イマサラな自覚
ぶつん、と意識が途切れ、その次に僕の瞳に映ったのは真っ白な病室の壁だった。
しばらく眠っていたらしい。彼女がわんわん泣いたけれども、ただうるさいだけだった。
理奈は、と若いナースに問うと、彼女はリアクションに困る、というような顔をして、生きてるのか、と問うと変人を見るような生ぬるい眼で見られた。
まあ、確かに変かもしれない。自分を殺しかけた女が生きているかどうか気にする男なんて。彼女がまた泣きそうになったけれども、本気でどうでもよかった。
―飛び降り自殺だったそうです。
屋上から、そのまま。
それを聞いて、思わず僕は自分の首に手をやった。
微かなでこぼこ。何日か経ったら、すぐにでも消えてしまいそうな痕。
噛み痕。
彼女の、罪の証。
「僕の、…所為なのか…」
呟いた言葉に、彼女が激怒しだした。
刺したのはあっちなんだから女が悪いに決まってるとか。
大体勘違いする方が悪いんだとか。
やっぱり女は油断できないとか。
ぶっちゃけ君も女だと思うんだけど。
黙って、と一言告げた。
何も知らないくせに知ったようなことを言うな。
理奈とならいつも同じ目線で考えられたし、新しい発見があったりもした。
何も知らないそこら辺の女なんかとは全然違うのに。
理奈は、賢くて、けれど凛としていて、僕の憧れでもあった。
抱き締めることなんて叶わないような、どこか遠くの存在である気もした。
控え目で、特別なものなんて欲しがらなくて、だからこそむこうから求めて欲しかった。
最後の言葉がごめんなさいじゃなくて愛してるだったらよかったのにと思うほどなのに。
疲れているからと彼女の付き添いを断って、その日は独りで眠った。
目を閉じると、今でも泣きそうな理奈が鮮やかに浮かび上がる。同時に、彼女の唇の動きも、鮮やか過ぎるほど鮮やかに思い出せた。その残像に、無理矢理泣き笑いの彼女の表情を重ね、記憶の中の彼女の唇を、僕はこう動かした。
―あいしてる。
けれど、そうしてみてもやっぱり理奈は最後にごめんなさいと告げるのだった。
何度やってみても、どんな風に事実を捻じ曲げようとしても、記憶の中の理奈も僕が思い浮かべる理奈も最後はやっぱりごめんなさいと唇を動かして、泣きそうな顔をしたまま静かに飛び降りてしまうのだった。
「りな、」
真っ暗な夜、しんとした病室に声が響いた。もう逢えないとわかっているのに、彼女が来てくれるような気がして、僕は病室のドアを見つめ続けた。
だって、昼だと人目が多いし。
彼女とか友達とかが見舞いに来てるだろうと見当をつけて、理奈なら夜あたりにこっそり来そうかな、って。
いやいやそれともあまりに気まずすぎてメールで済ませる気かな。
ちょっと薄情過ぎない?
なんて戯言も考えてみた。
くるはずがないメールを待って、何度もケータイをちらちら見つめた。
『羽津さん』
彼女の声が蘇る。
『羽津さんの手が好き』
いつだって、そう。
『羽津さん』
嬉しそうに笑いながら、いつだって彼女は、本当のことを言わなかった。
「…手だけでいいの?」
僕の手にじゃれつく理奈の幻影を見つめながら、僕は戯れでさえ口にしなかった問いを、初めて口にした。
「手だけでいいの?…理奈」
ぼろりと、涙がこぼれた。
もう、決定的だった。
彼女に逢いたくて堪らなかった。
気づいてしまった。気づきたくなかった。もっと早く気付けばよかった。
どうやら僕は、彼女に求められるのを、待っていたらしかった。
どうやら僕は、『彼女からの』愛の告白が欲しかったらしかった。
 




