第2話:左手のリストバンド
時計と黒板を交互に見つめながらやっと全ての授業を終え、すぐに教室を出た。今日は部活もないしすぐ帰れる。さてと、朝一緒に来た修治とまた一緒に帰るか、と思ったとき。
僕は目の前を通り過ぎていったものにはっとした。あの黒く長い髪とまんまるな瞳。僕より少し背の低いあれは――。
「りょーすけ、帰ろう。」
突然の後方からの呼びかけに再びはっとする。修治……ではなくもう一人の親友、健太だった。
「なんだ、健太か。」
「なんだとはなんだ。失礼な。」
「ああ、すまん。まあ、帰るとしよう。」
僕は何事もなかったかのように廊下を進んだ。健太は修治とは逆に落ち着きのある、やや内気な人間だ。僕はこういう人間のほうが好きなのだが。
健太は学校を出るや否や、いきなりこう切り出した。
「亮介、さっきお前……。」
「なに?」
「見とれてたよな?」
質問の意図がつかめない。二人は大通りの信号を渡る。
「なにに?」
「ごまかすなよ」
別にごまかしているつもりはない。本当にわからないのだ。
「さっきお前の前を通ったの誰だよ?」
「あっ。」
思い出した。さっき僕が教室を出たときのあれか。
「見とれてたんだろ?」
「見とれてたわけじゃねえよ。」
いや、今になって思えば、あれを見とれていた、と言うのかもしれない。そうか、僕は……。
「ほんとに?違うのかよ。」
「ああ。」
今さら見とれていたと認めてもしょうがない。
「まあいいや。」
そう言うと健太は大あくびをした。
そういえば最近、健太と修治と三人で帰ることはめったになくなった。なぜだろう?帰る時間帯はそう変わらないはずなのに。それに帰るどころか、健太と修治が話している姿さえあまり見かけない。まあ、たまたま僕が見ていないところで話してるだけだろうけど。
ふと、健太の左手首にある黒いものが目に留まった。
「これって……。」
「ああ、これ?いいだろ。」
健太が自慢げに見せたそれはリストバンドだった。もともとテニス選手などが、汗でラケットが滑らないようにしたり、試合中でタオルが使えないときに汗を拭いたりするために使っていたものらしい。それが今ではファッションの一部とは。
「うん、かっこいいね。」
と、言ってみる。
「ははっ、褒められちゃったよ。」
その笑顔の奥には何か別の感情が込められているように見えた……のはきっと僕だけだろう。
健太はいつもの交差点ではなく、多田橋の手前の曲がり角で別れると言い出した。
「ちょっとこっちに用事があるんだ。」
それだけ言って、健太は夕日の沈みかける住宅街へと溶けていった。
まさかこのあと、あんな事が起こるとも知らずに、僕は彼の後ろ姿をを見送った。