君の暖かさで溶けてしまいそうだ
元狼は元彼女である兎がこんなことになっているというのに何も知らないらしい。
孔雀は狼が狼でない事を知りながら、それでも彼を手に入れる事にこだわっている。
―虚しすぎる。
ああ。あまりにも虚しすぎる。
彼らの恋は恋などではない。
仮面をかぶり虚偽を重ねて無理に自身を納得させて必死に縛りつけ合うなんて。
そんなことをせずとも、僕に落ちてくればいいのに。
そうすれば、僕も楽になれるのに。
***
「―兎はさ、」
「…なぁに?」
「どうして狼に固執しないの?」
結局、救いは図書室にしかなかった。
古めかしい、おぼろげな記憶の中の出来事のような空間。そこに、幻のように佇む女の子。全てを拒絶しているようで、けれど、ぶつければちゃんと受け取ってくれる人。
「―私はね、」
本を眺めながら、兎は話す。最近では、それは人の話を聞いていないのではなくて、その話が目を見て話せるような内容ではないからそうしているのだと最近分かった。
「兎という道を違えぬよう、生きてきた、もしくは、生きていこうとしていたのよ?」
何故か疑問形だ。
けれど僕は口を挟まない。
だから兎は語る。
「けれど、兎はずっと壊れていた。壊れていたら結ばれない。けれど、壊れていない兎は兎じゃない。一つ前にやっと狼と幸せになれたときだってそう。周りから見れば彼らは幸せそのものだったけど、兎はそうではなかった。兎はすでに〝幸せ〟という事象が認識できる状態ではなかった。彼は壊された時点で壊れる事を選んだ」
ふう、とため息が聞こえた。
話し過ぎた、と思っているのだろうか。
「―そんなことを憶えてるの。だから、…もう、全てがどうでもよくて。
だって、全ての出来事に、意味なんてものはないのよ?なのに、…ただの模倣を何度も何度も繰り返すなんて―」
ぎゅ、と手の平が古い本の一ページを握りつぶす。はっとしたように目を見開いて、彼女はくしゃくしゃになったページを一生懸命伸ばしだした。けれども、一度くしゃくしゃになった紙が完全に元に戻ることはない。それは、壊れた兎が二度と元には戻れないのと同じことだ。
兎だった彼女は、溜息をつき、諦めて本を閉じた。
それが、彼女の生き方だった。
「…そういうわけ。だから、私はあなたの気持ちを分かる事はできないの。だって、…私はこんなにも、輪廻というものを憎んでる。そんな人間が―」
「君は憎んでなんていない」
思わず、言葉が飛び出した。
「君は、憎んでなんてない。ただ、苦しいんだ。
…輪廻という業が、…たまらなく、苦しいんだ。…ただ、……それだけだよ―」
そうなのだ。
自分とて苦しくないわけではない。そして、彼女は苦しみ以外の要素がなくなってしまっただけなのだ。ただ、それだけ。別に、兎が悪いわけじゃない。
「…ありがとう」
ゆっくりと振り返り、ふわりと兎が笑む。
「あなたは、優しいのね」
兎が立ち上がる。
心の痛みを現実の痛みで打ち消すかのように握りしめた拳が、ゆっくりと解かれる。
しばらく、僕はその手を振り払うことができなかった。




