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大仏造立の詔 意訳

作者: 賀茂史女

続日本紀に記される「盧舎那仏造立の詔」原文を追記しました。

続日本紀

天平十五年 冬十月十五日

紫香楽宮にて 天璽国押開豊桜彦天皇の詔される


朕は徳の薄い身でありながら、かたじけなくも天皇の位を受け継ぎ、その志は広く人民を救うことにあると、努めて人々を慈しんできた。

思いやりと情け深い恩恵は、朕が天皇として国土の果てまで受けるよう計れるが、いまこの国を見るに、み仏の法恩においては、天下のもの一切が浴しているとは思われない。

朕は真実、仏法僧(三宝)の威光と霊力に頼って、天地ともに安泰となり、万代までの幸せを願う事業を行って、草、木、動物、生きとし生けるもの悉く栄えんことを望むものである。

そこで、この天平十五年、天を十二年で一周する木星が癸未に宿る十月十五日を以て、朕は人々を導く仏道の修行者(菩薩)として、盧舎那仏の金銅像一体をお造りする大願を発する。

国中の銅を尽くして像を鋳造し、大きな山を削って仏堂を建築し、仏法をあまねく宇宙にひろめ、これを朕の発願による仏道修行事業(智識)としたい。

この事業が成就したならば、朕も衆生も、皆同じように仏の功徳を蒙り、ともに仏道の悟りの境地へと至ることができよう。

天下の富は天皇である朕のもとへと集約される。

天下に号令する権威は天皇である朕に在る。

けれども、天皇としての富と権力によって、この尊像を造っては、成就への道は平らかだろうが、大願は果たされまい。

また徒に民に労苦を強いてはこの事業の神聖な意義は失われよう。

あるいはこの事業そのものが憎しみを産み罪を作り出すことがあってはならない。

従って、この事業に参加する者は心からの至誠を持って大きな幸いを招くよう廬舎那仏を敬い、自らの意思で造立に従事するように。

もし更に、一枝の草や一握りの土であっても捧げて、造立の助けたらんことを願う者があれば、その望み通りに受け入れよう。

国司や郡司は造立の名の元に公民の暮らしに立ち入ったり、強いて物を供出させてはならない。

遠近を問わず国中にこの詔を布告して、朕が意を知らしめよ。


原文

天平十五年(七四三)十月辛巳(丁卯朔十五)冬十月辛巳。

詔曰。

朕以薄徳、恭承大位。志存兼済。勤撫人物。

雖率土之浜、已霑仁恕。

而普天之下、未浴法恩。

誠欲頼三宝之威霊、乾坤相泰。

修万代之福業、動植咸栄。

粤以天平十五年歳次癸未十月十五日。

発菩薩大願、奉造盧舍那仏金銅像一躯。

尽国銅而鎔象。削大山以構堂。

広及法界、為朕知識。

遂使同蒙利益共致菩提。

夫有天下之富者朕也。

有天下之勢者朕也。

以此富勢造此尊像。

事也易成、心也難至。

但恐徒有労人、無能感聖。

或生誹謗、反墮罪辜。

是故、預知識者。

懇発至誠。各招介福。

宜毎日三拝盧舍那仏。

自当存念各造盧舍那仏也。

如更有人、情願持一枝草一把土助造像者。恣聴之。

国郡等司、莫因此事、侵擾百姓強令収斂。

布告遐邇、知朕意矣。

現代語訳については、宇治谷孟先生の「続日本紀 全現代語訳」(講談社学術文庫)を参考にしました。

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