 びしぃっ、と指さして睨む。


 あ、なんかイライラする。


「差別はんたーい。髪だけで決めないでくれる?それにコレ地毛ですから」

「…どっちでも同じだよ。由奈。帰ろう。今日はもうここにいない方がいいよ」

「え、えと……」


 ばちばちと火花を散らせる中、由奈はどうしようかときょろきょろきょろきょろしている。そんな様子も小動物じみて可愛い。何だかちょっと苛めたくなるんだけど。

 ―あれ?俺ってもしかしてドS?

 だったとしたら新たな発見だ。


「ほら、帰ろう、由奈」

「……うん」


 すまなさそうに、瞳が揺れる。

 ほんと。

 知らず、唇は再び弧を描く。


 ―ほんと。ぶち殺したくなるくらい可愛い。


 ***


 それから、俺の気紛れが始まった。


 図書室に通いつめて、色々と原谷由奈に構い倒した。

 中谷奏があまり来なくなっていたが、それはかえって好都合だった。

 それでも、―来るときは来たが。


「由奈あぁあ~」


 なんかもう駄目。ていうか既に駄目。無理。

 そう言ってぼてりと机に落ちた彼を、彼女はふわふわと撫でた。


 ―それは、愛おしむように。

 ―それは、慈しむように。


 さらさらさらさらと、壊れ物を扱うかのように酷く優しく。

 しかし彼もまた、それを当たり前のことのように穏やかな表情で享受する。


 満たされた笑み。

 ―二つ。

 重なって。

 ―どうして。


「…じゃ、僕、帰るよ。…ありがと、由奈」


 蕩けるような笑みを浮かべて。

 それは、最大級といっても過言ではないような至福を体現していて。


 ―また、あの感覚が体をよぎる。


「……『由奈』」

「なに?『架也くん』」


 その笑みが。

 小動物めいた眼差しが。

 輝きに満ちて。光に満ちて。それは彼に、―彼だけに向けられる。

 それがどうしてだか、


 ―癪に障る。


 だん、と音。由奈は驚いている。


「架也くん、何―」

「別に。ただ―」


 ―イライラするんだよ。


 にっこりと、そう言った。


 壁に縫いとめられた小動物。抗う力は元より持っておらず、仕留めるだけならこんなにも容易い。けれど、―それをしてはいけないような。

 なんだろう。

 なんなんだ。この不可解な感情は。

 どろどろする。

 どうしようもなくどろどろする。

 壁に縫いつけたまま、取り留めのない思考を無理矢理要約し始める。


 何故彼だけにその顔を向ける?

 何故彼だけをそうやって呼ぶ?

 何故彼だけをそんな風に扱う?

 何故―


 どろりと、瞳からさえ溢れ出そうな、泥のように爛れた感情に塗りつぶされたまま、視線を交錯させる。

 漆黒のどこまでも澄んだ瞳。そこに映る、どこまでも狂暴な自身を見つけ、唐突に、しかし、漸く理解した。


 そうか。

 これは生まれて初めての、―嫉妬、というやつだ。


 ぎゅ、と黒髪の彼女を抱きしめた。


 見せたくないんだ。誰にも。

 会わせたくないんだ。誰にも。

 気に入られたくないんだ。誰にも。

 気に入らせたくないんだ。誰にも。

 触れさせたくないんだ。誰にも。

 触れさせたくないんだ。誰にも。


 その声を。

 肌の柔らかさを。


 ―誰にも。誰にも教えたくなどない。


 渡したくなどない。

 逃げられたくなどない。


「『架也くん』?」


 ああ。

 どうして選ばれたのが俺ではないのだろう。


 ぐらぐらと、世界が終りそうなほどの焦燥。

 追いつめられて。突き落とされそうになって。

 たぶん生まれて初めての初恋は、生まれたその瞬間からお墨付きの失恋直行便。


「……大丈夫?」


 微かに顔をあげた気配。きゅ、とまわされた手。

 その心地いい熱が、…憎らしい。

 心地いいがゆえに憎らしい。どうせその腕で、何度も彼を抱きしめたくせに。

 さら、と髪を梳かれ、ぞくりと揺れた鼓動。


 ―どん。


 思わず、突き飛ばした。


「……触んな」


 吐き捨てて、少々乱暴に扉を閉める。


 ―どうせ。


「…っは……」


 胸の内の滾る熱。今にも流れおちそうなどうしようもない苛立ち。それを押し込めるように、胸をつかむ。しばらく、肩で浅く呼吸を繰り返す。身体的な動機が収まってくると、苛立ちはいよいよその強さを増した。


「…くそっ!」


 だん、と壁を殴りつける。

 らしくないらしくないらしくないらしくない。

 こんなのチャラ男然もしくは優等生然として生きてきた俺らしくない。

 演じてきた俺という役がこなす役どころじゃない。

 こんなの、誰かが、―三流の役者上りの誰かがやればいいことだ。どうして俺が―


「どうして―」


 どうして俺がこんな風に胸を焦がす。

 どうして俺がこんな風に甘い疼きに翻弄される。

 ―捕らえたくなる。

 ―傷つけたくなる。


 まるで、どこかのカッコ悪い、少女漫画の悪役のように。


 ―圧倒的な欲。

 優しさの前に、まず、凶悪な独占欲。

 抱きしめるためじゃなく縫いとめるために使ってしまう腕。嫌味ばかりを紡ぐ唇。

 ああ、全部全部消えてしまえ。一秒前の上手くいかなかった自分など消えていなくなってしまえ。そうやって過去を全部消してしまえたら。失敗を全て消去できたら。初めから、君を好きになると知っていたら。


 ―こんなに、悩まずにすんだ。


 ―こんなに、苦しまずに済んだ。



 ……きっと。




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